見出し画像

読書日記 大下英治・著『ショーケン 天才と狂気』なんだかなあな雑な本


大下英治の『ショーケン 天才と狂気』が文庫になったので、つい買ってしまった。

結局、ショーケンは、無条件で受け入れて面白がってくれる年上に囲まれていた頃はよかったが、自分が年齢を重ねて、年上になっていくにつれ、居場所がなくなっていった、っていう人生だったように見える。と、私は思っている。

さて、大下英治の本だ。それにしても、ひどい本だった。

雑のひとことに尽きる。

この本は、徹底して他人のコトバで成り立っている。書者自身の、ショーケンに対する評価とか、出演作品に対する論評はほとんどない。

この本は、俳優萩原健一の出演したドラマや映画を公開順に章立てして、作品ごとに共演者や制作関係者に取材したり、あるいは関係者が出している本から引用したり、当時の週刊誌や雑誌の記事からの発言を引用したりして、誰かに萩原健一のことを語らせて、一冊にしてある。

それは、何か事件があったときに、専門家に何かを語らせたり、庶民の声として街頭で通行人に語らせたりして、番組としての見解は何一つ公表しない日本の報道番組とかワイドショーに似ている。

もっと似ているのは、「編集部特別取材班」などといった個人の署名のない記事で、芸能人のスキャンダルを、どれくらい信用できるのかも不明な関係者に語らせて作ってある週刊誌の記事だ。

著者がそういう週刊誌を主戦場にしてきたようなので、それは仕方のないことのようだ。しかし、本書を書くにあたって、著者は、ショーケンの出演した作品を見て検証したという痕跡もないのは、ちょっとどうかと思った。

証言者の人選も、よくわからない。萩原健一の人生や俳優業に深いかかわりのあった人達への取材は、ほとんどない。取材しやすい人にだけ取材した印象だ。取材しやすい人だから、ハナシの内容も薄い。

それ以上にひどいのが、文章だ。

著者は、大下英治になっているが、一人の著者として顔を出しているのは、前書きの部分だけだ。本文は、文責が誰にあるのは、よく分からない文章が続いていく。最後のほうで、突然「筆者は〜」と著者が出てくるところが一か所だけある。

しかし、一人の著者というより、何人もの人が書いて、寄せあつめて一冊にした、みたいな印象の本だ。複数の人がいるから、「私」が出ないように書いている、そういう印象を受ける文体だ。重複もあるし、時制の混乱もあるし、文章の流れと無関係な1行とかが唐突にあって、意味の取りようのない箇所も多い。

もう少し整理すれば、ちびっとはまともな文章になるのにと、素人の読者である私に思わせるレベルの本だ。編集者の手の入る前の段階で本にしたとしか思えない。

とにかく説明が下手だ。事実関係が理解できない文章がとても多い。日本語表現として間違った使い方もある。編集者は「添削」しなかったのだろうか? 誰かが最後に、統一された文体で書き整える、という作業が、この本には必要だったのではないか?


実は、私がこの本を読むのは二回目だ。最初は単行本刊行時だ。

今回は、二度目のせいか、一度目の時よりは、あまりつっかえないで読んではいる。前回は気になるところが多くて、突っかかってばっかりだった。今回の感想も、おおむね、前回と変わらない。

週刊誌記事の寄せ集めみたいで、資料としては何の役にも立たないな、と改めて思った。文庫化にあたり、加筆修正したとあったが、情報が増えたり、精度が増した印象はまったくない。

とある証言者が、音楽関係者を批判したととれる箇所が削除してあったことだけはわかった。その程度しか、私には違いがわからなかった。


著者は、たくさんの本を出している。政治家の評伝から芸能人の評伝、ヤクザに関する本まで幅広い。ウィキでの肩書は、ルポライターで作家だ。年齢は1944年生まれだから、今年、80歳だ。

年齢が影響して、文章がひどいのだろうか?

でも、老人にしては旺盛に活動している。最近も、『任俠映画伝説 高倉健と鶴田浩二』なんて上下本を出している。

他の本もこんなレベルなのだろうか?

また、クソミソに書いてしまった。
読んでくれた方には、申し訳がない。いつもこんな文章でスイマセン。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?