教育の地殻変動(3)

子育てに関する話をしよう。
前回の回線格差の問題に続き、今回扱うのは地域格差についてだ。

ここで言う地域格差とは、

「施設や土地の量と質」
「周辺地域に住む子育て世帯の方向性」

の2つの要素のことだ。(自分が勝手に定義付け、名付けているだけなので、その点はご了承願う)
それぞれもう少し噛み砕いた(身も蓋もない)言い方にすると、

・学校の当たり外れ、学習塾の量と質。運動可能な環境の有無
・親同士で足を対立するか、協力し合うか

となる。順に考えていくことにしよう。

学校ガチャの☆☆☆☆☆は何%か?

学校は言わずもがな、あらゆる成長の素地を養う、重要な拠点である。

受験等に注力するあまり、どうでもいいと軽視してしまう人もいると聞くが、これは上策ではないと感じる。極めて特殊な道を進まない限り、通学の義務からは逃れられない。登校し、そこで過ごすというコストを考えれば、各種活動の質が重要視されることに疑いの余地はないだろう。数々の困難に打ち勝ってく力を養うためには、学校ガチャで☆5を引けるに越したことはないのだ。

近年思うところとして、学校という機関は(傍目から見ている限りにおいてだが)学習拠点というより、むしろ社会経験の拠点という方が近い気がしている。実際に学校生活を通して得られるであろう能力を整理していくと、

・学習
・運動
・自己表現
・社会性(子供間)
・社会性(vs大人)
・社会性(vs社会)
・企画運営の取っ掛かり(係活動やイベントの開催)
・独立コミュニティへの参画、同好の志とも邂逅(クラブ活動や部活動)

と多岐に渡る。
例えば社会性の習得に関しては、非常に効率よく出来ているように思う。特に小・中学校は、『公(教育)』の強みを存分に発揮して人を集め、機会提供しているのが印象的だ。仮にこれらの取り組みを外部機関に委託するとすると、よほど潤沢な予算がなければ叶わないだろう。

一方で、『公』ゆえの弊害も存在する。子供達は居住地域によって、役所の指定した学校に通うことになる訳だが、当然の如く子供(家庭)は学校を選べない。

調べてみたところ、一応は学区外からの登校を可能とする制度もあるようだが、これも様々なリスクと隣合わせの選択となるだろう。登校時間や距離が長引くことのリスクや、学友と学習外の時間をどう共有するか等、多くのコストを浪費することは想像に難くない。

(例)杉並区の指定校変更制度に関する解説

https://www.city.suginami.tokyo.jp/kusei/kyoiku/kibou/index.html

画像1

平時からして、学校はこれだけのウェイトを占めている訳だが、その上でのコロナショックである。学校ごとの差は、Twitterに回ってくる情報を垣間見るだけで、限定的にではあるが想像できてしまう。ぱっと思いつくだけで、

・学校ごと(教師ごと)のオンライン授業(質・量共に)の有無
・学校の閉鎖、または限定登校期間中に示される、生活スケジューリングの質・現実味
・上記に伴う保護者が家で負う負担の大小
・登校再開の可否(最重要か。都心部は地方に比べ、大きなハンディがあるだろう)

と、挙げていくときりがない。

誤解ないように言っておくが、学校関係者を攻撃するつもりは毛頭ない。

むしろ、様々な面で多くの負担を強いられていることは容易に想像できる。未曾有の事態にすぐに対応しろ!!と言われてもどうにもならないのは、職種を問わず、どの現場でも同じことだと推察する。
それでも、都道府県、市区町村レベルの教育位委員会がどう指針を決定し、それを現場に下ろすか。そして現場の設備はもちろん、職員の技術レベル等、無数の要素により、学校によって大きな差が生じてしまうところも事実だろう。(もはやこの分野で現場に全てを押し付けることは、理不尽だろうと感じる)

次いで、学外で学習機会を提供する施設・コミュニティの充実度が挙げられる。
これは大きく

(A)高価かつ、目標設定の難易度が高い場所
(B)現実的価格かつ、目標設定も緩やかな場所
(C)安価かつ、値段相応の効果以上は、求めることが難しい場所
(D)無料または絶対的安価で、同好サークル的性質の強い場所
(E)その他、特別なニーズに対応できる場所

辺りに分けられるだろう。
(A)〜(D)は読んで字の如くだが、(E)については場所によって性質が異なる。例えば、騒音や複数人での学習が苦手な子、全体への指示が自分にも向けられていることを認識できない子、言語野の発達にムラがある子等に、細かに対応する……といったものだ。有料の場合もあるが、自治体が提供する教育サービスの一貫である、公的性質の場所もある。

これらと併せ、地域の子供が身体活動を行う上で、十分に余裕ある場所があるか?
活動内容が自然と「密」にならないか?

施設と場所と師と。
これが地域格差の、1つ目の要素だ。

隣人は協力者か、それとも敵対者か。

2つ目の要素は、「保護者間の闘争と結託」である。
こちらの方が考えると気が重い。ようは

「どれだけ足の引っ張り合いがあるか」

の問題だからだ。

有料サービス(それも「参加費」レベルでなく「受講費」)である場所に関しては、多くを心配する必要はない。目標設定が同じ場所に集う以上、他の家庭も活動の充実を望むという点で、意思や方針の共有が容易だからだ。

厄介なのは、公的性質が強い場所だろう。
公立学校等は、その最たるものだ。これは単純に、目標設定が家庭間で異なることに起因する。

オンラインでの学習実施をシュミレーションした際、いくつも違和感を感じた。
前回伝えた回線格差の問題もあり、少なくない保護者は

「仮にオンラインで授業を全て実施するようになったら、うちの子は勉強できない。後追いの動画再生ではついて行けない!」

という危機感を抱くのではないか……?と思ったのだ。


リアルタイムで参加できる回線、端末のある家庭はいい。だが、子供にそれらを回す余裕がない場合、できることはせいぜい、後追いでオンライン授業の動画を視聴することぐらいだろう。必然、理解度の差が広がることは勿論、人間関係に至るまで、大きな歪みが生じることになる。

「あの子、今日も繋いでなくない?」

という疑問は、子供達の認識を「自分達」と「違う子」に分けるだけの、十分な説得力をもつ。ただでさえ子供達は、理解の及ばぬ範囲の我慢を強いられる、高ストレス下に置かれている。人間関係の亀裂と崩壊、いじめの温床の、大きな種にもなりかねない。

重要なのは、これらは全て実際に子供をもたない筆者の妄想なのだが、

『同種の不安を抱く親は、全国で少なからずいるだろう』

という現実だ。これを解決するためには、行政レベルで回線と端末の供給を行う必要がある訳だが、まだまだ未整備の自治体が大多数である。
回線や環境を有する家庭の中には、

「足を引っ張られて学習ができないなんて……」

と感じる所が出てくるだろう。
逆にオンライン学習が、家庭の回線格差に対するフォローアップなしで実施されれば、いくつかの家庭から

「何故うちの子だけが犠牲にされなきゃならない?何のための『公』教育なのか?」

という、これまた至極まっとうな疑問、怒りの声が挙がってくるはずだ。
闘争が生まれれば、地域における家庭間の分断化は進んでしまう。オンライン学習が実際されようとされまいと、その後に大きな禍根を残しかねない事態になる。

地方自治体によって、財政状況は大きく異なる。都道府県、ましては市区町村レベルでの解決を要求するのは、どだい無理がある話と感じる。国家単位で予算を組まない限り、難しい話ではあるのだが……

しかし、緊急事態宣言解除後の社会において、新しい生活モデルを模索していく中ーー解決しなければならない問題が、あらゆる方面に山積する中で。
子供達が1人1台、回線と併せて端末を保有できるようになるまで、果たして何年かかるのだろうか……?
10年後ですら、完全には行き渡らない恐れすらある気がするのは、自分だけだろうか。

今回はここまで。続きは気が向いた時に。

追記:最近発見した、アフターコロナに対する取り組み

本稿執筆中、見つかった情報をいくつか。
行政側が危機感を抱いていることは十分に伝わる。


東京都がPC貸し出しに84億円の補正予算、休校延長でオンライン学習に格差の懸念
https://news.yahoo.co.jp/articles/e53de2c3731a1255116d6471d9355af431336efa
流石首都、という感じである。他方、自治体レベルでこれだけの予算をつけられるのは、東京ぐらいでは?とも感じる。

認定NPO法人KATARiBA
https://www.katariba.or.jp/about/
これだけだとよくわからないが、要約すると
「地域・環境・学校格差から、子供を犠牲にしないための取り組み。wifiやPCの無料貸出も行う」
点が目についたため、記載してみた。

令和元年度文部科学省補正予算(案)GIGAスクール構想の実現にむけて 2,318億円
https://www.mext.go.jp/content/20191213-mxt_kaikesou01-100003387_1.pdf
文部科学省の危機感も、これまでとは別格である。令和5年度までに、1人1台の端末譲渡実現を目指して、過去の例にない規模の予算を組んではいる。
しかし、果たしてこれがどこまで順当にいくか? 抱え込んだ問題は山積みである。
その歩みを注視していく必要があるだろう。

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