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ショートショート 紫陽花

*はじめに
このショートショートは全てフィクションです。

わたしの実家には紫陽花があった。

勝手口と隣家との路地の間に
植えられた紫陽花は、
そこを通る人の目を引くほど
立派な花を毎年咲かせていた。

わたしがまだ小学生の頃。
学校帰りに傘をさして、
紫陽花をよく見ていた。

雨に濡れた紫の紫陽花が
花びらのひとつ一つに水滴をためて、
雨を映して光っていた。

そのひと粒ずつの雫に私の顔を映し、
紫陽花の中に私がいるような、
不思議な気持ちになっていた。

家に入ると、
母が台所で食器を洗う
音が聞こえる。

台所へ行くと、
テーブルの上に
切ったばかりの紫陽花が
コップに活けてあった。
まだ水滴がついている。

母がいう。
「ずっと紫陽花を見ていたけれど、
何をしていたの?」

わたしは何と答えたらよいか、
わからない。

すると、
「母さんもね、
紫陽花につく水滴がとても好きなの。
たくさんの水滴の中に、
たくさんの私がいて、
紫陽花が私を包んでくれる気がするの。」

そのときのわたしには、
母のいっていることの意味が
わからなかった。

小さなわたしは、
母がうれしそうにしているのを
見ているだけで、
とても幸せな気持ちになれた。

今わたしは、
その時の母の年齢を過ぎていた。

紫陽花の季節になると、
雨に濡れた花を見るたびに
母を思い出す。

今も雨に濡れた紫陽花は好きだ。

その水滴のひとつ一つに
たくさんのわたしがいる。

それはまるでわたしの人生の
たくさんの選択肢のように、
わたしには映って見える。

そして選ばなかった選択肢の中にも
わたしはいるのだ。

毎年同じ紫陽花の水滴に
自分の人生を映していた母。

母はどんな人生を
歩みたかったのだろう。

わたしには
決して打ち明けることのなかった
別の人生が、

母の見る紫陽花には
映っていたのかもしれない。

母が亡くなった日。

わたしは東京から実家に戻り、
母の死に目に会うことができた。

けれども、
もうわたしのことは分からずに、
ただ眠っているだけだった。

わたしは、
もしかしたら母が目覚めるかもしれないと、
ずっとそばにいたけれど、
もう覚めることはなかった。

実家の紫陽花は枯れたように
眠っていた。

けれども梅雨の時期になれば、
また花を咲かせるだろう。

その花の中に母の想いを抱えたまま、
この紫陽花はずっとずっと、
生き続けるだろう。

いつか紫陽花が花を咲かせたときに、
母の想いのひとつがこの世界に現れる。

そして母はこの紫陽花を見つめるだろう。
母は永遠に紫陽花と共にいる。


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