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受験前日の大きなエビ

藤村公洋さんとの往復コラム vol.6

前回のコラムはこちら↓ テーマは「受験」でございました。藤村さんのお父さん、いいですねえ。なんかショートフィルムを見ているような気持ちになりました。藤村俊二さんみたいな人をお父さん役に配しつつ想像。いや、名字が一緒だからとかじゃないですよ。

さて「私と受験」ですが、高校受験がとても大きな思い出になっています。

中学3年生の一年間はとにかく勉強だけしていました。そう言い切れます。毎日18時から1時までが勉強時間。塾は週4回、プラス大学生の家庭教師さんもお願いして。ひたすらに志望校の過去問を解いていたんだったかな。もう内容はうろ覚えですが、そんな毎日。と書くとなんか無味乾燥というか、ハードでつらそうに思うかもしれませんが、本人そんなに悲壮感はありませんでした。特に、他にやりたいこともなかったんです。特に仲のいい人もいませんでしたし、遊びとかゲームとか熱中できるものもなかった。夜中に勉強に飽きると、自転車でローソンに行って、そのころ売っていたコーン入りのコロッケを買ってひとり食べるのがあの頃の息抜きでしたね。ため息なんかつきながら。若さがないなあ(笑)。

ぼんやりベンチで腰かけてるとね、たまにクラスメートのちょっと悪いのがウロウロしてて声かけてくるんですよ。「お、篤司じゃん。お前、タバコ吸ってみるか?」なんてね。吸ってみました。むせなかったけど、さほどの感動もなく。「すぐに家に帰るとニオイでバレるぞ」なんて教えてくれましたね。前野君という名前だったな、いまい思えば気が利くひとだった。CD貸して返ってこなかったけれど。

さて、「中3の一年は勉強しかしていなかった」などと胸を張ったわりに、第一志望の学校にはものの見事に落っこちたんです。武蔵境にある学校だった。いまでも発表を見に行って、自分の番号がなかったときの糸が切れたような感覚は覚えていますね。「通電終了」、みたいな。しばらく動けなかったです。現実を受け入れられなかった。キャパ小さかったですねえ、15歳。

最寄り駅で親に電話しました。「ダメだった」と告げると、母親が「そう……」とだけ言って、ため息をついたんですね。今でも覚えてますけどその瞬間急に「申し訳ない」という感情がすごく強く生まれてきてね。期待に応えられなかったと。気持ちがこみあげてきて、涙がどんどん出てきたんです。思考停止でぼんやりしていたのが、一度に生々しい感情が湧きおこってきて。電話を切って、息を殺しつつホームでとめどなく泣いていました。いや息を殺せてなかったのかもな。ああいうときって見事に周囲の人たち「見ないふり」してくれるもんですね。

覚えてるんですけど、「受かりたかった」「くやしい」という気持ちよりも、親をガッカリさせてしまったことがつらかったんです。それは孝行息子とかそういうことじゃなくてね、ええかっこしいなんですよ。親によく思われたかったんですね。自分の道を考えていない。ダメですね。当時の自分に会えたとしたら、「お前、見栄っぱりだなあ」と言ってやりたい。将来的にこの呪縛からはきれいに離れられたのでよかったですけれども、あのままだったらどうなっていたことか。

そうだ、受験日の前日に父親がちょっといい中華料理を食べさせてくれたんです。「景気づけ」だったか、そんな理由でしたね。「壮行会だ」なんて言われたな。でもやっぱり、私がナーバスなもので全然盛り上がらないんです。親もさしてノド通らなかったんじゃないかな。エビが大きかったことだけ覚えてる。エビチリじゃなくて、塩炒めみたいなの。あれ、今思い出してももったいない。エビはもっとおいしくいただくべきですね。エビのまわりについた片栗粉の「ふよふよ」が冷めておいしくなかったことが思い出されます。もったいないことをした。合格発表を見てから家に帰るとき「高いエビ、無駄になっちゃったなあ」なんて思いましたね。エビに申し訳なかった。

うーん。次回ですけど、「景気づけの食べもの」でいかがでしょうか。自分を上げたいとき、人を送り出すときの食べもの。誰かのお祝いに作りたい食べもの。と聞いて何が浮かびますかね。そんなテーマを、次回のバトンにいたしましょう。


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