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癖について語るときに、私の語ること

どんなヤツでもひとつくらいは他人に言えない秘密を持っているのさ、と教えてくれたのは佐野元春だった。

秘密、というとある種の艶かしさが漂うのだが、これが癖という言葉に変換されると、さて、どうだろうか。なんだか依存度が激しく高まるような気がしてならない。

ちなみにこの稿において癖は「へき」と読む。「くせ」ではないのでそこんとこヨロシク。

この癖、あまりいい意味で使われることがないようにも思える。癖ってぐらいだから当人にとっては無意識のうちにそうなっていることだろう。それがあまりよろしくないというのは不幸だ。

それこそ他人から指摘されなければ、その行為が若干の狂気を孕んでいたり、やや常軌を逸している事実にさえ気づけないだろう。

今回はわたくしが53年間の人生で目にしてきた、さまざまな奇癖、珍癖をご紹介しよう。あえて悪癖としないのはそれらの行為が本人(あるいは場合によっては本人たち)にとってはごく普通の、ありふれた日常のひとコマに過ぎないからだ。

誰も、誰かの生き方を否定する権利はない。

ライスに塩をふる

まずは「本屋にいると便意を催す」といった類のライトな癖から。ハンバーグやステーキなどとともに供される平皿に盛られたライスに必ず塩をふる、という人がいる。

とくに年配の紳士淑女に多く見られる。昭和も50年ぐらいまでは洋食といえばライスに塩というスタイルがハイカラだったのだろうか。

いま洋食と書いたが、それには訳がある。彼らは決してお茶碗や丼によそった白飯に塩をふらないからだ。ご飯には塩をふらず、ライスにはふる。これはいったいどういうことなんだろうか。

似たような現象に「ライスカレーを注文すると水の入ったコップにスプーンが突っ込まれた状態で出てくる」があるが、これはあくまで提供する側の都合によるもので個人的な癖とは関係ない。

ちなみにグーグルチョロメで「ライス 塩」で検索しても、いろいろ雑多な意見は出てきてもこれといった理由は見つからない。つまり個人の癖といって差し支えないのではないか。 

誰も、誰かの生き方を否定する権利はない。

外国人パブの沼にハマる

あれはもう癖だよ、癖…と言われるもののひとつに外国人パブ、ひらたくいえばフィリピンパブの沼にハマるおじさん、があげられる。現代七不思議のひとつである。

そう書くと「いやいや兄さん、行ったことないから不思議なんだべや。いっぺん行ってみ、フィリピンパブ。オレはハマんねえってスカしたツラしてるヤツほどどっぷりハマっから!な!」などと言ってくる栃木県出身の板前がいるとは思うがうるさいだまれだまれなのである。

はっきりいってわたしの人生にフィリピンパブが甘い香りと暗い影を落としていったことは1度ではない。とはいえ3度もはない。2度ある。

つまり知っているのだ。
知った上で語っているのだよ、ヤマトの諸君。

フィリピンパブの沼にハマるプロセスは概ね以下の通り。

  1. 取引先関係に連れていかれる

  2. 当初つまらないのだが翌日なぜかボワ〜ンとする

  3. タレントから電話が会社にかかってくる

  4. 再訪

  5. 2週間以内に再々訪

  6. 30歳以下の場合、店外デートも実現

  7. タガログ語の単語帳を自作する

  8. 日本語と英語とタガログ語を混ぜて話すようになる

  9. 8の現象が日常生活でも顔を見せるようになり周囲が呆れる

  10. 帰ってしまったタレントを追ってマニラへ

  11. タレントに沢山の子どもがいることが発覚し、失意のもと帰国

  12. もう行かない、二度と行かないぞと宣言

  13. 寂しさを埋めるためキャバクラに行くが面白くない

  14. 勢いあまっていろんな風俗に行くが全然面白くない

  15. 1に戻る

わたしの知る限りこのシークエンスを永遠に繰り返す紳士は30人を超える。あるときは勤め先の社長、あるときは職場の同僚、あるときは行きつけの居酒屋の主人…パチンコ屋や場外馬券場で隣あわせたおっさんがそうだったことは両手でも足りないくらいだ。

地位も家庭も貯金もすべて失ってなお、アコとかイカウとかサラマポと嬉しそうに口にする彼ら。

なぜやめられないのか。

心が弱っているのか。

心が弱っているのだ。

仕事や家庭でさまざまな問題を抱え、鬱屈した気持ちを晴らす機会の少ないおじさんは、あのフィリピンパブの扉を開けた瞬間にぶわーっと鼻腔をくすぐる南国特有の甘い香りと、ホスピタリティ抜群のタレント(まさに才能!)にいとも簡単に転がされてしまうのである。

そうしてふたたび、夜な夜なフィリピンパブのドアを叩くのだ。まるでゾンビのように。 

誰も、誰かの生き方を否定する権利はない。

食器を灰皿にする

これは友人の友人の家に遊びにいったとき目の当たりにして愕然とした癖である。本人の名誉のために仮にKとする。KはY子ちゃんという小柄でキュートな女の子と結婚し、やがてHくんという玉のようにかわいい赤ちゃんが生まれた。

Kはもともと友人たちとオートキャンプに行くのが趣味で、Y子ちゃんもキャンプ場で見初めたのだそうだ。当然、Hくんが生まれてまもなく家族でキャンプを楽しむようになった。

一方その頃わたしも職場の友人と休みのたびにオートキャンプを楽しむという、それまでの赤貧コピーライター時代とは打って変わった前向き健康的ステキですね真っ白な歯!といった爽やかな青春路線を堪能していた。

その友人のキャンプ仲間が、Kだったのだ。

わたしとKは一瞬にして意気投合。サラリーマンのKと居酒屋勤務のわたしたちとはなかなか遊ぶ予定があわなかったのだが、まとまった休暇のたびにどちらからともなく誘いあってキャンプに行く仲となった。

ある日、Kから亡くなったお父さんの遺産で立川のはずれに一軒家を建てたから遊びにおいで、と誘われた。

わたしと友人は手土産を片手に日曜日の午後、Kの新居を訪れた。

その家はまさにアウトドア好きのKらしく、木材をふんだんに使った大きなログハウス風であった。当時27歳だったわたしは同い年で立川のはずれとはいえ東京にこんな大きな一軒家を建てることができるなんてすごいな、と感心したものだ。

運転手を気遣って誰も酒を呑まず…などという殊勝なわたしやその仲間たちではない。その日もビールで乾杯し、友人と友人の彼女、もうひとりの友人の友人とその彼女、もうひとりの友人の友人とその彼女の友だち、ああもうややこしい。

とにかく仲間たちみんなでY子ちゃんが振る舞ってくれる手料理に舌鼓を打った。

事件はほどなくして起こった。

なんと、食事が終わったあと、KもY子ちゃんもタバコを吸い始めたのだが、片付ける前の食器を灰皿代わりにしていたのである。

最初わたしは何かの間違い、あるいは酔ったのかと思った。しかし彼らは間違いなくさきほどまでご飯がよそわれていたお茶碗や料理が載せられていたお皿に灰を落としていた。

わたしは愕然となりながらも、なんとか自分を見失わないように「ごめん、K、灰皿ある?」と聞いてみた。

するとY子ちゃんが笑顔で「そこでいいよ」と言うではないか。

そこ?

どこ?

戸惑っているとY子ちゃんはわたしも最初Kの実家にお邪魔した時にびっくりしたわよKも、Kのお母さんも空になったお茶碗を灰皿代わりにしていたからねその時はお父さんはもう亡くなっていたけど、お父さんもそうしていたらしいよやりはじめたらわたしも抵抗感がなくなっていまでは慣れたもんむしろ洗うんだから一緒でしょ。

と、事の顛末を披露してくれた。

誰も、誰かの生き方を否定する権利はない。

■ ■ ■

本当はあと3つほど、奇癖珍癖をご紹介したかったのだが、残念ながら3000字を超えてしまった。「箪笥で自涜」「食のデチューン」「ネガティビスト」これらの癖についてはまた、機会があればぜひ。

それにしても世界は広い。
いろんな人がいる。
いろんな考えがある。
なんでもわかっていると思うのは間違いなのだ。

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