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青春と成人とマチアプ消化試合と、森見登美彦へ告ぐ。

私はいま好きな人がいます。実は。えへ。
三日しか会ったことがないんだけど、どうにかして付き合いたいです。
だってまず顔が良い。スタイルも良い。
それでいて優しくて面白い。
成績優秀で賢いらしいけど全然そんな感じがしなくって、部活も頑張っている。理系で女っ気もない。
免許を持ってて、そして、一人暮らし。
バイトに明け暮れる私の前に突然現れた、光り輝くSSRのカード。
これをやすやす見逃すわけにはならない。さすがにSSRすぎる。いま見逃してしまったら私は彼氏の家に入り浸って一緒に大学をさぼって映画を見てぽかぽか幸せな気持ちになるという日々思い描く妄想を実現できぬまま社会にほっぽり出される。そんなのいやだ。人生一度きりなんだ。一緒に大学をさぼってぽかぽか映画を見たいんだ!
ほんとにどうにかして付き合いたい。どうしたらいい?

「ほんとどうにかして付き合いたい。どうしたらいい?」
座布団に座って串カツを貪るもちゃっとした男は、眉毛をㇵの字にしつつ右口角を上げて変な顔をした。
「急に手とか繋いだらだめかな、いやー勇気ないわ」
「そんな女おらんねん」
だいぶん前にマッチングアプリで会う約束をした京都大学の院生だった。会う日の二日前くらいに好きな人ができてしまった私はドタキャンするのもどうかと思って来たものの、「実は最近好きな人ができて…」と申し訳なさそうに打ち明けた。するとなんと向こうも「俺も実は最近ちょっといいひとがいて…」などと言い出し、私たちは百万遍の奥の方にある汚い居酒屋で双方合意のもとマチアプ消化試合をすることになった。
もう九月の半ばなのに夏がじっとりまとわりつく夜であった。
こういう日は冷たいハイボールが進む。
「でも行くしかない、ノーダメやから。」
院生はやたら「ノーダメ」を連呼した。おそらく女だったら誰でもいいような彼は「ノーダメならまず行く。ダメだったところでノーダメやから。」「いやそれノーダメやん」と自分が傷つかないことばかり考えて恋愛を始めるしょうもない男であった。
時には指を空中でいやらしく動かし、そろばんを弾くように「これがこうでこうでアールがどうで相対性理論がこうでああでつまりこうだから……ノーダメや、はい!」と無駄に処理能力のある頭脳で最悪な方程式を解いていた。
「違うって。好きなんだからフラれたらダメージあるもんなんです。」
「え?さっき証明完了したでしょ?ノーダメだってば。とりあえず攻めなよ。」
「攻め方がわからないんですってば!」
「こんにちは!ごはん行きましょ~♡…これだ!♡を忘れるな!そしてそのあとに自撮りを送れ!!」
「♡を片思いの相手に使えるほど私は鍛えられてないんです!軟弱者なんです!無理です!自撮りに至っては意味が分かりません!!」
「なにイ!ならインスタを充実させろ!カフェに行け!カフェに言ってなんだかおしゃれな飲み物を撮れ!そして白っぽくかわいく加工して投稿しろ!男はそれだけで落ちる」
「大学入ってからネタ投稿しかしてないです!」
「逆行するなよ!女の大学生活なんてインスタを充実させるためだけにあるんだから!!」
「気持ち的には大学3年生です」という彼はすっかり院生になった立場を怒り交じりに利用した。正座させた学部生を一列に並べ中身の無い教鞭をたれる会を時折開催しては、20代の夜を不毛な議論で浪費しているらしい。少しは後ろめたさを感じているのかあまりに酷い内容なのか(たぶん後者)詳しくは教えてくれなかったが、私が「うち性格おっさんやから女として見られん」というと重みのある声で「男の下品さを舐めてはいけない。」と言った。非常に説得力があった。

「女の子は選ぶ側だから!選び放題でしょ!」
去年相席居酒屋に行ったとき、同席した同い年の専門学生に言われた。
「21歳!?そんなんなんぼでも、誰でもいけるよ!まじで!!」
このまえ安いバーで、隣にいた33歳おっさん自虐イケメンにも食い気味に言われた。

どこに、だれがいるの?

私にとって秋は、恥ずかしながら恋の季節であった。
もう五年前。月日が経った。
大好きな人とライブに行った。マクドで二人イヤホンを分け合ってホラー映画を見た。あの騒がしい店内で正直あんまり聞こえなかったけど、隣にいるだけで心臓がバクバクしてた。怖いシーンで私がぎゃっと驚くと、アハハと笑ってなんだか愛おしそうにも見えなくもない目で見てきた。私はそれに気付かないふりをした。映画館にも行った。はなまるうどんを食べて、帰りが遅いと親に怒られた。修学旅行先のホテルで、同室の友達がどっかに行っている間に電話をした。しかし友達がドアに張り付いて耳をそばだてており、学校に戻ると電話での会話が捏造に捏造されてあらぬ噂が広がっていた。めちゃくちゃいじられた。イルミネーションにも行った。これも男同級生に目撃されめちゃくちゃいじられた。そして付き合って、私の地元に来てくれたり、何度か家に行ったり、桜並木を手を繋いで歩いたり・・・

あれ、五年が経った。
未練があるわけじゃない。受験を機に自然に距離を置き、私は大学に受かって、向こうは落ちて、別れを告げた。大学に入ったら色々出会いがあって私は浮気とかしちゃうんだろうと思ったから。

浮気とかしちゃうんだろうと本気で思っていた。
だがしかし、大学に入り二年くらい経ったとき気付いた。
ん、そもそも私あんまり人を好きにならないぞ。
好きな人ができたら浮気とかしちゃうんだろう。でも好きな人なんて滅多にできないからそんな心配する必要なかったんだ。私は馬鹿か。あほだ。好きな人と出会うってこんなに難しくて奇跡的なことだったんだ。

類は友を呼ぶし、阿保は阿保を呼ぶ。処女は処女を呼ぶ。
「今夜こそ処女を捨てるんだ!」と大阪東通りを闊歩する悲しきモンスターもいるし、
「流川と花道はセックスせえへん!」
と深夜の路上で叫び、今頃ラブホにいたかもしれない自分を思いながら、ひとり実家に帰るやつもいる。
こいつらは特に世間に恥を晒す大阿保だが、ここまでじゃなくても私の周りは高校の友人も大学の友人も大体こういったかんじなのだ。そもそも彼氏がいる奴なんて数えるほどしかいない。
21歳。
大学に入って色々な経験をした。成長したし、人付き合いがちょっとうまくなったし、輪をかけて阿保になったし、図々しさを覚えた。
年相応だと思う。年取りすぎ!ありえない!て言うような感覚もない。
ただ、恋愛に関しては17歳でぴたりと止まっている。
そもそもこの年になって恋愛ってあるの?あってほしいよ?
正直、男と女でイチャコラしてあんなとこにあんなものをどうするかだなんて、そんな行為私は都市伝説だと思っているよ。本当に実在することなのか。いや、おかしい。だって恥ずかしいじゃない?何してんの?え?大昔に頭のおかしい人がふと思いついた妄想が、通りすがりのあほの頭に火をつけて、次々とあほたちの頭に広がり現代まで受け継がれているんだ。まあそれなら納得できる。
女と男はハイスコアガールの大野とハルオであるべきなんだ。一緒に布団に入って、ただドキドキするだけであるべきなんだ。本当に素敵な関係だと思わない?頼むよそうであってくれよ!

結局京大の院生からは「女の大学生活はインスタを充実させるためだけにある」ということだけを学び、私はドラックユタカの脇で今夜宿にさせてもらう友達を待った。
ひゅるりと生ぬるい風が吹く。
大きい交差点と、京都大学の鬱蒼とした緑が見える。
百万遍。良い響きだ。
森見登美彦の小説が好きな私にとって、わりと聖地であった。
森見登美彦の書くあほ大学生が好きだ。なぜならあほだからだ。
そして今の京大生にもその独特な阿保精神が受け継がれていることを感じるとちょっと嬉しくなる。京大とは阿保に呪われた場所なのだ。絶対に子供を入れたくはない。
だが私は森見登美彦に言いたい。
男は阿保だ。認めよう。
しかし女も底なしの阿保だ。
黒髪の乙女なんて言いくさってチクショウ。
あなたは鴨川に届くまでアイラインを細く長く描く人を知っていますか。消費期限が三日切れた豚肉と自分の胃を戦わせ見事敗北する奴を知っていますか。GPAが1をきっておしっこちびる女を知っていますか。ストリップショーに行き悶々としながら家賃を滞納したボロアパートに帰る女たちを知っていますか。

いえ、私はフェミニストではありません。男女の阿保平等を訴えてるわけじゃあないんです。

私もできれば黒髪の乙女でありたかったのです。

自転車に乗って幼馴染のIが颯爽と現れた。自転車のカゴには巨大バケツアイスが入っており、「これ
さっき貰ってん、食べかけらしいけど。」と満面の笑みを浮かべている。
私は百万遍に背を向け、今日の所は静かな住宅街へ退散することにした。

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