見出し画像

「生きているものには役目がある」

算命学の土台となる考え方の中心には
自然思想というものがあります

我々人間という存在は
この地球上の生態系においては
一応頂点に位置していると言えます
しかし
大自然の圧倒的な力の前では
時として
一瞬にして消滅しかねない儚い存在だとも
言えるわけです

算命学における人間観は
人間も自然が生み出した存在の
一つだということになります
つまり
人間も自然の産物である
ということになるのです

ということは
人間という存在も自然の法則性のもとに
生きていくべき存在だということになるのです

自然界は相互に助け合って
有機的な関わり合いを持つことで維持されています
自然界の法則は
相手(なにか)のために存在するというのが基本です

人間以外の存在物(動植物)は
あるがままで自ずと
何かのために存在できているのですが
人間は意識や努力をしないと
自己中心(エゴ)的な生き方になってしまい
そのことが自ずと全体の調和をもたらす
ということにはならないのです
これが人間の特殊性だと私は思います

役目(役割)という言葉を使えば
人間には誰にでも役目がありますし
その役目をいかに果たすかが人生なのです
今回はそんなことを思いのままに書いてみます

人が生まれた理由

存在するものには
必ず存在する理由というこのがあるはずです
理由なく存在するものは
この世界にはおそらく一つとしてないでしょう
人間の現在の知性と知識では
その理由を理解できないことも
あるかもしれませんが
無意味に存在するものはないと思います

人間をはじめとする
自然界に存在するすべてのものは
「わけ」あって生まれてきているのです
別の言い方をすれば
「役割」があるから生まれてきているのです

何かのお役に立つために
この世に誕生したと言えるのです
この世に必要とされるから
登場してきたわけですね

私という存在は
巨大なジグソーパズルの
ワンピースだと例えることができます

無数にあるピースであっても
すべて形が違います
そしてどこかにそのピースでなければ
埋めることができない場所があるのです
鍵と鍵穴のような関係とも言えるでしょう

大袈裟な言い方になりますが
その一つのピースが無ければ
全体の絵は完成しないのです

役目を果たす

この世界に存在するということは
なにがしかのお役目があるからだと
算命学では考えます
自然界には無駄に存在するものはありません
不必要なものはないのです

役目が終了すれば
自然と消えていくことで
世界全体のバランスが保たれつつ
新たな次元に進んでいくのです
その場合は
消えることが役目だとも言えるでしょう

人は生まれてくる時に
お役目を持って生まれてきますが
地上で生きていく中で
自身が新たな役目を作り出すという側面も
あります

結婚をすれば夫(妻)としての役目が
自分の人生に加わります
子供をつくれば親という役目が出てきます
当然仕事をすれば
役職的な役目も背負うでしょう

それらの役目は
必要とされているという意味でもあります
万が一
役目を疎かにして必要な存在になれなければ
その役目からは身を引くようになるです

大病を患って入院している人は
何の役にも立っていないように見えます
本当に何の役目もないのであれば
(あるべき役目を果たしていないのであれば)
この地上に別れを告げるようになるでしょう

しかし
誰もお見舞いにも来ないのに
長生きされる方もおられるかもしれません
であるならば
その人は何か意味があって生かされている
あるいは生きていると
考えることができるのです
無駄に生きているということはないのです

子供のために?

子供が天中殺であれば
その子供の生き方によっては
天中殺の禍をその子供自身が受けることは
当然あり得ます

そんな時に
長らく入院していた親が
亡くなるということがあります
自分の親が亡くなることによって
自分が背負うかもしれなかった天中殺の禍が
親の犠牲という形で
消化されるということが起こるのです

何の役にも立たないような姿で
入院生活を送っていた人が
子供の天中殺まで生き続けて亡くなれば
子供のために
頑張って命の火を灯し続けたのだと
言えるかもしれません

なので
子供の宿命的危機状態の時に亡くなる親は
子供への最後の愛情を示したと
言っても良いかもしれません
子供に代わって逝ってくれたのです

こう考えると見た目だけで
迂闊に何の役にも立たない人だという評価は
できないということになります

長寿の親は子供たちに
親孝行をする時間をくれているのかもしれません
子供にとって親が守護神であれば
親が生きていてくれるだけでも
ありがたいと言えます

幼児は足手まといではない?

手がかかりまだ聞き分けもない幼児を抱えて
生きていかなければならない母親は
傍目に見れば可哀想で
子供さえいなければと思われるかもしれませんが
もしかしたら
その母親はその子が居るからこそ
希望を持って頑張れているのかもしれません
浪花節的ですが
足手まといの子供にも
十分な役割があったということになります

その子供が将来大成して
社会に大いに貢献する人物になることも
あり得るでしょう
苦労した母親は役目を全うしたとも言えますね
親が役割を果たした結果
子供も役目を果たせるようになって行ったとも
言えるでしょう

役目を全うすることは簡単ではありませんが
生きている限りは
役目から逃れることはできないのです

算命学を学ぶことで先ずは自分の役目を知り
一つ一つその役割を果たせるように
努力をしたいものです

***

色々ご意見もあろうかと思いますが
最後まで読んでいただき
ありがとうございました

鑑定例題】はてなブログへはここからお入りください

読んで頂きありがとうございます。 サポートを頂けると励みになります。