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数年ぶりに暮れの帰省(26日~28日)

額の曲がりを直していた。
青森県に暮らす親の家を訪ねるのは数年ぶり。母が絵を習っていて、描き上げた絵があちこちに飾られてあるのだった。うーん……なんかちょっと傾いてるよな、どれもこれもなんて気になりだしたら止まらない。

トイレには2枚の小さな絵がある。ひとつは額が汚れていたので、洗剤をつけた布で拭いたらさっぱりときれいになり、見違えた。ついでに台所のちょっとした汚れも吹く。テレビ裏なんかも拭きたくなる。あちこち拭いたら気持ちがスカッとして妙な達成感を得られた。年末って感じ。

こんなふうに書いているといかにも年寄りの汚れた家のようだが、全般に掃除や整理が行き届いていて感心してしまった。ああ、毎日まめに手入れして暮らしているんだな…と。家がきれいに保たれているというのは視力と気力が衰えていないということでもある。親は団塊の世代で70代後半。コロナ前から不義理して実に6年ぶりの再会だったが、元気そうで心からホッとした。

この絵は曲がっていなかった

電話やメールのやりとりはマメにしていたけれど、会ってみたら「老けたなあ……」なんてことになるのかと覚悟していたが、姿勢も歩幅もほぼ変わらない。父の変わらぬ運転のキレの良さと駐車の正確さには惚れ惚れした。目も全然かすまないらしい。すげえな。

転勤族だった父は仕事をリタイアした後、故郷である青森県の八戸に戻って家を買った(正確には母の貯金で買った。こう書かないと母が怒る)。だからここは私の実家ではない。実家を辞書で引くと「人の生家」(新明解第七版)、帰省は「郷里に帰ること」とあるので、正確を期すならこのnoteのタイトルも「数年ぶりに暮れの帰省」ではなく「数年ぶりに暮れに親の住んでる家を訪ねた」になるんだが、長いし、妙な感じがするので帰省とした。

友人から「今年は実家に帰るの?」なんて訊かれると、内心いつもちょっと困るが、説明してもしょうがないかと黙っている。でもまあ、実家ということでいいかな。実の親の家、略して実家ということで。

翌日、車で八戸港そばの市場へ行く。
ああ、海が見える。北東北の冬の海、鉛色というか黒ずんだ水の色を見ると、冬の太平洋だなと思う。小さい頃から何度も父の実家は訪ねているので、目になじんだ景色ではある。にぎやかさとか陽気の対極にあるような景色。しかしこの海から冬場に揚がる鱈やひらめや貝類は極上の味わい。そう思うと印象も変わる。

市場のショーケースをのぞいて、テンションがぐうんと上がった。ハリがあっていかにも鮮度のよい鱈の白子、プリッとした鱈の切り身にノドから手が出て、思わず購入。刺身用のいかも小ぶりだが安いぞ! うれしくなるなあ。

そして活き北寄貝(ほっきがい)が1個170円という値段にたまげた(ヘッダーの画像参照)。燃料高騰の折にこんな値段で大丈夫なんだろうか……と思いつつも、8つほど剥いてむいてもらう。

生の北寄貝

夜に北寄貝を昆布だしでしゃぶしゃぶにしていただく。たまらなかった。北寄貝は鮮度が落ちるほど悪臭が出るけれど、一切なくて甘みが強い。そう、北寄貝の甘みは帆立や平貝ともまた違う濃さと野趣があって、いいんだよなあ……ああ、これこれこれ。

生よりもサッと湯引きしたほうが格段にうまいと私は思う。わさび醤油もいいが、たまたまあったもみじおろしとポン酢でやったらもうねえ、酒に合うじゃないの。ふふふ、ゴキゲンである。

いつの間にか三重サッシになった親の家は暖かく、快適だった。「インスタグラムとユウチューブの見方を教えてほしい」と訊かれたので教える。美空ひばりや江利チエミの動画を見つつ、ほどよく煮えた鱈の白子と切り身をつまみにした。
「あんたは食べなくなったねえ」
親の目は、いくつぐらいの私で止まっているのだろう。

翌日はよく寝た。実家というか親の住む家に来ると毎度眠くなる。簡単に言えば安心感なんだろうが、この感じの心地よさは独特で、毎度ながらの「実(の親の)家眠気」には正直に従うことにしている。昼下がり、ガスヒーターがあったかくて気持ちよく、座布団を枕にしてカーペットに横たわった。

数年前、物書きの仕事が全然ない頃は寝ている私の背中に刺さる親視線が痛かった。「これからどうやって生きていくんだ」という言葉を寝ているふりして流したこともあったな、と思い出す。昨年は本を出したので、わりに刺さる視線の感じもなく。ガスヒーターの風音を聞いて、ああ実(の親の)家だなと思う。そのうち親もソファで眠り、寝息が聞こえてくる。ガスヒーターの「ごうっ」という風音と小さないびきが合わさった音がなぜか心地よかった。いや、生活雑音の類なんだが私のそのときの耳にはなんだか音楽に思えたんだった。

少し北寄貝と汁を残しておいて、翌朝のおじやに。北寄貝は熱を通すと一部が紅色になる。汁のうま味がたまらないおいしさだった

2泊して、3日目の昼頃に帰る。
初日は夕飯手前の時間に到着にして、3日目の昼前ぐらいで帰る(昼食は列車内で)というのが、現在の私と親における「いちばん仲良く良好な関係を保つためのベストタイム」なんである。これ以上いると、お互い余計なことを言ったり、口に出さなくてもいいこと言ったりしがちなんだな。

「もう少しいればいいのに」
「そうだねえ」

なんて小津映画っぽく言葉を交わして親の家を後にした。元気でいてねとしっかり顔を見て伝える。昨日のお墓参りでもご先祖様に強くお願いしてしまった。竹司おじいちゃんの耳に届いていますように。

「今年は本を出すのか」と心配そうな顔で訊かれてしまう。実際は1冊予定があるんだが、どうだろうねとお茶を濁した。「また来てね」と父が言う。以前は絶対そんなことおくびにも出さなかった父が弱気になってるようでさびしいなと思いながら、動き出した新幹線の中で缶ビールを開けた。

実(の親の)家から出てきた写真。私は3歳ぐらいかな、1978年頃だと思う


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