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人生の扉

竹内まりやさんの「人生の扉」この曲を 桜の時期よく聞く

10年くらい前から 入退院を繰り返したり、
危篤になったり

体の色んなところに支障が出てきた。
一時はカメラも、箸すら持てない時期もあり
介護用ベットを用意しようと思ったくらいだった

九十歳になる母は、私より先に死なないでくれと いつも電話で言う。

大地と桜

桜が咲く時期になるたびに、
あーー今年も満開の桜が 自分の足で立ってみれる幸せを噛み締める

写真家としてものすごく沢山の 桜を撮影してきた
3年前だろうか?一つだけ心残りだった
弘前の花筏も、
12時間くらいかけて車で 
二人で運転して家族のニャンズも一緒に青森の弘前まで走ったものだ。
じっくり撮影したかったから 私はニャンズと残り
岩木山中腹にテント張って、毎日 弘前まで通勤撮影
その期間にテント泊で 雪も降った。。。笑

花筏を撮影のためには たった二日間くらいしかない。
この事実も行って初めて体感して知ったことだ
この情報をくれた仲間に感謝する

そしてすぐに行動して車を走らせた うちの人の協力に感謝する

私が人生で後悔することがないように
いつも力を貸してくれる

岐阜の雨の中の桜も
群馬の芝生の上で桜吹雪の上で寝たことも
新潟の八重桜も
長野のアルプスの雪山と桜も
山梨の富士山と桜も
有名でもない埼玉で一期一会だった 雪と桜も

埼玉で突然の雪
最高の撮影になった

書き切れないほど、
いや思い出せないくらい
その場で空気と風を感じて 作品を残してきた

ただ、まだ心残りはそれをまとめてないことだ

実は今年は心が動かない自分がいた
桜が咲き始めた頃から 
うちの人に
どこにいきたいの?って聞かれていた

弘前の花筏
雪と桜
これを感じ 残して 完了していたところがあった
心が動かされる何かがなかった
てか、数年前より体の元気も落ちて
えいってなれなかったのかも?

岩木山と桜
弘前城花筏
青森のなもない場所

週末雨でもフリーの日があった
観たい、感じたい、作品にしたい 何もなかった
ただ寝て起きて雨の音を聞いてベットの中で
半世紀前に亡くなった、父が恋しくなり

意識が山梨に向かった
そしてこの日温泉で一日、体力回復する予定が
さくって、車を走らせた
それもまたうちの人の助けがあってだ。

散りゆく桜の恋

今は自力で運転を何時間もして
重い機材持って撮影するには 体が持たない
集中ももたない

ありがたいことに
高齢の
お客さんから 昔ここに行った桜を作品にしてほしいと言われることがある
もう自分では行けないから
行ってきて欲しいと

ありがたい仕事だと思う反面、自分にもそんな歳が来るんだろうな?とイメージする

誰かの役に立つのはありがたく、やりがいがある

その人にしかない思い出
ご夫婦や親子で訪れた桜の景色

それを叶えられる自分がやってる仕事も好きだ
誰かの心のほっこりする助けが少しでもできたら幸いだ

死ぬまで自分の役割や仕事ができるのは幸せなことだと思う。
ただもう今の自分は一人では、なかなかできない

だからこそ、日々体力だけはつけるように意識してる

これからも、
誰かの心の癒しになる桜は残していこうと思う
特に動けなくなったご老人、遠くまで行けない人に

そんな思い出の場所の依頼はいつでも気楽に連絡ください。
私の体が動くうちは お受けできます

よく側で見てる友達が
私の過酷にする動きを見て心配してくれるが、中止! 医療費かさむよ! とリアルな声をかけてくれる。でも、その友も あーーーこの人は 人じゃなかった。。。。って思い出すようで。。。笑うことがある

何度も死にかけたから、
いつ亡くなってもいいように 生き抜いてることを!

死を待つことより、必ず訪れる死後の日まで心置きなく生き抜く
幸せな瞬間だ

来年は90歳過ぎの母を連れて 桜を一緒に見たいと今は思っている

坂本龍一が3月28日に亡くなった
まだ七十代の若さだが、ガンとの戦いでその中でも彼は音楽を通してメッセージを残して来てくれた。そして人の命は尽きても、芸術は残っていくことを教えてくれた。

今、まさに東欧での戦争で
多くの命も そして芸術品も壊されていってる

同じ人間たちのエゴが絡み合って

四季がある地域に住む自分たち
また来年も 平和で気持ちよく桜の木の下で
風も香りも色も 多くの生き物も感じたいものだ

世界よ平和であれ!
まさかこの想いは中学の頃から感じていたが
50年以上立って、同じ願いを持つとは?

人間とはまさに 歴史を繰り返し 忘れる生き物だ!

ありがとう2023年の桜よ
また来年会おうね

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