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読書日記 荒木一郎・著『後ろ向きのジョーカー』 後だし芸人論小説

■荒木一郎・著 『後ろ向きのジョーカー』 新潮社

小説が苦手な私としては、ずいぶんと頑張っている。2冊も続けて、小説を読んだ。といっても、文学じゃないので、読みやすいのだが。

自伝的な内容だった『ありんこアフター・ダーク』と違って、こちらはお笑い芸人を主人公にした小説だった。この場合のジョーカーというのは、職業的にジョークを言う人のことらしい。ピン芸人の漫談というか、スタンダップコメディに近い形だ。

出版されたのが1997年。小説の時制は1980年になっている。だから1990年代の後半に、1980年のお笑いや芸人、テレビ業界を振り返って書いたことになる。

1980年といえば、テレビのお笑いは、欽ちゃんこと萩本欣一が全盛期で、まだ放送されていたけれどTBSの「八時だよ全員集合」が衰退してきて、漫才ブームの追い風でフジテレビの「俺たちひょうきん族」の放送が始まった年だ。

この小説によると、綿密に作られた台本をもとに、稽古に時間をかけて、練り上げられて出来ていたそれまでのお笑いが、素人のリアクションやその場のアドリブで生み出される弱い者いじめ的なお笑いに変容していった、画期となる年なんだそうだ。

主人公は、飲む打つ買う、女遊びも芸の肥やし、ついでに宵越しの金は持たない、みたいなタイプの毒舌キャラに設定されている。著者は、お笑い芸人の理想像をこの主人公で表現しているのだと思う。

2022年にこれを読んでいる私には、この主人公は、理想的な芸人というよりも、破滅型といったら破滅型だけど、それが許容されていた時代、というかそういう生き方しかできないジャンルの人に見える。

この小説を二行くらいにまとめると、小さなお笑いのライブハウスで人気が出たコメディアンが、大きな小屋に移籍し、これからテレビに出ていこうというところで失脚するハナシ、ということになる。

その過程でヤクザが絡んだ事件が起きたり、女が絡んだ事件が起きたり、お金が動いたりする。こういうジャンルの人たちのやり取りなので、お金も労働の対価ではなく、男気とか顔を立てるみたいな理由で、結構な額が動く。

著者はそういうジャンルの男女の生き方と、著者自身のお笑いや芸に対する思想を、登場人物たちに語らせている。当然、1980年当時の主流だった萩本欽一のお笑いには批判的で、漫才ブームにも批判的だ。だから結構、説教臭いトーンが多くなる。

著者がこれがお笑いだと考えているのは、時事ネタを毒舌で笑い飛ばすような攻撃的な話芸だ。攻撃にさらされるのは、強いもの、大きなもの、体制、世間だ。個人攻撃は戒められている。

そういうことで、1980年に起こった時事をもとに、主人公の口から、お笑いネタが語られるのだが、これが意外に笑えない

元が時事ネタだから、2022年の現在から読んでも面白いはずはない、ともいえるけど、この小説が書かれた時点でも15年くらいの後だしになっているのだから、もう少し、どうにかなったのでは、と思う。

同時に、伝統芸でもない限り、芸人は、時代を越えて笑わせる必要はないのだ。その時、その時の、自分の目の前にいる客を笑わせればいいのだ、未来の客を笑わせる必要は全くないのだ、とも思う。

そう思いながら、この主人公が語るネタが、今でも笑えるようなものだったら、この小説は、傑作になっていたかもしれない、と、ないものねだりみたいなことを思った。

そんなことを考えながら、くどいな……この小説が出版された当時も今も、芸人や芸能人には苦笑されるような、やっぱりちょっと「イタイ」小説なのではないか、と思ってしまった。


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