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他人の評価で生きている

こんにちは。碧です。
寒くなったり、暖かかったり、
体温調節が忙しいですね、、

さて、今回は私の自己肯定感が
他人からの他己肯定感でできている、という話。

どういうこと?となる方も
いらっしゃるかもしれません。

良かったら拙い文章ですが、
"自信"や"自己肯定感"
そういった言葉のレッテルに悩んでいる方の気付きに繋がればと思います!

まずは、碧の生態について

まず私自身はとんでもなく慎重派で、
マイナス思考で、根暗な私。(卑下しすぎ)(笑)

ひとりだとろくなことも考えないぐらいだし、
周りの目を気にして、気を使って、
時に周りと比べて、強がって、
そんな自分を嫌いになる、、という負のループを割と抜け出せない生態の持ち主です(汗)

自信は持たなくても大丈夫。

よく自分に自信があれば、とか
自己肯定感を高く持とう、とか
耳にします。

私もネガティブになったり、
マイナス思考になったりすると、
そういう言葉が目についたり、
かけられたり、します。

でも、それは気にしすぎなくてもいいと感じることもあります。

というのも、まず自信は持たなくても良いと思っています。

これは『反応しない練習』という本で紹介されていましたが、
そもそも自信というのは
「自分にはこれができる」という不確実な未来の話です。
(度が過ぎると過信になってしまいますよね。)
でも、何事もやってみなければ分からないもの。
飛び込む力や行動力があるかないか、や
今までの経験の積み重ねが次の行動の指標になる
といったぐらいでしかない、という考え方です。

だから、自信はなくても大丈夫なのです。

では次に、問題の自己肯定感について。
ちなみに私は自己肯定感も低く、
いま絶賛高める練習中というところです。

そんな私が何故まともに、鬱にならずに、
日々を生きていけているか。

ここで、他人の他己肯定感が鍵となるのです。

他人の他己肯定感とは?

そもそも、自己肯定感とは
自分の存在を認め、自分は自分のままで良いと思える心の状態のこと。

どんな自分であっても受け入れられると良い、
と思うのですが、そうは行かないのも事実。

自分に厳しく、完璧主義なところがあると
なかなか"ありのまま"を許せなかったりします。
そんな時に、私は信頼のある他人に頼ります。
そう、他己肯定感に頼るのです。


他己肯定感、つまり他人を肯定すること。
私の周りにいるひとは自分も含め、
他己肯定感が高いので、
私を認めてくれるひとが多い。

決して、意味もなく根拠なく褒めたりするわけでもない。ただ承認して受容してくれる。

周りがどうあれ、自己肯定感は低いままだけれども、周りが受け入れて承認してくれることによって、自分の自己肯定感力も少しずつ育ってきた気がします。

他人任せにはならないということ

他人頼りすぎてるのでは?という声も
聞こえてきそうですが、
もちろん全ての気力や生きがいやエネルギーをそこから得ている訳ではありません。

自分の譲れない軸はあるし、
目標に向かって努力すること、達成することで、
プラスに向かっていけます。

でも、自分のものさしでは厳しすぎるところも
『十分できてるよ。凄いことだよ。』と
自分を知るひとが認めてくれると、
案外、見栄を張り過ぎなくてよくなります。
過小評価をしなくて済むのです

さらには、そこで変に甘やかされる訳ではないので、そこで満足して何かが疎かになることもありません。
そういう、絶妙な"承認"が力になっています。

おわりに

いかがでしたか?
案外、"自信"や"自己肯定感"に囚われすぎなくてもいいのかもしれません。

こんなふうに、偉そうなことを言ってますが、
まだまだ私も過小評価しがちです。
理想は生きてるだけで偉い!ってマインドで
過ごせればいいですよね(笑)

自分が信用・信頼しているひとの声にだけ、
耳を傾けたらいいので、
それだけはお忘れないように!

それでは。また次の機会に。

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