見出し画像

コーディネーター・アラジンのブログ #18 卒業式・卒寮式

High School Graduation Ceremony and Graduation from Dormitory Ceremony


卒業式・卒寮式がありました。

3月2日は、午前中に卒業していく寮生たちの卒寮式が、午後には3年生全員の卒業式がありました。



こちらは、卒寮式。挨拶は白馬村村長さん。

この学年は、COVID-19の犠牲者で、入寮式も入学式もなく、寮生も他府県からも来るので、いきなり別の宿に隔離されたり、学校が学年別登校だったりで、全員が顔を見せるのは(といってもマスク姿ですが!!)、6月になってからでした。
とうとう卒業式までマスクをはずす機会がなく、よほどの友達以外はクラスメイトの顔をまともに知らないままのお別れです。

私も、今後、突然どこかで出会っても顔を見て誰かと識別する自信は全くありません。まあ、生徒だけでなく、3年前以降に赴任された先生の素顔はまだ見ていないかも。マスクの外せる4月になって、「チョーツーチェンメン=初次见面」(お初にお目にかかります)となるでしょう。


成人の日に


学校長式辞では、卒業生のほとんどが18歳の成人になったことを踏まえて、成人とは何たるかを考えてみようと、谷川俊太郎の詩「成人の日に」を紹介されました。

私も好きな詩なので、ここに全文を紹介します。


「成人の日に」          谷川俊太郎

人間とは常に人間になりつつある存在だ
かつて教えられたその言葉がしこりのように胸の奥に残っている

成人とは人に成ること

もしそうなら
私たちはみな日々成人の日を生きている
完全な人間はどこにもいない

人間とは何かを知りつくしている者もいない

だからみな問いかけるのだ


人間とはいったい何かを
そしてみな答えているのだ

その問いに
毎日のささやかな行動で


人は人を傷つける

人は人を慰める

人は人を怖れ

人は人を求める


子どもとおとなの区別がどこにあるのか

子どもは生まれ出たそのときから小さなおとな

おとなは一生大きな子ども

どんな美しい記念の晴れ着も

どんな華やかなお祝いの花束も

それだけではきみをおとなにはしてくれない


他人のうちに自分と同じ美しさをみとめ

自分のうちに他人と同じ醜さをみとめ


でき上がったどんな権威にもしばられず
流れ動く多数の意見にまどわされず
とらわれぬ子どもの魂で

いまあるものを組み直しつくりかえる


それこそがおとなの始まり

永遠に終わらないおとなへの出発点


人間が人間になりつづけるための
苦しみと喜びの方法論だ


他人のうちに自分と同じ美しさをみとめ
自分のうちに他人と同じ醜さをみとめ

人間が人間になりつづける...

人間であることを止めている自分に気づかされます。

ふるさと


また、同窓会長は祝辞で「ふるさと」を紹介されました。


「ふるさと」  作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一 

兎追ひし彼の山
小鮒釣りし彼の川
夢は今もめぐりて
忘れがたき故郷

    如何にいます父母
    恙なしや友垣
    雨に風につけても
    思ひいづる故郷

志を果たして
いつの日にか帰らん
山は青き故郷
水は清き故郷


最後の 山は青きふるさと
    水は清きふるさと

を、同窓会会長は強調され、卒業しても、
白馬の山はふるさとの山としていつまでも青く、
白馬の水はふるさとの水としていつまでも清く、
みんなのふるさとであり続けると語られました。

私は、かねがね、この「ふるさと」が日本の心の国歌としていつまでも歌い続けて欲しいと思っています。

卒寮式、卒業式ともに、厳かに、和やかに行われました。

旅立つみなさん、おめでとうございます。

式次第に、通し番号がつくのは珍しいですね。