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あだ名のない世界はどこまでも続け

つい先だって、こんな記事を目にした。

どうやら「あだ名」や「呼び捨て」を禁止する小学校が増えているそうだ。身体的特徴を揶揄したり、失敗行動に起因するあだ名はいじめの温床になりやすい、というのがその理由である。またある調査によると小学校時代にあだ名があったのは69%。そのうち36.7%が嫌な思いをしたことがある、と回答したらしい。

なるほど、過去にあだ名で呼んだことで嫌な思いをしたクラスメートがいたら、すまなかった、と謝りたい。

どういうわけか子供の頃は、人のあだ名をつける天賦の才に恵まれたヤツがどのクラスにも1人はいた。今でいう有吉のような存在だ。その才覚をまっすぐ伸ばせば彼ら彼女らは優秀なコピーライターになっていただろう、と思うと羨ましい才能である。

残念ながらぼくにはそのような能力はなかった。なのでいつも名人のつけるあだ名に時に笑い、時に感心し、常に愛用していたものである。

そして、いま思い出せる友人たちのあだ名は、いじめの温床になるものだったろうか。なるものもあったかもしれないし、関係なかったような気もする。そこでいささかセンシティブに扱わざるを得ないテーマではあるが、今回はぼくの子供の頃の友人のあだ名はどんなものだったのか、について考察しようと思う。ぼく自身のあだ名も検証したい。

ちなみに登場する人物の名前は話の流れに差し障りのない範囲でアレンジした。ご了承ください。

名前変化系

あだ名で最初に思い浮かぶのはナカガワミツルだ。彼のあだ名はそのミツルという名前に由来している。最初、クラスで一番すばしっこい男が彼のことを「ミッチェル」と呼びはじめた。ぼくらが育ったのは名古屋の工業地帯である。やたらと埃っぽい町に「ミッチェル」。どうだろう、このどことなくヨーロッパの香りが漂う呼び名は。

ぼくらは熱狂した。みんな口々に「ミッチェル」「ミッチェル」と彼を呼んだ。ただミッチェル言いたいだけ。それだけでは物足りず、家に帰ってからも母親に「ねえおかあさあん、今日ミッチェルがさあ」と大して親しくもないミツルの話題を振ったりした。

ある日、学年が上がったタイミングだったか。ミッチェルに小さな変化が生まれた。いきなり「チェルミ」と呼ばれるようになったのだ。ミッチェルのギョーカイ読みとでも言おうか。クラスがざわめいた。この斬新なあだ名は娯楽の少ない当時のぼくらに大きなインパクトを持って受け入れられた。

ところがチェルミ時代はさほど長くは続かなかった。せっかちな転校生が省略したのだ。あろうことか「チェル」と。転校生にとっては在校生が愛している呼称を自分だけのものにしたかったのかもしれない。また符牒のように呼ぶことでミツルとの関係性を周囲にアピールしたかったのかもしれない。

しかし「チェル」である。

この省略形が番長の怒りをかった。番長は外来種の勝手な振る舞いを許すまじ、と果敢に立ち上がり、チェル禁止令を全校生徒に通達。新たなあだ名として「ジェル」を使うよう命令を下したのだった。

いくら番長でもジェルはどうなんだろう。濁音は何かこう、心の底の方をザワザワさせる。もとより本人はどんな気分なのか。せっかくフランス風というかソフィスティケートされかけていたのに。よりによってジェル。整髪料かよ。

そんな空気が校舎を支配しつつある中、数人の有志が新たな提案をした。ジェルにこれまでの欧風テイストを盛り込むことで中和させようと。そして生まれたあだ名が「ジェルミ」。なんのことはない、チェルミに先祖返りしたようなものだ。

するとこれが意外なことに全校生徒の支持を集め、ナカガワミツルはその後3年ほどジェルミというあだ名で呼び続けられた。

しかし物語には終わりがある。ミッチェルから始まったミツルのあだ名遍歴は衝撃的なコペ転をもって幕を閉じることになった。

小学校6年生。楽しかった6年間。ぼくは2年生から転校してきたので正味5年間。それはどうでもいいとして、最後の一年の最初の月。ジェルミは1年前に転校してきた瞬間に学年一、いや学校一の人気者になったツルさんによって、

「オズマ」

というあだ名になった。オズマ、それは巨人の星に出てくる大リーグの選手、アームストロング・オズマに由来する。きっとミツルが野球部だったこと、あと年中日焼けして浅黒かったことがその理由だと思う。

しかし「野球ロボット」を自称するオズマとは。星一徹を「ボス」と呼び、返事は「イエッサー」一択のオズマとは。もはやそこにミツルの欠片も見つけることができない。

ただしツルさんの言うことは絶対だ。ツルさんはその人柄のよさで一切の暴力を振るうことなく番長以上の座を獲得した絶対的存在だったからだ。男子からも女子からも圧倒的に支持されていた。

そうしてナカガワミツルのあだ名遍歴は終了した。思えば長い旅であった。ミツルミッチェルチェルミチェルジェルジェルミオズマ。最後のはなんだ。いまにして思う。もしかしてこれがクリエイティブジャンプなのだとしたら、そんなもんいらない。

そしてオズマというあだ名に身体的特徴の揶揄みたいなものがないわけでもなかったが、みんなの中にミツルに対するほんわかした愛情があったことだけは間違いない。なんたって憎めないキャラで、小柄だけど運動神経のいい、気分のいいヤツだったからだ。

その証拠に、彼は変遷を遂げていくそのあだ名のすべてを受け入れていた。ぼくならジェルのあたりで確実にキレちまって屋上へ行こうぜここじゃ物が壊れる、ってなってたと思う。

キャラクター系

舞台変わって高校時代。よくつるんで授業をサボったりバイクで走ったりする仲間のひとりにヨシサキという男がいた。ヨシサキは県内でも田舎の方から通っていて、そのことをコンプレックスに思っていた。そんなことをコンプレックスに思うような人間なので、残念ながら頭の回転があまりよくなかった。

頭の回転があまりよくない高校生がとるべき行動は寡黙を貫くか、暴力に訴えるかの二択だ。しかしヨシサキはそのどちらも選択せず、あろうことかプライドを高く保つというオプションを別注した。なんと、よく喋り、周囲をペーソスとユーモアで笑わせて人気者になる、というキャラ設定を選んだのだ。

その結果、とにかくよくスベった。シュールなまでにヨシサキのトークは空を切った。コミュ障なんて言葉はなかったが、現代なら一発で限定解除だ。いっぺん病院行ってこいと言われてもおかしくないほど仲間たちとのやりとりすらうまくいかなくなった。

しかし本人はいたってイケてるつもりなので、周囲の「やれやれ…」という空気などお構いなしに機関銃のようにトークを繰り出す。その様子を見て校内一プロレスファンのタカマツは言った。

「まるでラッシャーのマイクパフォーマンスだな」

ラッシャーことラッシャー木村のマイクパフォーマンスはそのシュールさで広くプロレスファンから愛されていた。しかしはじめた当初は馬場や永源、渕らは嫌がっていたそうだ。まさかヨシサキのトークがみんなから愛されるとは思えないが、当時、人気者になりつつあった「ラッシャー板前」の髪型そっくりということも相まって、ヤツのあだ名が決まった。

「ラッシャー」

ちなみにラッシャーはその後、女子校に通うアイドル並みのルックスの女の子に猛然とアタックしていくのだが、ぼくたちから「おい、ラッシャー!」と呼ばれることを過剰に嫌っており「やめろその名で呼ぶな!」と手足をバタバタさせるので面白がってヒートアップ。校内外にその名が轟くことに。そのせいかどうかわからないが見事に撃沈したのであった。

数年後、仲間のひとりが結婚式を挙げるというので久しぶりにみんなで集まった時、ラッシャーは「いまサツに追われてるんだよ」と青い顔で言っていた。どうせつまらない万引きか交通系の出頭命令だろうと冷やかしたら、金箔の代紋付きでいかつい肩書きが乗った本職の名刺を出してきた。

その後、ラッシャーの消息を知るものはいない。失恋はともかく、道を外してしまったかもしれないこととラッシャーというあだ名には相関関係はないと信じたいが、一応、反省はした方がいいかもしれない。特にタカマツは猛省してもバチは当たらないだろう。

ぼくの場合

ぼくは小学校のとき、口の悪い女子に「キリン」というあだ名をつけられたことがある。理由は首が長かったからだ。その、あまりにもひねりのないあだ名はまるで定着せず、また後日その女子がぼくのことを好きだったという事実が判明し、単なるやれやれ案件として処理されてしまった。

あと「チリチリ」と呼ばれたこともあった。天然パーマだったからだ。しかしこれもぼく以上にロッドの強い天パー女子がいたことで、ほどなく消えていった。5年生ぐらいだったか。このとき確か担任の先生が「髪の毛や体のことをあだ名にしてはいけない」というような指導をしていたような覚えがある。

高校ではあだ名を頂戴することはなかった。周りにはドラゴンとかマロといった連中はいたのだが、比較的硬派なグループに在籍していたので名前で呼び合う事が多かった。そうなると強いのは三文字だ。マコトとかタケシといったように。そこにヒロミチはそぐわない。字余りだ。

上京後は最初の会社でやたらぼくのことをライバル視する同期から「髪の毛ニクロム線」と呼ばれたり、先輩からはその同期とセットで足軽扱いされ「てるを・はるお」と命名された。

そうした、身体的特徴または極度の癖毛を揶揄されたり、社会的地位の低さを表現するあだ名をつけられるたびに傷ついたか、と言われればそんなことはない。いや、キリンは傷ついたかな。チリチリもひどいな、と思ったかも。髪の毛ニクロム線に至ってはよく考えたもんだ、と感心したが。

まとめると(まじめです)

あだ名がいじめの温床になる。あるいはあだ名によって傷つく。それはとてもよくないことだと思う。自分の少年時代はいまほど大きな問題になっていなかったが、言われてみればその通りだ。傷つけたり、傷つけられたりした当事者として受け止める事実である。

しかし、一緒にしてはいけない話かもしれないが、社会に出てからまったく別の角度から、もっとこっぴどく、大量に傷つけられたことがあるのもまた、ひとつの事実である。心の傷に大小はないし、比べるものでもない。それでも子どもの頃の経験で少なからず耐性ができていたことは、防御の構えぐらいの役には立っていた気がする。

だから、願わくばというより、そうならないといけないと思うことがある。

大人たちが子どもの世界から傷ついたり傷つけたりする場面を「仕組み」で取り除いていこうとするのであれば、その子どもたちが大人になったとき、彼ら大人の社会も優しい世界になっていなければならない、ということだ。

傷ついたり傷つけたりということのやるせなさを知らないまま、いまと変わらぬ世知辛い世の中に放り出されるのはあまりにも残酷だと思う。

そして同時に、身体的精神的に傷つかないことを前提とした上で、厳しい世界もどこかで一度体験しておいてもいいんじゃないかしら、と思うのはぼくが老害おじさんだからだろうか。

いずれにしても、子どもたちにとって今日より明日が良くなりますように。

まじめか。

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