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天、川、歌(2)

 第2話 歌いびと

 寿里亜は、シムラさんの代役に決まったサワダケンジさんが、ジュリーと呼ばれていると知って、今度はパソコンをまた開いてジュリーのことを検索した。というのも母は、ジュリーのファンと聞いていたからである。そのジュリーのことをかっこよかったと母は言ったけれど、テレビで視たことは一度もなかったし、寿里亜はどんな人か知らなかった。この記事に写真が載っていたが、なんだかあてがはずれたような気持ちがしたのである。何かに似ていると思うが、NHKのキャラクターで、確かヒゲジイだったような気がする。
 寿里亜という名前は、大好きなジュリーから取って付けたと、かつて母がいたずらっ子のような顔で言ったことがあった。なんと短絡的なと呆れたきり、それ以上何も聞かなかった。ジュリアという名前は外国人みたいで小さい頃は恥ずかしいと思っていたが、次第に何も思わなくなり、むしろ気にいるように転じた。自分の名前の由来となった人のことを知りたいと思った。家にはジュリーの写真も音楽も、何もなかった。それもそのはず、寿里亜はこの大スター歌手の全盛期を過ぎた頃に生まれて、物心付く頃にはテレビに露出しなくなっていたのである。
 ユーチューブが出てきたので、クリックしてみた。映像の彼は、現在のもの?いや60歳とのことだった。身体は丸っこく白っぽい飾りのたくさん付いた派手な衣装を着て、頭髪は全体がクリーム色に染まっている。深々と下げた頭を起こして始めた「あなたへの愛」。なんという深い声だろう。ぐっと引き込まれ、聴き入って、ふと滂沱の涙が流れているのに驚いた。身動きがとれない間に画面は次のチャンネルに移っていたので、また戻り、何度繰り返し見たことか。この2年間、感情が張り付いて乾いたようになっていたのが、揺すぶられ、突き動かされ、さらにワンワンと泣いていた。
 母の遺体は、土砂に押し流されて亡くなったとは信じられないほどにきれいだった。「冷たい指先を、温めてあげたら・・」「ふたり繋がれて、ああ、どこまでゆきたい・・」歌を聴いて、その指先を両手で握っていたときの冷たさを今、感じていた。再び温もりが戻ることはなかったけれど、誰かが、この母が使っていた身体を心を込めて、こんなにきれいにしてくれたんだな。やっと今、気付いて胸の奥から溢れ出て止まらなかった。
 気が付けば天井を仰いで大の字になっていて、ユーチューブからは次々と映像と音楽が流れている。ただそれだけだ。ゆっくり起き上がった寿里亜は、今まで感じたことのない感覚、あえていうならば重力さえ感じないような不思議な感覚を味わった。そうしたら今度は、心の底から笑いが出てきたのだ。次から次へと大笑いが湧いてきたのである。人が見たらきっとおかしくなったのだと思うだろうが、そんなことはおかまいなしだった。自分ひとりの部屋なのだ。笑いに笑った。そして疲れて、少しウトウトとした後、自分は頭に異常を来したのかと思った。いや、そうではない。寿里亜は自分が今、確かに生きているということが、はっきりとわかったからだ。異常だったのは、今までの方だったのだ。涙が一滴も出ていなかったのだから。
 映像は、若い頃のジュリーになっていた。ワンマンショーのステージだ。初々しくて、なるほど、素敵だ。またじっと見詰めることになった。歌の始まりと終わりに、表情がガラッと変化するのがわかる。歌の神様が、ジュリーの身体に始まりとともに降臨して、終わりとともに昇天していく。これはすごい。凝視していると、客席のお客さんの顔がクローズアップされた。顔全体に輝く光を放ってステージを見詰める女性。え?お母さん!お母さんだ。ここにいたの!ストップ、再生を繰り返す。何度も何度も。寿里亜は「勝手にしやがれ」の最後の振り付けの両手を高く上げて、部屋の中をダンスするようにくるくる廻った。
 ジュリーの熱唱は続く。なんといっても歌の神様に選ばれているのだから、一曲ずつの物語が豊かに表現される。ジュリーの真摯な姿勢はトークにも現れている。ラスト「本当の人生を」。圧巻であった。寿里亜はここでまた目を見張った。このジュリーは、「わたし」である。わたしは、ジュリーだったのだ!なに、やっぱり頭が混乱しているのだろうか。でも、どうしても「そうだ」としか言えないのだ。ジュリーは、わたしで、わたしは、ジュリーだったのだ。この映像は、ジュリーにこのとき現れた姿を切り取ったものに過ぎない。そしてそれは、わたしのことだったのである。
 寿里亜には歌うジュリーの顔が完全に自分の顔になった瞬間があったのだが、顔の作りを見れば、それほど似ているというわけではない。ジュリーは20代の頃は二重瞼の目が大きくぱっちりして甘く可愛らしさを残す顔立ちだったが、壮年になるにつれ美しく妖しい魅力を湛えるようになった。さらに年齢を重ねると顎の線が首とつながり、体型もコロンとなり目も細くなった。一方、寿里亜は、眉の濃い男顔で、細面である。目は細めだったが鼻立ちがくっきりして、名前のこともあって外国人に間違えられることもよくあった。決して似ている顔ではないのだが、同じ位置にホクロがあった。左の頬の中央である。ジュリーと寿里亜の顔は、このホクロを中心として、シンクロしたのである。

 第3話につづく

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