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読書日記 猿渡由紀・著『ウディ・アレン追放』過去作品の評価は変わるのか?




猿渡由紀・著『ウディ・アレン追放』という本を読んだ


2021年に出た本だ。著者はロサンゼルス在住で、映画に関する記事を日本で発表しているライターというか、ジャーナリストというか、芸能事情通というか、文章も書く映画レポーターといった感じの人だ。…と、私は思ったのだが、私が知らないだけで、著名な人なのかもしれない。

文章はわかりやすく、読みやすく、しかし、ノンフィクションの文章という感じがしない。文章がこなれていて、面白可笑しくスイスイ読めるので、読んでいる人間は、途中で立ち止まって考えることがない。そういうスキを与えない文章なのだ。

スキはないけど、著者は、ウディ・アレンの側にも、反対の側にも立っていない、中立の立場を貫いて書いていることはわかった。


この本は、タイトルから想像すると、ウディ・アレンが、性加害かなんかが原因でハリウッドから追放された、というようなことが書かれた本なのかと思った。でも実際に読んでみると、そんなでもなかった。

2010年代に起こった「#MeToo」運動の流れのなかで、ウディ・アレンの90年代の性加害疑惑が再浮上して、標的の一つにされた。そのせいでウディ・アレンとはもう仕事はしないと発言する映画関係者が何人も出現し、アレン作品に出演したものの、ギャラを寄付したりする俳優が続出したらしい。

しかし、アレンはその後も、コンスタントに映画を作っているし、アレンの映画に出たいという役者も、普通にいる。本書の執筆時点では、完全追放の可能性もあったのかもしれないが、現状では、以前よりは制限を受けているものの、追放されたとか、失脚したとは言えないようだ。ただ、ネット配信などからは、アレン作品は、締め出されているらしい。

#MeToo運動で過去の疑惑が再燃


アレンが告発された性加害は、90年代に起きたとされる一件だ。被害者は、ウディ・アレンとミア・ファーローの間の養女で、事件が起きた時は7歳だった。

この時は、証拠不十分でウディ・アレンは不起訴になっている。それから20年以上たってから、「#MeToo」運動の流れの中で、ウディ・アレンの過去が糾弾されるようになったのだ。

今回は、大人になった養女本人と、ミア・ファーローとウディ・アレンの間に生まれた実の息子(告発者=被害者にとっては義理の弟になるのか)が告発者の中心になっていた。

この息子というのが、90年代は子供だったけれど、長じてからは、「#MeToo」運動の推進者の一人として、有名な人物になっている。「#MeToo」運動の発端となったハーベイ・ワインスタインのセクハラを暴く『New Yorker』の記事を執筆して、ピュリツァー賞も獲っているから、発言の影響力たるや絶大なのだ。

この息子に他に、アレンとファーローに間にはもう一人息子がいて、90年代の時は、ファーローらと一緒にアレンを告発する側だったが、大人になった今回は、性加害はなかったと、父親の擁護に転じている。

養子や実子が入り混じって、人間関係がものすごくややこしいのが、ウディ・アレンを巡るこの騒動の特徴だ。ウディ・アレンとミア・ファーローは、交際はしてパートナー関係にはあったが、婚姻関係には至っていない。それでも、二人で養子をとって育てたりしているのだから、二人の関係もよくわからないし、アメリカの仕組みも、よくわからない。

ややこしい家族関係


ウディ・アレンは、映画で有名になる前に2度の結婚歴がある。その間、不倫などもあったと書いてあった。これはハラスメントの騒動とは直接関係はないが、アレンという人物が、生真面目で内向的なイメージと違って、性的に奔放な人であることを示している。

映画人になってからは、長らくダイアン・キートンと交際し、破局後は、ミア・ファーローと交際して、前述したように子供も二人作っている。

ミア・ファーローがまた、アレンよりも複雑だ。初婚の相手は、29歳年上のフランク・シナトラだ。別れた後は、オーケストラの有名指揮者と再婚している。このときに、世界各地から数人の養子を縁組して、育てている。

ファーローは、指揮者と離婚後に、ウディ・アレンと交際するようになるのだが、その時も新たに養子縁組をして、孤児を家に向かい入れている。ウディ・アレンが性加害をしたと告発されるのは、この時の養女だ。ミア・ファーローがウディ・アレンとの間に、子供を産むのは、養子をとったあとのことだ。

事態を極めつけにややこしくしているのは、ファーローと指揮者が養子にしていた韓国系の女児と、彼女が高校生の頃にウディ・アレンがつき合いだしたことだ。その後、二人は、35歳という年齢差を乗り越えて、正式に結婚している。

韓国系の養女とアレンの関係が発覚したことで、アレンとファーローは別れることになるのだが、それと前後して、養女が7歳の時に養父であるアレンに性暴力を受けたという証言が浮上してきくる。

ファーローはアレンを告発して、裁判が始まる。しかし、それと並行して、彼等は、中年オヤジと若い女の子の恋愛映画なんかを作っている。ウディ・アレンは脚本・監督で、ミア・ファーローは、夫に浮気される妻の役だ。ウディ・アレンは自分の私生活が投影された映画しか作れないようだし、ミア・ファーローも、アレン映画の常連で、長らくアレンの映画にしか出演していない専属状態が続いていた。

仕事もプライベートも全部ごちゃまぜで、読んでいて頭がおかしくなりそうだが、当事者たちは感情的になりながらも平気で(平気でもないのか?)暮らしているから不思議だ。

金を持ったロリコン男と、セレブなファザコン女優が、養子縁組をしまくって、趣味と実益を兼ねた傷つけ合いを再生産して生きている、ようにも見える。私のような無責任な傍観者には、彼らが、痴話げんかを家業にしている業が深い人達に見えるのだ。

2010年代の後半になってから、「#MeToo」運動が盛んになり、ウディ・アレンも再び、告発されるようになる。この時、告発をしたのは、彼の実子の「#MeToo」推進者と、当事者である養女と、別れた元交際相手のミア・ファーローだ。その際、ファーローは、息子の父親は実はフランク・シナトラかもしれない、なんてほのめかしたりしているから、余計にハナシが拗れている。

「#MeToo」によって、ウディ・アレンのキャリアは、無に帰すのか、作品の評価は下がるのか、どうなのだろう、といったあたりで、この本は終わりになる。判断を下すのは読者一人一人だと、答えが宿題になるのだが、ウディ・アレンがハラスメントやったか、やらなかったかは、結局わからない。わからないけど、その後、追放になったり、有罪になったりもしていないし、ウディ・アレンは、普通に映画を製作している。

韓国系の女生とは、ずっと仲良く結婚し続けているから、ウディ・アレンは、ロリコンかもしれないけど、幼児性愛者ではないように見える。なんとなく、チャップリンみたいだ。チャップリンは生涯に4度結婚しているけど、相手はほとんどが十代だった。最後の4回目の結婚は、チャップリンは54歳、妻は18歳と36歳差だった。ウディ・アレンとチャールズ・チャップリンは、この面だけみると、いいコンビに見える。

ゴシップ好きの私には、この本は、とても楽しく読めたが、でも、なんのために書かれた本なのかと考えると、正直、よくわからなかった。

養子を育てるのはセレブのたしなみなのか?


わからないと言えば、あんなに何人もの養子をとって育てる彼らの感覚も、私にはよくわからない。なんとウディ・アレンは、韓国系の女性と結婚してからも、養子を2人とっているのだ。

養子を何人もとるといえば、アンジョリーナ・ジョリーの例もあるから、ハリウッドや欧米で成功してお金のある人は、養子をとって育てることが、たしなみとしてあるのかもしれない。

そういえば、ずいぶん昔のことだが、ジョセフィン・ベイカーは、日本に来て、エリザベス・サンダース・ホームから養子を2人とって、最終的に世界中から12人も養子にしていた。ベイカーの場合は、家の中でクマを飼っていて、そのクマをけしかけて、子供を虐待したという話もあるから、規模も奇行も桁違いだ。



日本で養子縁組というと、子供のない夫婦が孤児などを引き取って育てる、といった小さな家庭をイメージするが、アメリカのお金持ちだと、広い家の中にベビーシッターがいたり、教師がいたり、コックがいたりするから、プライベートな孤児院みたいな気もする。それならば何人もの養子を同時に育てることも可能だろう。日本とは事情がまるで違うのだ。


過去作品の評価は変わるのか?


この本の著者は、ウディ・アレンとミア・ファーローの成り行きを、淡々とレポートするだけで、性加害や「#MeToo」といった今日的な課題をどのようにとらえるべきかとか、それによって、過去の業績に対する評価がどのように変わっていくのか、といったことには言及していない。

養子をとるセレブの習慣について、その意義や社会的背景などに触れているわけでもないし、幼児性愛とロリコンについて考察してるわけでもない。そういったことを、深く掘り込んで書けば、この本もゴシップ以上の本になったはずだから、ちょっと残念だと思う。

ハラスメントに限らず、何か事件を起こしたりすると、その人の過去の業績は、全否定はされないまでも、再解釈されることになる。ハラスメントに対する意識やルールも、日々更新されているから、作品に対する解釈も、日々、更新されていく。絶対に正しいという正解もなく、立場も価値も簡単に逆転したりする。なんだかあわただしい世界になってしまった。


それにしても、何人ともくっついたり別れたり、養子を何人も育てたり、映画を作ったり、ウディ・アレンもミア・ファーローも、ものすごくパワフルだなと思う。私には生まれたときからそんなエネルギーはなかったなと思った。ということで、またとっちらかった作文になってしまった。筋の通った文章が日に日に書けなくなってきた気がする。なんだかな、だ。


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