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秋葉原の由来となったアキバ神社で、火渡りをしてきました

全国に秋葉神社はありますが、火の神と水の神、それに土の神を祀り、鎮火を祈願する火渡りの神事が執り行われているようです。

いま住んでいる地域にも、その秋葉神社があります。神社の前に立つ由来書を読むと……明治二年に、明治天皇のお母さんである英照皇太后のおぼしめしをもって、明治天皇のご下命によって東京府火災鎮護の神社として建てられたとあります。

我が家の個人的な話としては、子どもの友だちの兄弟の友だちが、この秋葉神社の家の子どもということで(遠いッ!)……まぁほとんど関係ありません。ただ、友だちと「ひわたり、いっしょに行こうよ!」という話をしていたそうで、週末の火渡り神事の日の夕方に、大遅刻しながらも二人で神社へ向かいました。

あたりは真っ暗になっていたため、もう終わっているかもな……と思ったのですが、神社の鳥居前に着くと、まだ火渡りを待つ50人ほどの行列がありました。それで、わたしたちも列の最後に並んで、火渡りすることにしました。

息子は、行列の前の方を気にしていたので、「(息子の友だちは)もういないかもしれないけど、社務所にいるかもしれないから、見てきてもいいよ」と言うと、列を抜けて駆け出していきました。

しばらくすると、「いなかったぁ」と、残念そうな様子で戻ってきました。それからは、靴下を脱いで、火渡りの準備をしました。いよいよ神殿前に作られた火の道の前で、お賽銭を入れて「火難除御守」をいただきます。そして既に火の弱くなった道を渡りました。振り返ると、息子も神社の方の指示にしたがって、一礼してから渡りはじめていました。あとは社務所の前に用意されたベンチに座って、水で足を洗って靴を履いて解散です。

もう終わりかけで、だいぶ火が弱まっていました

本当は、みんなが渡り始める前に、神主さんなどが、火の道を作って「えいっ! えいっ! えいっ!」とか「かけまくもかしこき……」なんて祓詞(はらいことば)を唱えたりしているのですが、大遅刻したせいで、そちらの大事な方には間に合いませんでした……残念。

これは去年の火渡りの様子です。この状態で渡ったら大やけどです……けどね

ちなみに、全国にある多くの秋葉神社の中で、この秋葉神社にしかないっていう特徴が欲しいものですよね。ここは、前述の通り「明治天皇のご下命によって」建てられた神社なのが、その一つです。実際に詔勅しょうちょくなどが発せられたのか分かりませんが、天皇の命令ちょくまたはみことのりによって建てられたわけです(由来看板によれば…ですけど)。

もう一つが、この神社は、明治二年に建てられたあと、現在ある場所へと明治二十一年にお引越ししています。もともとは、現在の秋葉原駅とヨドバシカメラ秋葉のあたりのどこかにあったようです(神田花岡町)。大火災直後の神社創設のころは、この辺一帯は火除け地として……つまり空き地だったそうです。それで、この空き地を「秋葉神社のある原っぱ」という意味で「秋葉原」というニックネームができたようです。

その後、秋葉の空き地は、鉄道駅などを作るために引っ越しすることになったのです。

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