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つめたいひがんばな

「おじさん、どうやってんのそれ」
声、瞬間、刺す。
目の前の若者、口の白い息、蔑みの声。
私の中で何かが立ち上がり、冷たい青に濡れ固まった絵筆を振りかざす。
若者の目で青と赤が混じると、淀むシアンの河流が流れた。
「ぐふ」とだけ鳴いた若者は目を抑えて倒れた。
観光地の中心で地べたに尻をつき、段ボールの机に向かって闇雲に絵を描いていた。
眼前に聳える銀紙を固めたような下品な塔や、この地で生まれ育った昭和のスター達、街を縦断する川に浮かぶ屋台船の温かい明り、ここにゆかりのあるものを描いては、無許可に道に並べ、我が物顔で座っていた。
どこかへ一心不乱に走り出す足が地面を蹴るたびに、記憶の万華鏡がカラカラ回った。
冷えた空気が、しばらく狭いままだった気道を忙しなく行き来し、腐りきった果実が押しつぶされるような感覚が心臓に走ると、腐臭を帯びた空気が口から漂い、街へ消えていく。
理性を空っぽにして、本能を剥き出しに抽象画を描くなら、あんな風に筆を握ると良さそうだと思った。
何かを抉ったというより、生み出した感覚を不気味に思った。
若者が何を言ったのか、しつこかった、いや普通だったかもしれない。
でも腹が立ったんだ、しょうがない、俺にだって感情はある。
守られるべきなのに、尊ばれるべきなのに、俺は景色を描く景色だった。
振り返る。
誰もいない路地の暗さと、狭い青空が互いの領域を主張している。
上下という区別から逃げる為には、空を見上げることのない生き物になる以外に方法はないのかもしれない。
靴にまとわりついた雪と泥が、不快な音を立てる度、何かが追ってくるように感じた。
排気で真っ黒に汚れた雨樋に背をもたれ、濡れた路地に尻をついた。
赤や青、泥と雪に汚れた手もついた。
痛み、手をあげ、叫ぶ。
ネズミか何かに手を噛まれた。
指を空に向け、注意深く傷口を見ると、細く赤い雨が空から降っているように見えた。
俺にだけ降る雨が、汚れきったこの手を洗った。
刺した時のように拳を握り、広げると、空に赤い花が咲いた。
俺と空、俺と街、俺とネズミの間に咲く、毒のある彼岸の花だった


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