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グジュとたま子、我が家の猫のこと

グジュとの出会い

 あれは2017年9月のこと。
 ツレと隣駅で待ち合わせをして、図書館に寄った帰り道だった。駅の近くに人だかりができている。のぞいてみれば保護猫の譲渡会。私たちが借りているマンションはペット可、縁があれば飼いたいねとは以前から話し合っていた。「入ってみようか」と、ごく軽い気持ちで飛び入り参加。子猫のまわりは人だかりで「カワイイ~」と黄色い声が挙がっている。その檻の片隅にぽつんと、目ヤニを両目いっぱいにたたえた子猫がいた。毛並みも悪く、ちょっと弱々しい。

「抱いてみませんか」
 不憫に思っているのを察したのか、保護団体の方が声をかけてきた。子猫を差し出される。私の片手にすっぽり入る大きさ、なんて小さいのだろう。むき出しの生命がそこにあるようで、実に脆く、儚いものに思えた。私は抱くのがなんだか怖くなり、ツレに受け取ってもらった。するとその子は目をつむったまま胸元をすぐに探り当てて、ヒシッと捉えて離さない。そしてすぐに寝てしまったのである。
「どうしようこの子、離れへん」
 戸惑いつつもツレが嬉しそうに笑う。寝場所を見つけたその子は安堵してるようにも見えた。
「あら、選ばれちゃいましたね」
 団体員の方が微笑む。この時点で私らすっかり……離れられなくなっちゃったんである。
「どうしようか」
「どうするもこうも」
 飼おうよ、と声を合わせた。だからといってハイどうぞ、とはいかない。うちの事情を質問されたり説明したりと色々あって、幸いにも譲渡していただけることになった。受け入れる設備やらを整える期間も必要なので、1週間後の受け渡しに。
「お母さん猫が妊娠中に保護されたんです。だからこの子は野良経験なし、なつくのも早いはずですよ。もうすぐ3か月目のオスです」

 帰り道、私たちはだんだんと興奮してきた。うちに猫がやってくる。
「ねえ、名前どうしようか」
ツレが問うたとき、ふと目ヤニでグジュグジュのあの顔が浮かんだ。
「グジュはどうだろう」と、自然に口から思いがこぼれた。それしかないと直感した。「ええ? うーん……そうねえ、いいかもね。ちょっとフランス語っぽいし」とツレも悪くないようで、即決に。
 獣医さんにもらった目薬をさしていたらすぐに目は治り、驚くばかりの明眸が現れたのには驚いた(親バカ御免)。そして「なんでグジュって言うの?」と人に聞かれて説明するたび、私は最初に会った日の様々な気持ちを思い出すのだ。

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  グジュさん、うちに来たての頃

 グジュは実に飼いやすい子だった。すぐにトイレを覚え、粗相はゼロ。爪とぎも専用のところでしてくれる。おとなしくて、私が原稿を書いていても邪魔をせず、そばでちょこんと座っているうち寝てしまう。
 けれど、初日は手こずった。ソファの下に隠れて30分は出てこなかったろうか。やっと出てきても、食べない。保護団体の方から、施設で食べていたエサを分けてもらっていたが、全然手をつけないのである。真夜中になっても食べず、私は気が気でなかった。このまま衰弱したらどうしよう! 
「そのうち食べるよ」
 実家で猫飼い経験のあるツレはさっさと寝てしまう。「なんと冷酷な……こんなんでは将来私に何かあっても介護放棄されるのでは⁉」などとアホなことを思うほどに私は動転していた。数時間が経ち、ぬるま湯でエサをふやかして口に近づけたらようやく少量をポソポソと食べ、それからどんどん食べた。安心してヘナヘナと力が抜け、時計を見ればもう夜の3時半過ぎだったのを覚えている。


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 その後すくすくとグジュは成長、私は順調に見事な親バカになっていった。ずっと可愛らしく思っていた友人宅の猫を見ても「うちのほうが可愛い」などと思ってしまう。テレビCMに映る猫を見ても「これで採用されるならうちの子も絶対イケるはず」なんてド厚かましいことを思う始末。ホント、手に負えない。

 忘れがたいのはワクチン注射のとき。グジュが針を刺された瞬間に上げた「アーン……!」というか細くも長い叫びは今も耳に残っている。必死で痛さに耐えているのが伝わるその響き。涙が一瞬にしてあふれた。人間の勝手でつらい思いをさせていることが申し訳なくてならない。涙が止まらない私を前に、グジュはいつしかケロリとしたもの。その姿が健気に思えてまた涙。看護師さんに「グジュちゃんより白央さんのほうが大変そうね」と笑われた。

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2匹目の猫、たま子

「きょうだいと一緒に箱詰めにされて捨てられていました。この子と、もう1匹だけが助かったんです」
 保護団体の方がそう教えてくれた。また譲渡会があったのでのぞいてみたら、茶色い毛の、元気な子が印象に残る。推定、生後2か月。なんとなく感じるものがあり、うちで引き取ることに。2019年の5月だった。

 とにかく、食べっぷりがすごい。冗談抜きで、憑かれたかのように食べる。捨てられたときの飢えの記憶がそうさせるのかと思えば不憫だった。そして、よく食べはするけれど膨れるのは腹ばかり、顔つきや脚はガリガリ。ふくよかに、珠のように丸くきれいに育ってほしいと願いを込め、たま子と名づけた。

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 たま子はとにかくよく鳴く。正直最初は辟易した。
「ごはんをもっと!」
「相手してもっと!」
 なんらかの訴えがあれば力強く鳴き続け、だんだんと音量も増してくる。ケージなんか入れようものならもう大変、さながら自由と解放を求めるレジスタンスだ。
「こんなとこイヤ!」
「出してーッ‼」
 あきらめずにずっと、ずうーっと叫び続ける。その根性に私は気圧された。「もっと食べたい!」「離れないで!」と力の限り叫び、吠え、請願してくるそのガッツ。たま子ではなくガツ子という名前がふさわしかったかもしれない。このガッツで、箱詰めにされて捨てられたときも叫び続けたんだろう。だから、誰かが気づいてくれて、保護団体にたどり着くことができたんだ。もう叫ばなくていいんだよ、と通じるわけもない言葉をかける。

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 グジュとはすべてが正反対だった。グジュはおっとり内気で甘えたがり。たま子は勝気で活発、甘え下手。ふた回り以上も体の大きなグジュと引き合わせてもまったく動じず。「カモン!」とばかりに飛びついて、追いかけっこを誘うのはいつもたま子だ。まだ小さいのに腰が据わってて、猫パンチなど切れ味バツグン。前世は名のあるボクサーだったんじゃなかろうか。
 
 そんなたま子パワーにあてられたのか、グジュは同居3日目から体調を崩し、食事をとらなくなってしまった。壁を向いて座り、私の呼びかけにも応じない。動きも緩慢になって、目からは生気が消えた。獣医さんのアドバイスに従って2匹を隔離した。
 このときは、つらかった。グジュは本当に目がうつろになって、大好きだったおもちゃにも反応しない。食欲は無くなるばかり、大好物の「ちゅーる」も残してしまう。あんなに夢中になって食べていたのに。
 私は焦った。もし、このままの状態が続いたら……。お構いなしに鳴き続けるたま子。その声にまたグジュは参っていくようだった。もちろん、たま子に罪はない。簡単に2匹目を飼おうと決めた自分の軽挙が悔やまれてならなかった。自分を責めた。 

 幸い、隔離して2週間を過ぎた頃からグジュは次第に元気を取り戻していった。なのでちょっとずつ、たま子と一緒に過ごす時間を設ける。隔離から17日目、グジュが突然たま子を毛づくろいした瞬間が忘れられない。思わず「えっ、いいの? 大丈夫⁉」なんて声に出して問いかけてしまった。たま子は気持ちよさそうに目をつぶって身をゆだねている。そこからの展開は早く、昼寝も一緒にすることが多くなり、じゃれ合う時間は増していった。
 グジュよ、受容してくれてありがとう。感謝しています。
 
 いま原稿を書いているそばで2匹は床に寝そべっている。グジュは私の足にひっつき、たま子はグジュの背中を枕に。たま子は順調に成長して、表情は柔和になり、「どうやら、食いっぱぐれはなさそうだな」と理解したようで、食事のときもがっつかなくなった。

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 今はともかく、二匹とも元気で長生きしてくださいと願うばかり。

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