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キリヒラ#14 中島健希さん~あの先輩に聞く!キャリアを切り拓いた瞬間~「知識欲を力に」で切りひらいた!


<インタビュアー紹介>

写真左から、川越(かわごえ)・藤原(ふじわら)

川越(かわごえ):2019年入社。約2年、新規営業を経験後、現在はプロデューサーとして主にコスメブランドの案件を担当しています。趣味は推し活、旅行、ダンス!最近では美肌作りにもハマっています。

藤原(ふじわら)
:2019年入社。配属時から現在まで商環境チームに在籍しながら、ウィンドウディスプレイなどジャンルを問わず様々な案件を担当しています。

川越)これまで私たち2人が案件で携わったことがある先輩から、取材相手を選ぼうということになり、今回はプランナーの中島 健希(なかしま げんき)さんにお声がけをさせてもらいました!
藤原)よろしくお願いします!

1.入社までの経歴や趣味について

川越)それでは、早速ですが、入社までの経歴について教えてもらえますか?
中島)鹿児島県出身で高校まで地元にいて、岡山の大学に進学しました。大学では「インフォメーションデザイン」というものを勉強していました。
藤原)「インフォメーションデザイン」とは、どんな内容なんですか??
中島)人間工学をベースに、人とモノ・サービスとの間にある関係性をデザインする学問で、どのような情報をどのような状態でユーザーに提供することが心地が良い体験につながるのか、審美性を感じるのか、そういったことを研究していました。タブレットや携帯の操作画面、プロダクトの操作部などが主な制作物で、画面上でデザインしたパーツを数ピクセルを動かして見え方を検証してみたり、人の反応をセンサーで捉えて映像を変化させたり、博展のDI(Digital Integration)チームが研究しているようなこともやっていました。
藤原)なかなかニッチな研究ですね。空間デザインというよりは、プロダクト寄りの勉強をしていたんですか?
中島)プロダクトもグラフィックも幅広く勉強したけど、図面を用いて空間を描くようになったのは、空間デザイナーとして入社してからなんだよね。
川越)そうなんですね!なぜ、博展に入社することになったんですか?

中島)ミーハーなところもあって、地元を出たら東京で新しいものや流行を生み出すような働き方をしたいと思っていたんだよね。就活ではテレビ局も受けたし、広告やデザイン業界も広く受けたりして。そして、広告業界という大きな括りで面白そうな会社を探していた際に、「博展」を見つけてエントリーだけしておいたんだよね。
 当時「都会に出て新しいこと沢山学ぶぞ!」っていう知識欲があって、出身の鹿児島や大学があった岡山には中々見たい展覧会などが来ないので、お金を貯めては、大阪や東京に頻繁に情報収集しに行ってました。そして、たまに東京の大学にもぐりこんでは、気になる教授の講義を一番後ろの席で聴講したりもしてました(笑)。
藤原)わざわざ、他の大学にもぐりこんでまで勉強しにいってたんですね。

中島)あるとき早稲田大学で、卒業生である当時社長の田口さん(現会長)が2〜3年生向けに「広告・ディスプレイ業界」のことを講義する授業があるのを知り、就活でエントリーしていたのもあって岡山から聴講しにいったんだよね。そこで「展示会」は企業やブランドが社会に製品や情報を出す前に自社をアピールできる場だから、世の中の人より、情報を先に知れる業界だなと思ったんだよね。
川越)なるほど、確かにそうですね。
中島)それで博展のことを調べたり、長い選考に参加したりするうちに興味が湧いていって。4次試験の作品選考で、南さん(現最高クリエイティブ責任者)、中北さん、北川さんというクリエイティブ職の方々が面接官だったんだけど、自分は建築や空間デザインの出身ではないから図面も模型もないし、自分が専攻している分野は印刷すると内容がよくわからないよなあ、と思って、作品を紹介するコンテンツをプログラミングを組んでつくって、実装したタブレットをその場でプロジェクターに繋いで映像を動かしたりしながらプレゼンして見せたんだよね。
藤原)今ならDI職の採用もあるので分かりますが、当時は珍しかったんでは…。
中島)そうだね(笑)。岡山からスーツケースに機材を詰め込んでゴロゴロ持ち込み、その場で実際に投影してみせました。
川越)すごい(笑)

中島)南さんが、その場で「君とはぜひ一緒に働きたい」と言ってくれたのが、すごく嬉しくて。当時その他に、プロダクトデザインの会社やインターネット広告の会社に進むという選択肢もあったけれど、最終的には、選考で出会った博展社員の皆さんの人柄や、南さんに言われた言葉が心に残っていて博展に入社することにしました。

藤原)学生の頃から今の健希さんの片鱗が…。知識欲がすごいですね。
中島)毎年、自分の誕生日に、その1年間で何を勉強するか、アンテナを向ける方向性をなんとなく決めているんだよね。80歳ぐらいまで生きることを考えると、毎年少しずつでも勉強していけば、自分にとって生きることが少しだけ有利になっていくと思って。あんまり趣味とかないんだけど、気が向いた時に勉強する、それが趣味と言えば趣味かな。

川越)ちなみに今年は何がテーマなんですか?
中島)公私でいくつかあるのですが、仕事に関連するところだと、改めて”クリエイティブ表現”の勉強をしています。宣伝会議さんのコピーライター養成講座に私費で半年間通っていたり、海外の広告賞を受賞した作品の映像を見返して再解釈してみたり、社内研修制度のCDAを使って有名なクリエイターの社外研修を受けさせてもらったり、マーケティングと掛け算できる”表現”の勉強。ちょうど6月が誕生日なので、次はどの方向性にアンテナを張っていくか、考え始めているところ(取材は6月末)。
藤原)私は、年末年始に立てた一年の抱負を、翌年には覚えていたことがないです(笑)。
中島)個人的には、誕生日の方が「〇〇歳の間にやろう」っていう気合いが入るからいいなと。勉強すると言っても、ほんとに小さいテーマの年もあるし、色々あるよ。30歳になった年は「イケてる30代」を研究したりもしました。一見くだらないことも、まじめにやるとおもしろい(笑)。
川越)徹底してますね!

2.入社後のキャリア

川越)それでは、入社後のキャリアについて教えてもらえますか?
中島)空間デザイナーとして入社してからの4-5年ぐらいは燻っていて、実はほとんど良い評価をもらったことがなかった(苦笑)。
藤原)今では考えられないですね…!
中島)採用してくれた会社の期待に応えなきゃ、という気持ちとは裏腹に、実力が追いついていないのに”うまく”やろうとして空回って失敗したり、落ち込んでパフォーマンス悪くなって上司や周りに迷惑をかけたり、単純に仕事量やスピードや求められるクオリティに付いていけず、当時はボロボロだったと思います(笑)。
 そんな中でも、元々、自分で全部やりたいタイプだったので、デザイナーだったけどプランニングも自分でやって企画書も作って、勝手に自主提案していたりしたんだよね。そうしたら、4年目のとある金曜日の夜に南さんに呼び出されて、「ゲンキは来週月曜日からプランナーになります」と突然辞令を言われたんだよね。
川越)え、来週から?!
中島)そう、週明けから(笑)。正直、デザイナーにも未練があったんだけど、デザインもプランも全部一人でやるのは限界があるし、役割が違うだけで実現したいゴールは一緒かと思い、そこからプランナーになることに。

藤原)私たちは5年目なので、デザイナー時代の健希さんを知らないのですが、一緒に案件をやるときに論理的なので、とてもプランナー向きだなと思ってました。
中島)今思うと、デザイナーのときには、自分の考えをうまく形にできないことに葛藤して、苦しい4年間を過ごしていました。
 職人気質があって、自分で満足できるデザインをすることにこだわりがあったけど、プランナーになったら、自分よりも優れている人に任せたり、周りの人のいいところを伸ばして活用したり、アウトプットする際に仲間を頼れるようになったのが大きな変化かな。
藤原)私は論理的に考えることが苦手で、感覚的に動いているんですが、ゲンキさんと仕事をすると言語化してもらえて、とても動きやすくなります。プランナーの人と仕事をするってこういうことなんだなと感じます。
中島)ありがとう。周りの人が動きやすいように、モヤモヤしているものを言語化してゴールイメージを共有することには気を遣っているので嬉しいです。
藤原)ほんとにゲンキさんの知識量がすごくて、何に対しても質問の答えが返ってくることにいつも驚かされます。

3.キャリアを切り拓いたきっかけ、ターニングポイント

藤原)それでは、キャリアを切り拓いたきっかけ、特に他のプランナーの人との違いや差別化をどう築いていったか教えてもらえますか?
中島)プランナーになった年がターニングポイントになっているんだけど、デザイナーからプランナーになったことで、社内の様々な企画書を見る機会ができたんだよね。
 そこで、”納得感のある企画書”と”納得感のない企画書”があるということに気がついて。そこから、クライアントは何を基準にプランを選んでいるんだろう、どういう人たちと一緒に仕事をしたいと思うんだろう、ということが気になるようになり、色々なお客さんと会って、案件以外の話もするようになったんだよね。

川越)そこからどんなことが分かったんですか?
中島)それは、当たり前なんだけど展示会やイベント、キャンペーンやPRなどは数ある企業活動のうちのひとつであるということ。オリエン資料の背景には、お客さんそれぞれがそれぞれの施策に期待する役割や本質的なゴールがあるということ。
 それに気づいてからは、ブランドや企業と顧客の接点づくりから目的達成までの、あらゆるクリエイティブの施策を含めた”体験のストーリー設計が重要“だと感じるようになったんだよね。ただデザインがすごいです、圧倒的存在感があります、という点での提案では意味がないと思って。博展の中で、「このイベントやクリエイティブコンテンツを使って、社内外とこういうコミュニケーションを取りましょう、そうしたら、その先でこういうことが実現できます」そこまで考えて、企業やブランドの根幹からコミュニケーションデザインを体験設計に落としこんで提案する人が当時は少ないのではと感じた。
川越)なるほど。
中島)そこから、まずはお客さんが知りたいことを勉強すればいいんだと思うようになって、ブランディングやマーケティングの勉強をプランナー1年目に必死にしました。
 田上さんや中島優太さんをはじめ、色んなタイプの優秀な先輩たちから企画のフレームを盗んだり、勉強会に参加したり、有名なマーケッターやブランディングエージェンシーのSNSやニュースをチェックしたり。
藤原)勉強好きの健希さんらしいですね。

藤原さんはオンライン参加

中島)それで、勉強してきたことを、実際の仕事で実践してみるようになったんだよね。そうしたら、なんとその時期に提案関与した案件、全て受注して実現できたんだよね!
 競合が立派な模型作ったりイメージパースを何枚も描いて、一回りも二回りも上の世代の大人が大人数で競合コンペに挑んでいる中で、イメージも出さず、与件に対する提案方針と「御社がイベントをきっかけにやるべきこと」みたいなオリエン情報には与件として記載がないけれど、背景を考えると絶対に必要だと思う長期目線のコミュニケーションプランを数枚の資料でまとめて、それで受注できたり。
川越)すごい!
中島)お客さんが求めていることをナレッジとして自分が持っていること。つまり、与えられた時間で誰よりも考えたという事実が、自分にしか創り出せない価値に繋がり、プランナーとしての自信や強みになると思った。そこから、業界や社会トレンドなどを必ずウォッチして、プロフェッショナルとして求められていることは、全て応えられるようになろうというスタンスになりました。ちゃんと知っていて、ちゃんと考えていれば、自信を持って提案できる。
藤原)健希さんの性格とやっていることが、一致した感じですね。
川越)一緒にプロジェクトに携わった際に、健希さんはお客さんが求めることを理にかなった形でプランに着地させられるという実感がありました。
 今の博展のプランって、大体そうなっていることが多い感じがしますが、それまでなかったものを創り出したのは健希さんなんだなと思いました。

中島)自分がプランナーになった頃は、クリエイティブが強いからこそ、そこに頼っている提案が数としては多かったかな。かっこよかったり、面白かったりはするんだけど、ビジネス課題を解決できているかと言われると、どこかそうも言い切れなかったり。当時、社内に戦略的なプランや長期目線でのコミュニケーションプランをつくる人があまりいなかったから、そこに注力したら、この会社・業界で生き残れるのではと思ったんだよね。クリエイターとしての一種の生存戦略だよね。
 それで、自分はデザインの経験もあるから、戦略×クリエイティブのハイブリッドでキャリアを進めていこうと思ったんだよね。

▼戦略×クリエイティブの切り口で過去に関与した案件(一部)

藤原)今でも、孤高のポジションのイメージですね。その他、印象に残っている案件はありますか?
中島)ある外資ブランドの100周年のプロジェクトかな。コンペでクリエイティブ・エージェンシーと2社に残って、4度の再提案の末、最終的には一緒に分担してやっていくことになったんだけど、自分が演出プランとして提案した、ブランドの思想として共通点のあるとあるブランドとの特別なファッションショーの企画が採用されたんだよね。
 それまでは、「自分ができる(想像できる)ことで存在価値を発揮しなければいけない」という”自分一人の価値”に変にとらわれていたけど、社外のクリエイターを巻き込んだら、自分が想像できる以上のもっと面白いことができた!ということを実感したんだよね。今では社外のクリエイターと一緒に協業することが普通になっているけど、自分が中心じゃなくてもいいから、社内外の面白い人たちを巻き込んでいったら、チームでもっと面白いことができる!と感じた良い経験になりました。

4.今後のやってみたいことや展望について

川越)最後に、今後やってみたいことについて教えてもらえますか?
中島)人生の中でやってみたいリストだと、1つめがワールドカップ等のオープニングの演出かな。その日を迎えるまでに各方面のプロフェッショナルたちの重ねられた努力や鍛錬によって、人々に熱気が広がっていくような、総合芸術のような仕事をしてみたい。
 もう1つは、自分がブランドのオーナーになって、マーケティングやブランディングを武器にして、一つのブランドを育てる仕事をしたい。0から商品やブランドをつくっていくもの。誰かによって作られたものをプロモーションを使って伸ばすだけではなくて、最初から育てる仕事をやっていきたいですね。
藤原)今、地方である鞄組合の仕事をしていますね。
中島)そうだね。今は外部ブレーンとして長期ブランディングやマーケティングのサポートをしている形だけど、今年か来年あたり、地元の人たちと一緒に渾身のプロダクトを作って販売して、一緒に育てるようなことができたらいいなと思っています。すごくいい機会だと思っているよ。
 この業界だと他社のCMO(Chief Marketing Officer)を兼務していたり、自分のブランドを持って活動している人もいるので、博展と自分のブランドの2足のわらじを履くようなキャリアができるといいなと思っている。そのためにも、勉強したことを実践できる機会がもっと増えるといいなと思っているよ。
藤原)先輩たちが色々なキャリア、働き方を描いているのをみると、すごく私たちも刺激になります。

中島)あとは、社会課題を解決するなんて大きな事でなくても、目の前の仕事を通して世の中の誰かが少しでも幸せになったり、社会の一部がいい方向に向かう解決のきっかけをつくれたり、新しいカルチャーが生まれたり、そういう企画に貪欲にチャレンジし続けたいなと思います。会社と一緒に成長をしていきながら、クリエイター自身としても、”良い企画を実現できる”という価値や自信を伸ばしていきたいよね。
川越)素敵ですね!

中島)余談ですが、自分が過去に行った“イケてる大人”研究によると、条件の一つに「いくつになっても学びをやめず価値観をアップデートしていけること」が挙げられるので、これからもずっと世の中の変化に対応して、常に新しいことを謙虚に素直に学び、実践していきたいと思います。

ーーインタビューありがとうございました!!

あとがき

川越)今回のインタビューで改めて健希さんの凄さがわかりました!「お誕生日に1年間で何を勉強するか決める」という趣味、ぜひ私も取り入れていきたいです!

藤原)一緒に案件を進めさせてもらう中で、健希さんから出てくるさまざまな知識や、物事を言語化する力に圧倒されることが多く、健希さんは今までどんな風に仕事をされてきたんだろう?と、ふと思ったのが今回キリヒラでインタビューをさせてもらったきっかけでした。
 実際にお話をお聞きしてみて、ここまでやるか!と、とても腑に落ちました。 自分が気になることや勉強したいことを追求して、その知識や能力が仕事でお客様のためになっている姿はとても素敵だなと思います。
 私は目標を立てても立てたこと自体を忘れてしまうタイプなので、健希さんの勉強スタイルをそのまま真似することはハードルが高そうですが(笑)、デザイナーとして仕事をする上で、自分が追求するべきことは何かを常に意識して過ごしていきたいと思いました。貴重なお時間をありがとうございました!

(取材、ライティング:村松、タイトル画像編集:松本哲弥)

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