さよならウォークマン
小さなころから音楽を聴くのが好きだった。
朝から晩までいつだって音楽が流れていた。
授業中も頭の中でお気に入りの曲を何度も再生していた。
当然、学校の成績は下から数えて何番目という感じだった。
ある日、自転車に乗っているときも音楽が聴きたい、と思ったわたしは荷台に針金でラジカセをくくり付けた。
大音量で音楽を流して走り回るその様はチンドン屋そのものである。
商売をやっていた親からは大目玉を喰らった。世間体という言葉の意味がわかるいまなら理解できるが、当時はとても悲しかった。
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ウォークマンが世の中にあらわれたとき、わたしは狂喜乱舞した。これなら24時間いつでもどこでも音楽が聴ける。
小学校4年生の通知表は算数を除けば「オール5」だった。成績が上がったらウォークマンを買ってもらうという約束を親と交わしたからだ。わたしは担任の先生からの好印象とともにナショナルのヘッドホンステレオ『Way』を手に入れた。
なぜソニーのウォークマンではなかったのか、というと商店街のつながりで家電を購入する電気屋さんが決まっていて、そこがナショナルパナソニックのお店だったからである。
そんなことはどうでもよく、わたしはどこへ行くにも『Way』と一緒だった。電気屋の奥さんの言う通り、松下さんとこの製品は長持ちする。手に入れてから10年ほど、わたしの相棒だった。
高校に進むと行動範囲が一気に広がる。地下鉄の中で『TECHNOPOLIS』を聴くだけでそこが近未来都市のように思えた。繁華街を歩きながら『KISS ON MY LIST』を聴くだけで春の新作ドラマの脇役ぐらいの気分を味わえた。
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その習慣は東京で一人暮らしをはじめてからも変わることなく続いた。
特に四畳半の下宿ではステレオはおろかラジカセすらボリュームを最小にしないと壁や床を叩かれる始末。木造のアパートから鉄筋の建物に引っ越すまで5年ほどかかったが、それまでウォークマン(その頃になるとさすがにソニー製である)は手放せないオーディオツールだった。
さすがに社会人になってまでヘッドホンからシャカシャカ音を立てて通勤するようなことはなくなる、と思っていたがそんなことは、なかった。カセットからMD、MP3とデバイスは変われど移動しながら音楽を聴く習慣は変わらなかった。
ところが、である。
ここ最近のわたしは移動中にイヤホンを耳に入れなくなった。音楽のない生活、音楽のない人生なんかノーライフ、という姿勢は不変だが、電車やバスに乗ったり、はたまた街を歩いたりするとき、音楽を聴かなくなっている。
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音楽は、いまはなくてもいい。
っていうかないほうがいい。
景色や風景にあわせて頭の中でピッタリの音楽が流れるから。それだけ音楽のストックができたということなのか。はたまた感受性がいよいよ錆びついてきたのか。
もう新しい音楽はいらない、と言われているようで少し残念だし、これが老いというものかもしれないと思うとゾッとする。
しかしいらないものを追いかけても仕方がない。
わたしはもう十分に音楽を聴いてきた。膨大なコレクションを誇る人の足元には及ばないだろうが自分にとってはこれで十分なのだと思う。これからはこれまで聴いてきた素晴らしい曲たちを、その場で記憶から再生すればいい。
ウォークマンからキオークマンへ。
それは、とても自由な心もちでもある。
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