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2023年の3月を振り返る

今年から発作的にはじまった振り返るシリーズ。3月ですので当たり前ですが3回目です。この手の企画によくあるジンクスですが3回続けば大丈夫。おそらくこのまま低め安定で12月までいけるでしょう。いけるかな。


癖のない文章を書く

これは自虐でもなんでもなく、客観的事実として、ぼくは文章が下手です。企業のブランドメッセージやWebサイトに載せる短めの文章は大丈夫なのですが、インタビューなど長文の場合、100パーの確率で赤字が入ってきます。

いくつになってもダメ出しをいただけるのはありがたいことです。しかしだからといっていい年こいて甘えてばかりもいられません。

ちょうど3月、年度末ということもありインタビュー記事のご依頼が重なりました。常時5本ぐらい抱えている感じ。そうなるといただく赤も5倍になります。

これはいかん、と、月の後半、あるクライアントからたっぷり赤字をいただいた原稿を明鏡止水の心で見つめ直してみました。

するとおぼろげながら原因が見えてきた。

それは、ぼくが若い頃にテッテ的に叩き込まれた文章技術と世間一般の美文名文いい気分のお作法との間にはチグリス・ユーフラテス川のごとく隔たりがある、ということです。

まず事実として、クライアントの広報担当者からの赤が入っている箇所の7割が語尾、文末でした。残りの2割は言い回し、1割は漢字表記です。

そして修正がかけられている語尾のほとんどが、ですます調の文体に紛れ込ませた終助詞でした。終助詞とは「やや不安で。」とか「譲られることに。」といった止め方です。

赤が入る語尾のもうひとつは体言止めです。これもすべてに修正が加えられていました。

そこでわかったのはぼくの出自が原因だ、ということ。ぼくは駆け出しの頃、コピーライターとして一文字でも短く削ることを要求されてきました。それはもう職人技の如し(←これも終助詞の一種)。

広告文というマイナスステージからのコミュニケーションである以上、読み手にストレスを与えてはならぬ。ゆえに一文字でも短くできる箇所は短く!そして文章はテンポよくリズミカルに書くべし、と厳しく躾けられたものです。

コピーの教科書の最初のページにはいつも、ワンセンテンスごとに語尾がころころと変わる土屋耕一さんのボディコピーが載っていました。

それが、だめだったようです。
おかしな手癖と化していました。
なんだったんだ?7DAYSどころか
なんだったんだ?35年のキャリア

ついせんだってTwitterでも話題にのぼった鴻上尚史さんの「体言止め」修正騒ぎを思い出してしまいました。あれは逆パターンですが。

ぼくから「語尾はリズミカルに!」と厳しく指導され、やがて野に放たれた後それぞれの広告以外の現場でガッツリ赤入れられて悩んだ元部下のみんなたち、マジごめん!

4月の仕事ではすべて「です、ます」のみで構成された癖のない文章を書くことを誓います。来月の振り返りでその後を報告いたします。


36年経ちました

1987年の3月24日。朝9時名古屋駅発の新幹線ひかり号東京行きに乗って上京しました。

コピーライターになる、と言ったらまわりのみんなはなんだそりゃ?と首を傾げていました。

目星をつけていたコピー学校がはじまるのは4月5日から。だけどなぜか一日でも早く東京に行かなきゃ、と焦っていました。

前の晩は地元の仲間たちが盛大に送別会をしてくれて、途中、トイレでこれは後戻りできないなぁなんて思ってた。

みんなは新幹線のホームまで見送りに行くと言ってくれたけど気がつけば明け方で、残っていた友だちは全員酔い潰れていたから、そっと会場のスナック『かがり火』をあとにしてひとりで駅に向かいました。

そう、東京には地元の駅からひとりで行かなきゃならない、と決めていたのです。なんだかそうしないとだめなような気がして。

ひかり号はその名の通り、光の速さで東へ連れていってくれます。ぼくは窓の外の景色をまるごと覚えておきたくて、ひたすら凝視していました。

727、菅公学生服、アース製薬などの看板。富士山。一面の田圃。町。びゅんびゅん景色が変わります。日本ってぜんたいてきに黄色だなぁ。これだけでぼくの観察力がいかにプアかわかる。

新横浜の駅を出てしばらくするとぎゅーっと車体が左に傾く。ふいに眼前に広がる景色が特撮のミニチュアのような住宅街や商店街になりました。

ほどなくして灰色のビルでぎちぎちの都会があらわれ、お湯はパーパスと書かれた電飾看板が見えた頃、本当に来ちゃった…とちょっと後悔しました。何と戦うのかわかりませんがなぜか武者震いしました。

あれから36回目の3月です。
でもまだ何かと戦っています。
変わらない情熱。
ありあまる情熱。


ChatGPTと一緒に仕事したよ

今月おもしろかったのが、音声自動書き起こしツールとChatGPTを駆使して作ったイベントレポートを添削してほしい、できれば読みやすく改良していただけるとうれしい、という仕事のご依頼でした。

ほう!とうとうそういうオーダーがやってきたか!と心躍らせるぼく。なんたってロボットのしもべになるわけでしょう。未来じゃん。

ここで一曲。坂本慎太郎で『あなたもロボットになれる』かもめ児童合唱団バージョンをお楽しみください。

わくわくしながら件のレポート文章を読んでみたのですが……

なんだか事実というか情報をごちゃっと詰め込んでいて、そりゃ言いたいことはこれなんだろうね、だけどあまりにも読みにくくないかい?とおもえるシロモノでした。

守秘義務があるので具体的なことは書けないんですが、さしさわりのないところでいえば「○○にて」という言葉がひとつのセンテンスに3回出てくる、とか。

コイツ、俺より下手やんけ、まだ…

とおもったものです。そしてチャチャっと整文して読みやすくアレンジ。いっちょあがりで即お戻ししたんですが、このやり方をすればいまの時点ですでに低負荷で高品質の文章が量産できるな、と確信しました。

そしてChatGPTはぼくのように毎晩ダラダラとお酒をのんでγ‐GTPの数値を上げるような愚挙には出ないはずなので、日々そのクオリティに磨きをかけていくことでしょう。

そうなれば最後の人の手のチェックも、ほぼゼロ負荷に近い感じで済む。ファクトチェックだけになりますよね。

そのときに「ハヤカワさん、ちょっと手伝ってほしいんですけど…」と声がかからなくなってしまわないように、なにかしなくちゃいけない気がしてきました。

焦ることはないけど、のんびり構えてもいられないぞ。

日本の5割が賛成している。
危険のランプが点滅している。


追悼 ボビー・コールドウェル

1月のユキヒロさん、2月の岡田さんについで、今月はボビー・コールドウェルですか。どうなってんのさ、まったく今年は。

ボビコーは六本木のコピーブティックに軟禁されていた頃、ほぼ毎晩のように事務所で流れていました。唯一の同僚であり先輩の野口さんが好きで、延々とリピートされていたのです。

社長が帰った22時から翌朝10時まで流れるアルバム『SOLID GROUND』。月曜に出社すると翌々週の木曜ぐらいまで泊まりが続くので、さすがに耳にタコができました。

一曲目の『DON'T LEAD ME ON』のイントロではじまったと思い、『CRY』で泣きたいのはこっちだと嘆き、『WITHOUT YOUR LOVE』で早く家に帰りたいと落ち込む。そしてまた『DON'T LEAD ME ON』のイントロ。これが延々とリピートされる夜が続くわけです。

おかげで、いまでも『WITHOUT YOUR LOVE』のサビを耳にするだけで、あの頃の砂を噛むような感覚が蘇る。

そういう意味では間違いなくぼくにとっての青春ソングでした。ありがとう。ボビー・コールドウェル。


振り返り後記

3月、忙しかったです。会社の仕事はほどほどに(コラ)直接ご依頼いただく原稿をたくさんたくさん書きました。こんな下手くそな文章書きに仕事をご発注くださるなんてありがたいことです。ご恩は文章が上手くなることでお返しします。

4月のぼくの商業文章にご期待ください、クライアントのみなさま。

髪を切りに行く時間もなかったのでスパイファミリーのフランキー状態なのですが、これはこれで薄毛がまぎれていいんじゃないか、とひそかにおもっていたら、悪気はないのに口が悪いマウント武士のようなアシスタントのギャルに「ボサボサのほうが髪が薄いのバレますよ」と言われてしまいました。

来月すぐに髪切りにいきます。中年のココロはバリケードなのだ。

1月は行く、2月は逃げる、3月は去ると言うじゃないですか。じゃあ4月は?と聞くと割と高確率で「死ぬ」という回答で苦笑いすることに。

あんまりいい言葉ではないし言霊バカにしたらいかんぞなもし、ということでぼくは4月は「識る」と答えるようにしています。

知る、ではなくて、識る。ただ事実を情報としてキャッチするのではなく、知識や理解、または個人的な経験や見識などから得た知恵を持っている状態をつくろうと。

1月、2月、3月で見た、聞いた、知ったことを咀嚼して、肚落ちさせて、自分なりの考えや見識を深める1ヶ月にする。そんな4月もいいんじゃないでしょうか。たまにはいいこと言いますねぼくも。

それでは、グラッチェ!

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