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社会主義とイスラム教

1.       はじめに
 本レポートの目的は、宗教的社会主義について論じることにある。イスラム教と社会主義の関係を考察した結果、宗教的社会主義は実現可能であるということが明らかになった。
 第2章では宗教的社会主義について考えるきっかけ、第3章ではマルクスの科学的社会主義について、第4章ではイスラム教と支配、第5章ではまとめについて論じる。

2.       宗教的社会主義について考えるきっかけ
 宗教的社会主義をテーマにしたきっかけは、今回の講義の中でイスラム教には聖職者がいないという事実を知ったからだ。聖職者つまり支配者がいない共同体から、社会主義を連想した。

3.       マルクスの科学的社会主義
 マルクスが「宗教は大衆のアヘン」と言うように、科学的社会主義において宗教は批判されている。その理由として、宗教が民衆にあきらめとなぐさめをもたらすことが挙げられる。つまり、具体的な現実の問題が抽象的な神の問題に変換されてしまうことで、支配体制の変革を起こすことができなくなってしまうということだ。マルクスは宗教が支配に利用されている事実を指摘したのだ。剰余価値論から考えると、支配者が剰余価値を独占するために、宗教を利用したということである。つまり、被支配者が困窮している場合、その解決を支配者の打倒によってではなく、神の力によって実現するように仕向けたということだ。

4.       イスラム教と支配
 マルクスの宗教批判はイスラム教にも当てはまるのだろうか。イスラム教に聖職者がいないことを踏まえると、イスラム教は支配者のための宗教というより信者のための宗教であるといえる。したがって、マルクスの宗教批判はイスラム教には当てはまらない。この事実に、宗教の力によって社会主義を実現する宗教的社会主義の可能性を見出せる。つまり、神が社会主義を正当化していると解釈すれば、信徒が社会主義を実行できる可能性があるということだ。具体的に言うと、アッラーは信徒の平等や富の再分配を説いているため、ムスリムがその教えに忠実に従った結果、社会主義が実現するということだ。
 
 まず、経済面について考える。社会主義における経済面のデメリットは、どれだけ働いても報酬が一定であるため、労働者の生産意欲が低下する点である。しかし、神がその労働を正当化すれば、信者の生産意欲が下がることはない。なぜなら、神の命によって、労働は宗教的儀式と同じような意味を持つからだ。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
』を考慮すると、プロテスタントが資本主義を推進するようにムスリムが社会主義を実現するということである。
 
 次に政治面について考察する。イスラム教には聖職者がいないため、支配者がいない社会主義へ移行しやすい。具体的に言うと、イスラム教は宗教的権威をもつことを禁じるため、政治においても権威をもたないことが望まれ、社会主義が実現するということである。

5.       まとめ
 本レポートでは宗教的社会主義について考察した。その結果、宗教的社会主義は実現できることが分かった。残された課題としては、これまでに誕生した宗教的社会主義体制について学習し、その問題点から考察を深めることである。

参考文献
・日本共産党、「マルクスが言った「宗教はアヘン」とは?」
(検索日2022年12月1日)

・斎藤幸平『人新世の「資本論』』(集英社、2021年)
・ヤニス・バルファキス(関美和)『父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話』(ダイヤモンド社、2019年)

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