祖父の意志を感じに
写真の向こうに見えるのは宇治島
瀬戸内海 に浮かび今は無人だ。
この島には漁船とかチャーターしないと今はいけない。
しかし、写真を撮っている方の島からこうして全体がみえる
私達家族が来たのは走島。ここは300人位の人口と 100以上の猫がいる。
漁業と養殖海苔が産業だ
数件泊まれる民宿もある
今は89歳になる母と、昔生きてた父や家族で たまに宇治島へ船で行って海水浴やらした。
実はこの 宇治島は 祖父が貿易業を起業して持っていた島であった。
私が小さな頃の記憶は、貿易会社に働いてた社員寮があり、100人位いたのだろうか? 若いお姉さん達の部屋に遊びに行っていた
その頃は織物業、木工、鉄鋼業、染色と
記憶がある
敷地には広い広場があり、そこで社員さん達の運動会もあった。
今思えば戦後の 皆んな凄い勢いで働いていたときだ。
祖父は瀬戸内海に浮かぶこの宇治島に村をつくり、開拓して
戦後中国から帰ってきた人達に
住居も失った広島で
生活の場所と 学校 教育と
この島を そんな場所にしていた。仕事出来る年齢になれば、貿易会社に入れて職を提供していた。
これは、祖父がなくなり知ったが
子供ながら、いつも学校みたいに広い建物に 寮があり 沢山すんでたお姉さん達がいたことははっきり記憶にある
その後、この宇治島は福山市に寄付し今に至っている。
私自身 18歳から福山の地を離れて関東で暮らしてきたから、あまり祖先の事にふれる機会がなかった。
母が89歳になる機会に、私の子供や孫をつれて 祖父の意志を感じに、こうして宇治島が目の前に見える走島にきたのだ。
今ウクライナで戦争が起き、生活の場所も壊され、たとえ戦後になっても彼らは生活の場所を失っている
そんな事が頭をよぎり、祖父の意志を感じてみた。
母と話しができるのも、もう何回もないだろう、沢山昔の話しを聞きたかったが、ひ孫と遊ぶ姿が微笑ましく
家族皆んなで この浜から宇治島をみていた。
先祖から続く、こんな意志や想いを感じに
きっと私が知らない悪いこともあったんだろう、でもこの島を見たら祖父の想いも想像されてくる
また、ここに母と孫やらつれて
帰ってこよう。
こんな生き方した、祖父がいたことに私はありがたく思ってる
さて、私には何ができるのかな?
いつも考えるのだ
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