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読書中は江戸にいる

時代小説を読んでいる。
歴史モノとは違う、江戸の町に住む人情溢れる人々の生活を描いたものだ。
いろんな時代小説を並行読みしていると「あ、この橋の近くに磐音の今津屋がある。この橋の近くには澪の働くつる屋があって、この大川を小藤次が船で行き来してたのか。」と、年代は違うけれど、地図上で見るとなかなか面白い。
神田明神、浅草寺、吉原、江戸城、やたらめったら伊勢屋。

時代小説にはじんわりと温かい義理人情があったり、殺伐とした浪人の生き様があったり、問答無用の奉公や嫁入りがあったり、助け合う長屋の暮らしがあったりする。
子供は13歳くらいになると親元を離れ奉公に出されたり、どこかの職人の弟子になったりして働き始める。大抵どこの家も貧しく、子沢山だ。子供の稼ぎを当てにするのも普通のことだ。
長屋に住む女たちはみんなで家事や子育てをし、介護をする。男たちは仕事帰りに一杯やり、時に吉原へ繰り出す。女に入れあげたり博打にはまったり借金を作ったり。
見栄っ張りの男と腹の座った女という夫婦がよく出てくる。喧嘩ばかりで何故か相思相愛。

小説内の江戸では子供からお年寄りまで、朝から晩までよく働く。食べ物は少なくて睡眠時間も短い。言葉は悪いし手は出るし喧嘩っ早い。ひとっ風呂、ひとっ走りとせっかちで気が短い。てやんでぃ。
寿命が短いのも頷ける。

時代小説では死がとても身近にある。あっという間に燃え広がる火事、川の氾濫による水害、予防法のない疫病。刀や匕首を持って歩く人は普通にいたし、犯罪の数も多かっただろう。
江戸っ子は自分の命は捨てがちで他人の命を守りがち。

時代小説を読むとき、その時代の風景が広がって見えてくるのはたぶん子供の頃観ていた時代劇の影響だろう。水戸黄門、大岡越前、暴れん坊将軍、長七郎江戸日記、三匹が斬る。夕方になると洗濯物をたたむ母の横でよく観ていた。
呉服屋の店内、夜鳴きそばの店構え、しじみ売り、渡し船、旅籠、銭湯、火の用心の声、長屋の前の井戸端会議、子供の小汚い着物、侍の菅笠、駕籠かき、、、
物語の中とはいえ暮らしぶりはそれほど違ってはいないはず。なのに今の暮らしを思うと異世界のように感じる。本当に同じ日本だよね?
まぁ、平安時代と比べると江戸時代の人々も同じ感覚なのかなぁ。


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