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【掌編小説】手紙

小さなメモ用紙に文章を書いて、可愛く折って友だちに渡す。
休み時間になればいくらでもしゃべることができるのに、まるで内緒話をするようなその行為は、小学校を卒業するまで続いた。
別に特定の誰かとだけするわけではない。
クラスの女子全員と1度はやった。「みんながやっているから」という集団心理なのだろうか。
クラスが違う子とももちろんやっていたし、違うクラスの子たちとの方が文章が長くてやりとりが続いたのはいうまでもない。

中学校に上がると、小さな可愛いメモ用紙はルーズリーフへと変わり、『みんなとやる』から『仲の良い友だち同士でやる』に変わった。
学年の数は小学校の時よりも減ったのに、こんなにも変わったのは今思えば不思議なことだ。
休み時間に渡しに行き、相手からももらい、その返事を授業中に書く。
比較的緩い先生だと、クラスの女子がこぞってノートに板書をするのではなく、手紙の返事をルーズリーフに書いているのは1番後ろの席から見ていて面白かった。
まあ、私もそのうちの1人なのだが。

中学も3年目になると、自然とその文化は消滅していった。
誰しも自分の進路が1番大切なのだから仕方がない。

小学校中学年の終わりから中学3年の初めの頃までの、約5年間。
たくさんのやりとりをした。
先生や他の同級生への愚痴から恋バナ、親への不満や部活の先輩が厳しいだとか顧問がいけすかないだとか。小中学生の頃の悩みは振り返ればたわいもなくて可愛いものだけれど、当時は本気で悩んでいたものだ。
大量の「手紙」をみんなはどうしたのだろうか。

ある友人は高校に上がった最初の夏休みで捨てたという。あるいは二週間くらいで捨てていた友人もいる。返事を書いたらその日のうちに捨てていた、と大人になってから告白していた友人もいたっけ。大体は「部屋を大掃除した時捨てていた」という答えだった。
手元に残っている人はおそらくいないのだろう。私を除いては。

それはある種のタイムカプセルだと思う。
時折それらをいっしょくたに仕舞っている缶を開けては読み返し、当時のことを懐かしむ。
誰に話すでもない、私の密かな楽しみ。
それももう、これでおしまいだ。

十分長く生きた。
あの時笑いあった友も、今はもう土の下で感情を見せない無機質なものとなっている。
1人、また1人と見送るたびに、やるせなさと虚無感が襲っていていたが、いつの間にか別れの痛みにもなれてしまった。
元々長寿の家系だ。祖先もこんな気持ちでいたのだろうか。
ただ一つ、自分の子や孫を見送らなくて済んだことだけは、どこかの神には感謝している。
元同僚や後輩を見送るよりも、きっと喪失感は想像を絶するだろうから。
かつての友を思い浮かべながらそう思う。

そろそろお迎えが来てもいいのではないかと思っているが、残念ながらその気配はない。しかし突然その道が開ける可能性もないとは言い切れないので、こうして生前整理をしている。
小中学校の頃の手紙なんて、残されても困るだけだろう。
私だけが見るのならば思い出に浸るだけなのだが、家族や親類が見るとなると、それは途端に「黒歴史」へと転身する。
夫以外への恋心に悶えていた証拠を、なぜ晒さなければいけない。それは夫と2人きりで笑い話として見返すから面白いのだ。

飽きるほど見返した。
友人たちとも死ぬほど笑った。
この手紙は当時思っていたのとは違った活用のされ方だが、そんなものは想像もしていなかったのだから仕方がない。

思い出は胸の中に。記録は残さずに。
また来世でも、こんなにも笑い合える友と出会えますように、という願掛けを込めて。

地元のお寺でやっているお焚き上げの行事が今日で本当によかった。誕生日にすれば、この先何年か生きても絶対に忘れない。
缶を開け、中身を一気に火にくべる。
もうもうと勢いを増した煙が、一足先に空で待っている友たちに思い出を運んでくれてる。そんな気がした。


初めての掌編小説投稿。
少し前に折り紙をしていて、ふと思い出した手紙のやりとり。
私はもうないけれど、どこかでこんな風にしている人がいるといいな。
生前整理も黒歴史も、もしかしたら私がおばあちゃんになる頃には死語になっているかもしれないなと思いつつ。
息子にも夫にも見せられない内容だったな。

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