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読書日記『わたしは「ひとり新聞社」』被災地岩手で新聞を出すということ 孤軍奮闘はいつも正しい


■菊池由美子・著 『わたしは「一人新聞社」』亜紀書房

著者は、岩手県沿岸部にある大槌町の出身で、大槌、盛岡、釜石などで生活していた。2011年に東北大震災に遭遇し、大槌町は津波によって多大な被害を受けた。著者も、車を乗り捨て、高台に逃れることで、九死に一生を得ている。

ちなみに、私の従弟も、当日、釜石から宮古にかけての沿岸を配達中、まさに大槌で被災し、軽トラを捨てて山に逃げ込んで、助かっている。彼はその後、一昼夜かけて徒歩で北上山地を横断し、遠野に辿り着き、盛岡に帰ってきた。

大槌の津波被害の様子は、多数の動画が撮影されているので、現在でもYouTubeで知ることが出来る。


大槌町には、15~19メートルの津波が襲い、約1200人もの犠牲者を出した。特に、町役場では、庁舎に残っていた町長をはじめ40人の職員が命を落としている。これについては、当時からいろいろと問題が指摘されていた。NHKでも取り上げられ、だいぶ時期が遅いが、2020年に「35分間に何が 大槌町の真実」という記事になっている。

大槌では旧庁舎を震災遺構として保存するか解体するかで論議を呼んだが、最終的に解体されている。解体を積極的に進めたのは、震災の当日、この庁舎で生き残った当事者で、その後、町長になった人だ。上に貼り付けたNHKの記事にも登場していて、その個人的な心情はよくわかるが、あくまでも個人的な気持ちの印象を受ける。

さて、この本に戻ろう。

震災直後、大槌では、被災者に適切な情報が届かない状況が続き、そのことに焦りを感じた著者は、それまで新聞業も文筆も未経験だったが、被災住民に対する生活情報が必須と考えて、新聞の発行を決意した。

カメラとパソコンと、新聞作成ソフトを手に入れて、ど素人の完全なる個人作業として始めている。中央目線ではなく、あくまでも、大槌の住人、被災者の目線で記事を書くことを心掛けたという。

「大槌新聞」の創刊は、震災翌年の2012年6月30日だ。タブロイド判で2ページ。最初は裏面は手描きだった。途中から4ページになり、ニュースが多い時は倍の8ページになった。

発行は週刊で、大槌町の全戸(約5000戸)に無料配布された。経営は、緊急雇用創出事業の助成金や、広告費、寄付で賄われていた。

内容は、平易な文章で書かれた、復興情報や、生活情報、町議会情報が主で、町民の飼っている犬、猫といった癒しのコラムも人気だったという。

取材、執筆、編集、広告営業等、すべてを著者が一人でこなした。震災から10年後の2021年3月11日に発行を終えている。

現在は、一般社団法人大槌新聞社(http://www.otsuchishimbun.com/)として、オンラインで情報を発信している。

本書はその大槌新聞を一人でやっている女性の、自伝的奮闘記だ。どこを読んでも著者の誠実さと、公平なルールを尊重するまっとうさが伝わってくる。それは、反権力ではない「非権力」とでも言うべき庶民の目線だ。それは、大手マスコミでもなく、ましてミニコミでもない、大槌新聞をやることで、著者がおのずとつかみ取ったジャーナリズムなのだろう。

震災時は、こういう地域限定密着型のメディアが、一番、役に立つのだと思う。元来が受け身の私は、自分の周りに、そういうメディアがあるのかないのか、私が知らないだけなのか、妙に不安になった。

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