東京に敗北した話

今年の5月と6月の境くらいに、東京へ行った。
3日目、私は友人Kと夜行バスで京都へ戻る予定であった。
貧乏学生である我らは宿をとるお金すらなかったので、1日目は各自友達の家へ、2日目はサッカー部の飲み会に滑り込み、どさくさに他校の学生が泊まる間借りの家に潜入。最終日の朝は飲んだくれた見知らぬ金沢の大学生たちが乱れ潰れる布団の中で目覚めた。
21歳になって初めて迎えた朝であった。
みんなが起き出し騒ぎになる前に、私たちはお礼を言って速やかに宿を去った。すうっと息を吸うと奥の方に新緑の、夏の匂いがする。空気は意外と透明で涼やかであったが、日光は高くそびえたつガラス塔に乱反射し田舎者の目を刺した。私たちはわざわざ浅草の古くて汚い銭湯に行こうと小銭を消費しバスに揺られた。

東京の街も陰りを見せだした頃、Kに「観光したいとこある?」と聞くと「トー横キッズ見たい!」と言った。
私たちは歌舞伎町に行き、呼び込みするホストやメイドさんを潜り抜けて巨大な液晶パネルのある広場に辿り着いた。
本当にトー横キッズはいた。15人くらいだろうか。3つくらいのグループに分かれて、地べたに座ったり煙草を吸ったりチューハイ缶を握りしめたりしながら談笑している。
Kは来る前に「私仲良くできると思うねん、シングルマザーやし」とか言っていたが、実際目にすると「おおっ」と言ってただ素通りした。

そのあと、新宿ニューアートへストリップショーを観に行った。
無知で純白な私は「すとりっぷ」という言葉をその日初めて知った。
チケットは女性割で3000円で買える(このお金は惜しまない)。地下への階段を進み、中に入ると暗がりに小さな舞台と客席があった。一番外側の立見席でもダンサーとの距離は6メートルくらいで、十分近い。
この空間に女がおってすまんねと思ったが、向かいに熱心な女性客もいた。
ストリップの感想はなんというか、まず感動した。普通にパフォーマンスとして非常に美しかった。ダンサーによって系統が違ったが、特に私は訴えかけるようなシリアスな曲のものが好みだった。
親は知ってるんだろうか、どういう境遇なんだろうか、という疑問が頭をよぎったがそういうの考えるのはよくないと思って振り払った。
お姉さんが曲の一番ピークのところで足を振り上げて静止し、そのまま舞台が回転する。露わになった股の様子を最前列のおじさんが腕を組んで凝視している様は、なんの感情も湧かないが忘れないだろうなと思った。
ヨルシカの曲で「逃げたい!」みたいな歌詞のときにポーズをとったお姉さんのことも、忘れないと思うな。でも本当美しかった。女性って美しい。少なくとも3000円で見ていいものじゃない。もっと料金引き上げてください。

無言でニューアートを出てきたマセガキの私たちは、ディープ東京を体験するため新宿ゴールデン街に赴いた。そこで東京に出てきた大学の顔見知りと落ちあい、狭くて汚い居酒屋で牛モツ煮込みを食べた。めちゃくちゃおいしかった。幸せ。こんな誕生日も素敵だなと舌の上で溶ける牛モツを感じながら思った。
しばらく喋ったあと、大学の顔見知りは私たちより早い夜行バスだったので先に出ていった。(ちなみに彼女はバスに間に合わず東京にもう一泊したらしい。あほである。)
そのあと、Kの様子がなんだかおかしいことに気付く。
Kは私に飲みかけの日本酒を押し付け、ふらふらとトイレのある二階に上がった。時刻は静かに23時に近づく。閉店間際だったので、私は先にKの分までお会計を済ませて日本酒をちびちび舐めていた。
しかしKは帰ってこない。
ちょっと長いな、そう思って様子を見に行こうとすると、客席にいたマスターの友達が「見に行ってくるわ」と私を制止して階段をのぼった。酔っぱらった友達を見知らぬ男に見に行かせてよいのか、少し不安になる。
ぶっきらぼうなマスターが皿を磨きながら言う。
「もうそろそろ閉めるから出てな」
「はい、すみません友達が戻ってきたらすぐ出ますね。」

ドンッ

上で鈍い音がした。
慌てて私も軋む階段をダンダンと駆け上がる。
そこには倒れたふすまと、トイレから這い出るように倒れたKがいた。
なにしてんねん!
心配より先に、考えるより先に、「なにしてんねん」が口から漏れていた。
マスターの友達と私でKを支えて、なんとか下まで降りる。
マスターは11に触れた短針をちらりと見て「閉店時間やから閉めるで、帰ってな」と言って私たちを追い出しぴしゃりと引き戸をしめた。
Kはあとから、「ちょと横にさせてくれてもええやん…」と言っていた。

いや、一番可哀想なのは私である。

満身創痍でぐでぐでになったKの肩を一人で支え、引きずるようにゴールデン街を出た。
Kは目の開かない顔で「ごめんなア、ごめんなア」と言う。
私は「うるさい!」とぴしゃりと言い放った。

「あんたは東京に敗北したんや!!」

私たちは肩を組んで、ふらふらと夜なのに眩しい歌舞伎町を後にした。
身の程を知らずディープ東京を知ろうとした田舎者が、大都会に返り討ちにあったのである。なんと情けないことか。
これが東京での最後の思い出だ。
そして21歳誕生日の最後の思い出だ。

バス乗り場になんとか辿り着きKを椅子に座らせると、彼女は「み、水…水が飲みたい…」と言った。仕方なく自販機に向かうが水は全て売り切れている。介護するおばあちゃんのように耳元で「みずなかった!」と言うと、Kは絶望してうなだれた。その様子を見た若い女性が水をくれた。夜行バス乗り場は大都会に敗れた負け犬たちの巣窟なのかもしれない。この女性も東京に負けた覚えがありこの惨めな我らに同情したのだろうか。

バスに無事に乗り込み、私は深い穴に落ちたように寝た。
目が覚めてカーテンを少し開けると明るい陽射しが差し込み、見慣れた街が見える。
京都駅に着きKと顔を見合わすと、なぜかKは薄皮つぶあんぱんを持っていた。「隣に座ってた2つくくりの女の子がくれた、食べきれないからあげるって。」ただでさえ5つから4つに減った薄皮つぶあんぱんを食べきれないとは。なんか変なもん入ってるんじゃないかと疑心の目で見たが、ただ飯を得られるのはでかい。「桂に帰ったらふたりで朝ごはんに食べよう。」

私はそのまま早朝から大学に行き、昼から始まる作品プレゼンをなんとか間に合わせた。講評は最悪でとても反省した。


ろくでもない大学生の思い出の1ページとなる、東京遠征であった。


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