永年勤続対談 2023 HAKUTEN COLOR
毎年博展が期初のkick offで行う永年勤続表彰。
今回は2023年に入社10年目を迎えた三木さん・山中さん・木村さん・桜本さんに、出会いから今日までの青春の日々を振り返って頂きました!
トークメンバーのプロフィール
1.新人時代のお互いの印象
三木)では、さっそく。出会った時のお互いの印象ってみんな覚えてる?
木村)桜本は見たまんま体育会系で、俺と同人種だと思った。
三木は全くの異人種だったけど、内定者バイトで仲良くなったんだよね。
で、「お互い見かけによらず女の子が好き」という大事な共通点も見つかった(笑)
さんちゅう(山中)はお母さんが元宝塚って聞いてびっくりした!
山中)私は美大卒で周りも美大の友達が多かったから、総合大学の学生のノリが初めてで戸惑ったよ(笑)
10年たったけど、みんな当時と印象が変わらないよね。
木村君とはこの前初めて一緒に仕事したけど、入社当時と全然変わった感じがしなくて面白かった。
三木君の印象は…あだ名を率先的につけてる人笑
三木)「さんちゅう」って初めに言ったの俺だからね。
桜本)「さんちゅう」は俺らくらいしか言わねぇよ(笑)
三木は出身大学が一緒なのと、研修の時のエア麻雀と、あと、あれ…(自粛)
木村は「こいつとは仲良くなるな」って思って、実際すっと仲良くなった。
さんちゅうは学生時代に銀座のワイン屋でバイトなんかしてて、住んでる世界が違うと思った。
当初から大人だったよね。
そんな大人のさんちゅうが研修中に南さん(現執行役員)の話で寝てて「この人も人間なんだな」って思って安心した(笑)。
三木)
俺は…特に、覚えてない(笑) 最初から「気の合う仲間」って感じだったな。
必然的に仲良くなった感じ。
木村)
内定当時はまだ一緒に仕事をしてないから、感性でしか共通項を見つけられなかったけど、だからこそ「こいつらとはなんか合う」って感じたのかもしれないね。
2.若手時代の印象に残っていること
桜本)初配属は全員バラバラだったよね。デザイナーのさんちゅうはクリエイティブ局、俺はBtoB、木村はBtoC、三木は…
三木)
俺だけ新規事業部!
当時は、配属先を一人ずつ順に呼ばれていったんだよね。
最後は俺と東大卒の同期だけ残ってて、博展の新卒では初のプランナーは俺かその同期かって場面だった。
俺か?俺か?って思ってたら、その同期が呼ばれて、「三木はCCS(※)!」って。
「俺が、、、、そこなの?」って思った(笑)」って思った(笑)
(※)…コンファレンス&コンベンションサービス 事業部の略
当時の博展は展示会全盛期だったのに、展示会じゃないことばかりしてたんだよね。
立ち上がったばかりのCCSは他部署と全く接点がなくて誰も近づかない中、桜本と木村だけが遊びに来てくれて。
各部署の部会(飲み会)にも参加できなくてさみしかったから、あれは凄くうれしかったなぁ。
木村)俺は営業本部だったんだけど、中でも当時は一番クライアントが少ない車メーカーとスポーツメーカーを中心にアタックする課に配属された。
今でこそ、車とスポーツって言ったら売り上げも大きいけど、当時は全くなくて。
当時、部長だった中島さん(現スプラシア社長)が「受注したら1万円キャンペーン」を始めたんだけど、先輩からクライアントの連絡先を引き継いでる同期が3万も4万も貰ってる中で、俺は受注どころかリードも何もない。
で、モーターショーの飛び込みとかばっかりしてたな。
山中)私は、内定時代は体育会系の雰囲気に「私、入る会社間違えちゃったかも…」と思った(笑)
美大からきたからそういう体育会系のノリっていうのが初めてで戸惑ったんだけど、入社したら、会社に行ってデザインの仕事をするのが楽しかったなぁ。
1.2年目は大変なこともあったけど、デザインするのに夢中になった時期だったし、先輩も優しくて刺激があった。
桜本)他の配属されたディレクション本部は、他の課は新人が2.3人ずつ配属されてたのに、俺のところだけ新人は1人。
ひったすら怒られたよ。
ついていた先輩には面と向かって「桜本とは二度と仕事したくない!」とも言われたし(笑)。
木村)僕らの新人時代はこの部署に入りたいっていう選択肢がなかったから、目の前にあることをやるしかなかったよね。
配属された初日なのに課長の福田さん(現執行役員)はいないし(笑)。
マニュアルもないし、先輩の背中を見て雰囲気で感じ取って覚えた世代。
だからこそ、自分でやって覚える力が身についたっていうのはある。
桜本)そうだよね、今みたいに部署をめぐるローテーション研修もなくて、座学をやって5月には配属。
どの部署が何の商材やってるかもわからない状態だった。
山中)配属されて2週目か3週目ですぐに3コマぐらいの案件が入ってきて、先輩からも「山中さん、やれるんじゃない?」って言われて。どうやったらブースが建つのか、カット何枚必要なのか、プレゼンってどんな感じなのか、何もわからないのにとにかく当たって砕けろで覚えていったなぁ。
桜本)みっちり先輩が教えてくれるわけじゃないし、初めてのことでも放り出されるからお客さまにも育てられたよね。
山中)確かに!先輩が誰もついてなくて、若手だけで客先打合せ行かなきゃいけないとかあったもんね。
三木)そういう「行ってこい!」時代の最後の世代かもしれないね、俺らは。
未だに覚えているのは、木村は博展で初めてモーターショーの大型案件を受注した時!
あれ、何年目の時?
木村)3年目かなぁ?
三木)同期が、博展初のクライアントと直取引の車体ブース。
もの凄い社内でフューチャーされたから衝撃だった。
桜本)あれは震えたなぁ。社内で誰もやったことないことを同期がやってるから、凄く悔しかった(笑)
三木)でも、それも受注して終わるかと思いきや…
木村)現場が大荒れで!!
来場者の方が段差で点灯してしまう事故が起きてしまい、先輩もパートナーも帰った後で誰もいない中ものすごく不安だった。
営業では唯一、福田さんが助けに来て一晩一緒に過ごしてくれて嬉しかったなぁ。
その後、制作部のメンバーが全員来て、夜の間に段差を全てスロープに直してくれたんだよ!
桜本)「おいおい、木村の現場やばいらしいぞ、あいつ大丈夫か?」って心配してたのに、制作部のみんなの写メ送ってきてたよな(笑)
木村)あれはすごく格好良かった…。
三木)メンタルつえぇな(笑)
木村)当時、口には出さなかったけど、同期がキャンペーン(前述)で1万円をボンボン貰ってるのが悔しくて、考えるよりとにかく体を動かしてたんだよね。
R社は、1年目の時にモータショーのブースに飛び込んで、その後もしつこく営業して「いい加減にしてください!」と怒られて、案件ないけど通って、岡山のサーキット場まで一人で挨拶に行って、ようやく提案権を貰ったんだよ。
どうしてもモーターショー取りたかったから、精鋭チームをかき集めてプレゼンして。
受注して「博展初のモータショーだ!」って全社的にも取り上げられた時はうれしかったなぁ。
三木)さんちゅうの若手時代はどんな感じ?
山中)1.2年目はデザイン賞を取った案件とかもあって、純粋にデザインをすることが楽しかったな。
3年目の時にメインデザイナーとしてK社さんの二階立てブースをやったんだけど、初めて一人で携わる二階建てブースで、週1回ある定例会議にあわせて図面も、グラフィックもやりながら一人でいろんな面を見なきゃいけなくなって。
賞を取ったわけではないけど、打ち合わせでもお客様とのやり取りで一番前に出た時で、自分がいかに見た目だけのデザインをやっていたのかがわかった。
それくらいから、デザインを見た目だけではなくて、サイン計画や、人が使いやすいサイズの設定だったり、人が回遊しやすい導線計画だったりから考えるようになったから、自分の意識が変わった案件だったと思う。
3.それぞれのターニングポイント
三木)さんちゅうはプランナーにはいつなったの?
山中)5年目のとき。
デザイナー時代は基本的には企画書のデザインページも私が書いてプレゼン時も自分で喋るのを意識してたんだけど、そういう性格を知ってからか鈴木亮介さんから「プランナーに異動はどうか?」と言われたの。
当時は大小様々な展示会ブースを一通り経験して自分の中でやり切った感があって、実は今初めて言うけど、転職も考えてたんだよね。
そんな時にプランナーに声をかけられたから、企画側に回ってやってみたいと思って。
そこから第二の博展がスタートした感じかな。
プランナーになってからの1〜2年は、デザイナーよりわからないことだらけで大変だったけど!
木村)さんちゅうの企画はデザイナーの気持ちを汲もうとする意思が凄く伝わるんだよね。
山中)これを頼んだら嫌だろうなーとか、確実に無理させるなっていうのはなんとなく分かるからね。
プランナーになって、デザイナーって凄いなって思うようになったよ。
皆は、辞めたいと思った事はないの?
三木)俺は1年目から転職しようと外の市場の様子をずっと見てた。
部署が変わっていって毎回ミッションも変わるから辞めずに続いたけど。
桜本)もういいかなと、思う時期は少なからずみんなあるよね。
でも、そういう時に限って何かしらの転機が来る。
三木)6、7年目の時に全員変わったよね。
営業のバカ3人と揶揄されていた三木・桜本・木村が、別々の拠点で博展を支えるという…凄いサクセスストリー!
俺はM社様の出向で広島へ、桜本は中部営業所開所で名古屋へ、木村は東京でマーケティング部設立。
ちょうど博展自体もコロナで一番変化を伴う時に俺たちは、辞めるという選択肢ではなく、新しいチャレンジの場を与えられて今に至る…というのは凄く感慨深いよな。
山中)今まで会社から挑戦する環境を与えられてきたなぁって感じるよね。
三木)色々なミッションも貰うしね。
桜本)チャレンジする環境を与えられる、責任を伴う役割を与えられる、俺は少人数の中部営業所の一人だったから、やりがいもあるし、辞めようと思う暇もなかったよ。
木村はどう?辞めたいと思ったことはある?
木村)いや、ないかな。
6、7年ずっとIMC(BtoC)をやってて、環境変化があまりなくて、燻ぶってた時期は確かにあるけど、マーケティング部という新組織が立ち上がって自分の持ち味も認められて、若いメンバーの面倒をみるようになった時に、気持ちがリフレッシュしたのが大きかったかな。
年取るにつれて外部の人と話す機会が増えて視点が変わった時に、博展ってめちゃくちゃ自由だなって感じて、その自由さから抜けられない(笑)
桜本)三木と木村は周りと一緒になりながら仕事を進めるのが上手だよね。
周囲からもそういう話はよく聞く。博展って、巻き込む力が強い人が活躍しているよな。
山中)博展は自分が望めば出来る環境にあるよね。強い変化が必ずどこかでやってくる。
辞めるっていつでも出来るじゃない?
でもその言葉は引き返せない最後の切り札だよね。出したら全部お終い。
だから私は、切り札を出す前に「本当にここで私が出来ない事ってないのかな」って考えてみるんだよね。
最後の最後までやり切ってからでも遅くないのかなって。
そんな風に切り札を温めている内に10年経っちゃったな。
三木)辞めるって言ったらここでのチャレンジは一旦お終いだもんね…自分が望めばチャレンジできるのは、博展の本当にいいところだよね。
4.後輩を育てる立場になって思うこと
桜本)そんな若手時代を経て、今みんな後輩を育てる立場に立っているけど、どう?
三木)自分たちの育てられ方が、後輩の育て方に出る感じがしない?
今、博展で後輩に容赦ないのって俺と桜本くらいだと思ってる。
厳しい事をちゃんと言えるのは、ビジネス以外のコミュニケーションが円滑だからこそできることだと思う。
木村)俺はあんまり後輩に怒ったりしないな。
嫌われたくないし(笑)
自分が若い時に色々な事が分らなかったし、教え方も下手だから、丁寧に教えるようにしている。
三木)木村は部会の資料も凄いちゃんと作るよね。
木村)あと、うちの会社は職種を超えてHowtoを教えてくれる人が社内にいっぱいいるじゃない?
自分はそういう人たちに囲まれて成長できたから、自分の後輩や部下にも体験して欲しいなーと思ってるんだよね。
三木)そうだね。俺も「営業はこういうこと決めてきなさい」と、PMに怒られデザイナーに怒られ、他部署の先輩からイロハを教えてもらった経験があるから、他部署の先輩が他部署の若手を育てると思ってる。
色々な職種がいる博展だからこそできる教育だと思う。
先輩としては、他部署の若手に教えても評価に直結しないから本質的な話もできる。
工数は掛かるけど、それが教育なんじゃないかな。
桜本)さんちゅうはどう後輩と接してるの?
山中)私は一回やらせてみるかな。それで、必要なところだけ言ってあげる。
でも基本的には先輩に言われてよかったことを思い出して後輩に伝えている感覚で、「私もこれ先輩に同じこと昔いわれたんだよ」って言って、指摘したことを和ませる(笑)
教育は今の博展の課題でもあるよね。
私たちは先輩の背中を見て学んだ世代で、手取り足取りという感じではなかったけど、今はそういうわけにもいかない。
若い社員達はどうすれば受け入れやすくなるのかなって思う。
桜本)俺らは最後の「それいけ!世代」で、それしか知らないけど、今は実践で学べって時代でも、会社の規模でもないよね。
だからこそ、初配属までの研修が長くなってたり、CDAなんかの社内研修制度も充実しては来ているんだろうけど、現場レベルで教えられる体制は俺らが作っていかなきゃいけないなぁと思う。
三木)この10年、中にいる我々でも変化を感じるくらい勢いがある会社だから、うまく還元して会社が大きくなればいいなと思うよね。
桜本)プランナー、マーケ、地方出向を経験してきた世代だから、色々な視点でマージしていきたいよね。
4.これからの10年
三木)これからの10年、何する?
桜本)10年かぁ、なんだろうなぁ。
ここまで、ロングスパンでやりたいことないから続けて来れたってのもあるしなぁ。
あえて言うとしたら、地方拠点を確立させたい。
最近は中部営業所の売上げも立つようになったし、何らかの形で本社に影響を与えられる組織にしなくちゃいけないと思う。
山中)私も人生プランが具体的にないまま来たんだよね。
先輩に「山中ちゃんは目の前にニンジンがあって、ハードルを用意すると次を飛んでいくタイプだよね」と言われたことがあるんだけど、確かにそうで。
目の前にぶら下げられたニンジンを追いかけて、乗り越える度にできることが増えていった10年だった。
そのニンジンが遠すぎると疲れちゃう。
桜本)みんなそんな感じじゃない?みんな、目の前のチャレンジや環境には飛びつくじゃない?
三木)俺は、何をしたいか探してたら10年経っちゃった。でもまだ10年後も何をしたいかを探してる感じだわ。
木村はどう?
木村)したいことは…ないなぁ。
ただ、これからの10年に使命があるとしたら、
「社員一人一人が自分が納得のいく意思決定をして、その決定に責任を持つ文化」を作っていくことかな。
博展は規模も大きくなってきたし、人間性もバラバラすぎて、全体で1枚岩にはなれないよ。
だからこそ、個々が自分の決定に責任を持って納得感のもとに協調しあえるように、俺たち先輩は促進していかないと思う。
そういう集団でないと、博展の外では通用しないんじゃないかな。
桜本)この4人に共通してる事だけど、俺たちは納得いくまで先輩たちとも言い合ってきたよね。
三木)そう、我々は敬意を表して先輩方と戦ってきた (笑)
木村)その分、お客様やミッションに対してプロ意識が高い。ぶっちゃけ、今の博展はそこが弱いと思う。
三木)社内の機嫌とっちゃったりね。
木村)プロとして、ビジネスとして、絶対にこれをやり抜く。他が見えなくなるくらい向き合うっていう心持ちをもっと高めていきたいなって思うんだよね。
桜本)みんなプロ意識が強いよね。
三木なんて今年のキックオフの表彰で自分の事「圧倒的なプロマネ力」って言ったもんな(笑)
自分で自分の強みを分かってて言えるのってすごいよ。
さんちゅうも頑固なイメージしかないもん。
三木)だってコンペとか絶対勝ちたいじゃん!!
勝つために何するのかって、みんなが機嫌悪くなるからって妥協するのではなくてしんどくてもやり抜くことを伝えなきゃいけない立場なんだと思う。
さんちゅうは、営業ありきの提案じゃなくて、いい意味で営業とやりあってくれるからありがたいんだよ。
相乗効果が生まれて、仕上がりはその分ものすごい。
山中)営業の人たちって、イベントを成功させる側に立って発言をしてるじゃない?
すっごくピュアだと思う。
そんな営業がお客様のためにやり遂げたいなら、クリエイティブ側も一緒にやり遂げたいなと思っちゃうんだよね。
博展って体当たり的な会社だから、大きな会社の方が要領も良いんだろうなぁと思うけど、ピュアな人が残ってる博展ってやっぱりいいなと思う。
三木)そうなんだよ、我々はピュアなんだよ(笑)
木村)いや、でも、あれだよね。10年いて同期と話すっておもしろいよね。
新卒から10年いるって市場的にはニッチだし、それはそれで強みではあるんじゃないかな。
桜本)10年いると、キャラが本当に濃くなってくるよね。
木村)噂が噂を呼んで、自分が思ってる以上のブランディングされてるよね(笑)
三木)笑ってるけどさんちゅうもしっかりこっち側だからね(笑)
編集後記
今回の永年勤続対談では、博展を各領域からリードする4名に集まって頂きました。
博展が急成長した時代を、若手として最前線で戦って来た皆さん。
教育環境も今ほど整備されておらず「会社としても初挑戦」が多い環境下での苦悩や努力は、並々ならぬものであったと思います。
自分の意思を持ち、年齢・役職関係なく真正面から向き合う彼らの姿勢は
そういった10年で培われたものなのだと感じました。
取材を通して、つくづく「かっこいい奴らだなぁ」と惚れ直しました。
彼らのこれからの10年を応援したいと思います!
(取材/文:常岡)