見出し画像

SOMPO美術館のゴッホ『ひまわり』が提訴の対象に。気になる今後のゆくえ

昨年の12月13日、日本の保険会社であるSOMPOホールディングスは、ゴッホの絵画『ひまわり』(1888年作)の法的所有権を争う訴訟を、イリノイ州の地方裁判所で起こされたそうです。

訴訟を起こしたのは、ニューヨークとドイツに拠点を置く、ドイツ系ユダヤ人の銀行家パウル・フォン・メンデルスゾーン=バルトルディ(1812年10月30日〜1874年6月21日)の相続人3人だということ。原告の3人とは、メンデルスゾーン=バルトルディの子孫であるユリウス・H・シェープス、ブリット=マリー・エンホールニング、フローレンス・フォン・ケッセルシュタット。(THE ART NEWSPAPERより引用

Vincent van Gogh, Sunflowers, 1888 Sompo Museum of Art, Tokyo, via Wikimedia Commons

FNNプライムオンラインは、訴訟文では「(ゴッホの『ひまわり』は)原告の親族であるユダヤ系ドイツ人が1930年代に所有していたものでナチスに強制的に売却させられたとしている」と伝えています。

その後『ひまわり』は、1987年(昭和62年)にクリスティーズで競売にかけられ、損保ジャパンの前身のひとつである安田火災海上保険が、当時の絵画史上最高額となる3,990万ドル(当時の為替換算で53億円)で落札しました。

原告が訴えているのは、そのオークションで旧安田火災海上保険が、『ひまわり』の来歴を無視して落札したというものです(意図に反して手放さざるを得なかった過去を無視した…ということでしょうかね。あくまで原告の訴えですけどね)。そして、絵画の返還もしくは約990億円(7億5,000万ドル)の懲罰的損害賠償を求めているそうです。

■なぜ落札から30年以上が経つ今ごろ訴訟を起こしたのか?

前述の『THE ART NEWSPAPER』によれば、Mendelssohn-Bartholdyは、1934年にコレクションから『ひまわり』などの作品を販売したそうです。そして、その翌年に死去したとあります。(おそらく、ここで記すMendelssohn-Bartholdyとは、パウル・フォン・メンデルスゾーン=バルトルディの子孫だと思われます)

その販売した理由を「ナチスがユダヤ人のビジネスリーダーを標的にするのを恐れたため」としています。そして「彼の相続人の98ページにわたる訴状には、彼は自分の絵を譲渡するつもりはまったくなく、ナチス政府による脅迫と経済的圧力のためだけに譲渡を余儀なくされたと述べている」としています。

調べれば分かると思いますが、Mendelssohn-Bartholdyが1934年に、誰に販売したんでしょうね。原告は、これまでも販売先を分かっていたはずで、その人にこそ、今回の訴状内容にピッタリ当てはまると思うのですが…。またナチス崩壊から約80年の間に、その販売先から別の人へと『ひまわり』の持ち主が変わっていた可能性もあります。そうだとしても、1987年(昭和62年)にクリスティーズで競売に掛けられた時点で、その時点の持ち主またはクリスティーズに申し立てすればよかったのでは? という疑問も沸きます。

推測でしかありませんが、初めに『ひまわり』を手放したMendelssohn-Bartholdyの、これまでの子孫は、訴える必要がなかったのではないでしょうか。現在の相続人3人が、いつ相続人となったのかは不明です。ただ、おそらくは、その人達に相続が移り、今回の訴えにつながったのでしょうね。

■世界中で返還請求されているナチス由来の絵画

調べてみると、なにもSOMPOジャパンの『ひまわり』が稀有な例ではなく、現在も世界中で、ナチス由来の絵画が、返還するよう求められているようです。日本語版は見つかりませんでしたが、Wikipediaには「List of claims for restitution for Nazi-looted art」というページがありました。「ナチ由来の美術品の返還要求リスト」です。今回のSOMPOジャパンの件もリストアップされています。

例えば、同じゴッホの作品としては、1888年に制作された水彩画「Meules de Blé(小麦の束)」が、リストに載っています。同作品は、ドイツがフランスに侵攻(1940年)した際に、ナチスに没収されたのだそうです。

In November 2021, Meules de blé (1888), was sold at Christie's for $35 million after a three party restitution agreement involving the heirs of Max Meirowsky, Alexandrine de Rothschild, and representatives for Cox's estate.[143]

Wikipediaより
≪Meules de Blé≫ / フィンセント・ファン・ゴッホ From Wikimedia Commons

ドイツ・ベルリンのMax Meirowskyが1913年に購入→ナチス政権化でユダヤ系ドイツ人の画商Paul Graupeへ売却→フランス・パリのAlexandrine de Rothschildに売却→1940年のナチスドイツのフランス侵攻時に没収→?→1978年にWildenstein & Co.→Edwin Cox→訴訟→クリスティーズで売却し、売却益を原告であるMax MeirowskyAlexandrine de Rothschildと、当時の所有者であるEdwin Coxの家族の3者で折半したとのことです。

■訴訟の途中で原告が所有権を放棄した事例【ピサロ】

多くの訴訟で各国のユダヤ系の元所有者が勝訴しているようですが、ピサロの『羊たちを戻らせる羊飼い』をめぐる訴訟では、原告が途中で所有権を放棄しました。(KSM News and Researchより。以下同)

訴訟は元所有者の子供であるレオーヌ・メイエさんによって、米オクラホマ大学財団に向けて起こされました。メイエさんは、元所有者であるラウール・メイエ夫妻の養子。同夫妻は第二次大戦中に、ナチスドイツにより複数の美術品を没収され、その中の一点が『羊たちを戻らせる羊飼い』だったということです。

『羊たちを戻らせる羊飼い』は、1951年にスイスで売買(所有者変更)→1957年にニューヨークで売買(所有者変更)→2000年にオクラホマ大学に寄贈されたそうです。

「レオーネさんは2012年にこの絵画がオクラホマ大学の所有となっていることを突き止め、2016年に大学側と合意を結んだ。」とKSM News and Researchでは記しています。この時の合意は、アメリカのオクラホマ大学とフランスのオルセー美術館で、3年ごとに場所を移して展示するという条件だったようです。ただし、オルセー美術館が「輸送時のコストを考慮して」拒否したそうです(作品を傷つけずに輸送するのは大変ですからね)。

オルセー美術館の拒否後なのか不明ですが、メイエさんは、「オクラホマ大学が、(ナチスに没収された作品だったという)過去の経緯を知っていたはず」として、オクラホマ大学を相手取って提訴したそうです。この提訴を受けてオクラホマ大学は、「過去の経緯を知らなかった」し、逆にメイエさんの訴えを不服として、メイエさんを提訴したそうです。その後、2021年にメイエさんが訴訟を取り下げて所有権を放棄。米オクラホマ大学財団の全面的な所有物となることが決まったしています。

↑ 記事を読んでも時系列などが今ひとつピンときませんが、SOMPOの『ひまわり』と関連するところでは、訴訟の要点は「過去の経緯を知っていたかどうか」にあるようです。

ピサロ『Shepherdess Bringing Sheep in(「羊たちを戻らせる羊飼い」)』画像はWikipediaより

■映画にもなった、オーストリア政府が敗訴した訴訟事例

グスタフ・クリムトが描いた「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I(Portrait of Adele Bloch-Bauer I)」の事例は、『黄金のアデーレ 名画の帰還』という映画の題材にもなったので、特に有名です。ただし、映画がすべて事実なのかは分からないので、映画鑑賞時には注意が必要でしょうね。まず鑑賞前にWikipediaまたは、それを要約した下記を読むことをおすすめします。

《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I》1907年

(映画とは関係なく)Wikipediaによれば、同作はウィーンの銀行家で実業家のフェルディナント・ブロッホ=バウアー(おそらくユダヤ系)が発注したもので、彼の妻、アデーレをモデルにしています。

「(モデルとなった妻の)アデーレは、クリムトの絵をオーストリア・ギャラリーに寄贈するよう遺言し、1925年に髄膜炎により死去」。1938年のナチスによるオーストリア併合で、妻のアデーレに先立たれたフェルディナントは、スイスに亡命しました。この時に「本作は彼の資産と共にナチスに没収」されてしまったのですが、「 第二次世界大戦後の1945年に作品はフェルディナントの元に返還された」そうです。

フェルディナントは遺言で本作の相続人として、アメリカ在住のマリア・アルトマンを指名して亡くなったようです。でも本作品(を含むクリムトの絵5点)は、フェルディナントが亡くなったオーストリアにあり、オーストリア政府の見解では「絵が同国内にあるのは妻アデーレの遺言によるもの」だとしていたそうです。その後マリア・アルトマンがオーストリア政府を相手取って提訴したんでしょうね。長い法廷闘争の末に、2006年にオーストリア法廷による仲裁裁判は、マリア・アルトマンに所有権を認めたそうです。

Wikipediaでは、その後「アメリカに送られたのち本作はロサンゼルスで展示されていたが、ロナルド・ローダーによって買収され、ノイエ・ガレリエに収集された。」としています。ノイエ・ガレリエは、ユダヤ人がナチスに収奪された作品を多く収蔵するという、ニューヨークにある美術館のようです。Wikipediaは続けて「2006年6月、ノイエ・ガレリエは、クリムトの略奪された肖像画の5枚目である本作に対し、1億3500万ドル(156億円)を代価として支払ったと報告している。なお本作は、今でもノイエ・ガレリエに展示されているようです。

いずれにしても、所有権を獲得したマリア・アルトマンは、作品を売ってしまったようです。この点について、Wikipediaの映画『黄金のアデーレ 名画の帰還』のページでは、「マリアは勝利しても心は晴れることなく、両親を残して亡命したことを悔い、涙を流す。しかし、両親との別れ際の会話を思い出すと、ローダーのギャラリーに絵画を預けることにし、未来へ歩みだす。」としています。

さて、FNNの1月5日時点のニュースによれば、SOMPOホールディングスは「訴状を受け取っていない」とした上で、「いかなる不正の申し立ても拒否し、『ひまわり』の所有権を守っていく」とコメントしているそうです。おそらく原告は凄腕の弁護士団を引き連れてやってくるのでしょう。

今回の訴訟とは直接関係ありませんが、SOMPO美術館の梅本館長は、ちょうど『ひまわり』を落札した1987年(昭和62年)に、当時の安田火災海上保険に入社したそうです。そして同館のブランドメッセージは「この街には『ひまわり』がある。」としています。今後の『ひまわり』のゆくえが気になるところです。

↑ 今回の訴訟とは関係ありませんが、『ひまわり』についての山田五郎さんの解説です。今回の訴訟を受けての、山田五郎さんの感想も聞きたいですね。同チャンネルでは、最近「贋作ネタ」も何度か語られているので、次は「ナチス関連作品ネタ」もやってほしいです。と、ここに書いてもしょうがないんですけどね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?