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教育の地殻変動(終)

子育てに関する話をしよう。

最終回の今回は、学力格差問題について、最後の要因である“予算格差”と、今後の予測についてだ。

まず、予算格差について。これはそのまま、自治体が教育にかけられる金額の大小という側面と、「金のかけどころ」という2つの側面から生じる差異のことだ。多少話が拡がる可能性があるが、深くは考えずに綴ることにする。

ざっくばらんに結論だけ言うと、税収と財政支出のバランスは、各都道府県ごとに当然異なる訳だが、大別すると予算を

・設備に投資するか
・人的資源に投資するか

となる。この比率が、そのまま自治体ごとの個性になる訳だが、それぞれ異なる問題を引き起こす可能性がある……という話だ。

設備投資に思うこと


1つ目の設備投資は、例えばこれまで話題に挙げてきたICT機器の導入であったり、体育館を冷暖房機能付きで立て直したり、といったものだ。「世間から10年~20年遅れている」と揶揄されがちな教育現場だけに、急速な時代の変化に合わせて環境インフラに着手することは、必然の取り組みと言える。

だが、急速な環境の変化は、現場の人間に多大な負荷をかけることになる。これが、設備投資を行う場合の最大のリスクになる。例えば、最も親和性の高そうなイメージがある、若手教員の負担がどうなるかを考えてみよう。


これまで自分が大学等に出向き、接してきた教員志望の学生達は、大半が非常に真面目で勤勉な子ばかりだった。反面、ICT活用に関しては、唖然とするほど個人差が大きいことを感じている。
聞けば、単純なレポート作成=タイピングや文書作成ソフトの活用であるとか、グラフや表の作成、プレゼン等は、必修単位の中に存在しないか、あっても“さわり”だけで、授業後に継続して活用される場面は設けられていないという。「若者=ソフト・ハード両面で各種ソリューションを活用する力が高い」などというのは、自分の全くの妄想であった……と恥じ入ったものである。

実際には、教員免許の資格取得のために、あまりに多岐に渡る単位履修に忙殺され、予算的制約もあって十分なノウハウを身に着ける暇もない場合が多々あることは、彼らと直に会話をし、初めて理解できた。

ハードだけ揃えたところで、ソフト面の不備、教える側の練度が十分でなければ、教育の質向上は望めない。しかし、こうした状況下で現場を責めるのは、あまりにも酷というものだ。教育現場のブラック化問題については、昨今ようやく言及される機会が増えてきた訳だが、ICTをフル活用した学習環境の構築というのは、更に特大の負担を現場に強いることになる。

時間やタスクの精選は勿論、それをフォローアップする予算・人員が不可欠だ。しかし、果たして現状、それを実現できる自治体がどれだけあるか……?この点、大きな疑問が付き纏う。

人的資源への投資に思うこと

では、こうした問題を是正すべく、人的資源への注力を行った場合はどうか?
自分の見立ては、

「負担軽減を実現できるのであれば有効。しかし、人的リソースが増える=『時間に余裕ができる』と保護者に捉えられて多忙化が進めば、むしろ状況は悪化する恐れもある」

だ。
先述の通り、教育現場のブラック化問題は昨今話題になってはいる。しかし、外から見ていると正直なところ、イメージしきれない部分が多い。自分の場合はたまたま近くに、「同僚が過労死した」友人がいた影響で、平時からその危険性・問題点を考える機会が生まれた訳だが……
人的リソースを増やしたところで、必ずしも状況が改善に向かわないのでは?と、自分が考えられた理由は2つ。

・保護者の要求が無尽蔵に拡大する傾向
・タスクの廃止が難しい一方、追加は容易く行われる傾向

1つ目はそのままの意味である。「あれもこれも学校で!」と、保護者の要求内容が、日毎に膨らんでいることだ。これは日本全体で核家族化が進んだこれや、地域と子供達との繋がりが薄くなる=周囲の大人から教科外教育を受ける機会が大きく減少したこと、モンスターペアレンツの増加等、様々な問題と絡んでいる。全ての説明は割愛するが、とても大雑把にまとめるとこうなる。

①親の余裕がなくなった
②社会の余裕もなくなった
③社会情勢の変化もあり、地域へ「委託」することへの不安も膨らんだ
④ローリスクに頼める学校へあれもこれも話を回す

こんな図式で10~20年ほど前から、加速度的に教育現場の負担が増えたという見立てである。いくつか参考にさせていただいたサイトがあるので、紹介しておく。少なくとも下記の何割かは、現実に起こっている危機なのだと実感できる内容だった。

とある教師の1日。長時間勤務の実態をどこよりも詳しく。

教員の長時間労働の真因は「過度な期待」? 教員の働き方の現状と課題をみる

もう1つは、日本人あるあるの

「捨てることは苦手。足すことは得意」

の性質だ。
ここ数年、自分の耳に入ってくる大きな変化の情報だけでも、

・道徳の教科化
・小学校から英語教育の実施
・プログラミング教育の実施

と多岐に渡る。

このように新たな教育を追加する上で、自分が抱いたのは、

「では、併せて何を廃止したのか?」

という疑問だ。知人に質問したところ、そこで返ってきたのは、

「何も減ってない。授業と労働時間が増えただけ」

という、驚きの返答だった。続けて聞かされた

「うちは隔週で土曜日も授業。欠席する子供も常に何人かいるけどね。
裕福な家庭なんかは習い事やお出かけで、子供に目を向けない家庭はそもそも授業があることを忘れてる。1時間目はある程度自習可能な内容にしておいて、職員室に戻って、来てない子供の家に電話する人もいるよ。

学習する内容が減らないのは、止めれば必ず文句を言い出す保護者や知識人がいるからだろう。子供を『人質』に取られている以上、混乱があれば結局、授業の質が下がる。そうでなくても、過重労働で授業にかけられる時間は減っていくし、質は下がるから、同じ結末かもしれないが」

という弁が、非常に象徴的で、印象に残っている。

(※参考 「土曜授業」 復活の方向へ ! )

こんな状況であるから、結局は人を増やしたところで、「では空いた時間で他のことも教えられるな!」とばかりに、行政は悪戯に教える内容を増やそうとするのではないか。しかし、そこで支払われる多大な労働コストは、1人や2人の増員で、そうそう賄えるものではないようだ。

結局のところ、単純に人数だけを増やしても、肥大化し続ける教員のタスクに対し、処理するスピードが追いつかなくなる。結果、教育活動全般の質が低下し続ける事態が発生する……というのが、自分が最も懸念するところである。

今後の予測と私見

さて、ようやく全国全ての都道府県で、非常事態宣言の解除が成されることになった。
では、学校生活だけでなく、習い事を含む全ての教育活動が「元に戻るか?」と言うと、全くそうはいかないだろう。

むしろ今後は、

・オンラインを活用し、三密回避や気象等の影響と上手に向き合う自治体/学校
・現場の変化が追いつかず、いたずらに家庭(親)や子供の負担を増やす自治体/学校

の差が、顕著になっていくと見る。後者は特に深刻だろう。

現に大阪府等は、かなり早い段階で土曜日授業及び、夏休みの短縮化といった方法による、学習時間の確保という方針を打ち出している。そこには、これまで述べてきたような現場で働く人間の疲労&それに伴うクオリティの低下や、そもそも授業を受ける当事者である子供達の疲労について、合理的な考えは存在しない……というのが、自分の率直な感想である。

(※参考 大阪府、学校再開は5月下旬以降 夏休みや週末に授業 )

同時に考えるべきことは、何が本当に子供にとって必要な学習活動なのか?その精選を親の側から学校に要求していかない限り、今後も教育現場の疲弊は止まらず、ありとあらゆる学習の室の低下が否めないだろう、という点である。

新聞やネット他、多くのメディアでモンスターペアレンツの発する、とんでもクレームは目にするようになった。また、教育現場のブラック化に対し、是正を訴える声も広がりつつある。

しかし、親の方から

「学校で行う教育は、こうした内容に精選すべきではないか?」

という、何を付け足し、何を廃していくかの提言は、自分の周りでは見たことがない。

国語算数理科社会の充実か?
音楽図工体育英語の深化か?
人間関係の醸成・人間尊重の精神伸長か?
それとも別の何かなのだろうか。

リソースは無限大ではない。
付け足せと声を挙げれば、教育現場は多くを飲み込み、それを実施しようとする。しかし、仕事の肥大化で労働環境が悪化すればするほど、教育現場を目指す人間の数は減り、必然、質の低下は否めなくなる。現状を鑑みるに、

「そんなことをやっている場合か!!

そんな活動はとっと止めて、◯◯に注力しろ!!」

という、『教育時間の等価交換』を併せて提言でもしなければ、恐らく状況は改善されないと見る。だが、昨今のネットのありようを見る限り、むしろ真逆の方向性に進む可能性の方が高いのかもしれない……と、できれば外れてほしい予感を抱きつつ、当稿を終えることにする。

<了>

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