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来世はひょっとこで

人間には2種類のタイプがある。ひょっとこになれるタイプとなれないタイプだ。

最近、縄文友だちのナミさんのツイートでやばそうな祭りを見かけた。その名もひょっとこフェス。詳しいことはわからないけど、みんなでひょっとこのお面を被ってひょっとこになりきって踊るらしい。 

一昨年、足立区小台のカフェで民謡と盆踊りのイベントがあった。そこで偶然会ったナミさんは、なぜかひょっとこのお面を持っていた。そしてその場でお面を被って少し踊ってみせてくれた(いつもお面を持ち歩いているわけではない)。そのあと少なくとも私と一緒にいた間は、知り合いや初対面の人と話しながらひょっとこのお面を渡していたように見えた。友人である私でも難しいのに、初対面でひょっとこのお面を渡されるという高難易度のコミュニケーション...。こんなのに応えられる人なんているのだろうかと不安に思っていたのは私だけで、大抵の人がためらいなくお面を被ってはひょっとこらしい動きを披露していた。私の卑小な常識を、現実が悠々と飛び超えていく。その様子を見て笑ってはいたけど、本当は心の中で少し自分を責めていた。私はひょっとこになれなかったから。

昔から感情が外に出にくく、体がついてこない。学生時代、カラオケで大勢の友人がはしゃいで踊っていたとしても、私は椅子に貼りついたみたいに立ち上がることできなかった。クラブで朝まで踊った後の24時間営業のうどん屋でうどんを啜りながら「全然踊ってなかったけど、今日本当に楽しかった?」と友人に真顔で聞かれたこともある。いつものように楽しく踊ったと思っていたその夜の私は、一体何をしていたのだろう。

年齢とともにテンションの保有数が下がるため、最近は周りとの差を感じることは減ったけど若い頃はこんなことが多かった。なのでひょっとこのお面を渡された時も、照れを隠しながら被ってお茶を濁すのが精一杯だった。

あの日のひょっとこのお面のことなんて、もう誰も覚えていないだろう。でも私は忘れない。ためらいなく即興でひょっとこになれる、ひょっとこ性に強く憧れているから。

とは言いつつ、ここまで書いてきてひょっとこって何なんだろうと思えてきた。民謡と盆踊りのイベントだったし、実はあそこにいた人たちは特殊な反射神経に優れた超少数派で、できなかった私の方が多数派だったのかもしれない。だとしたらクラブで踊ってたと思ってたあの夜の私は本当になんだったのだろうか。

今週末、猪苗代で行われるというひょっとこフェス。今世はたぶん無理そうなので、生まれ変わったら行ってみたい。

ひょっとこフェスの情報はこちら

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