本当の感謝は、という話だったのに

先日ぼんやりと今までのことを振り返って考えていたとき、成長した息子たちのことを思った。本当に立派に成長してくれたな、と。長男は素直で真っ直ぐに、次男は優しくしっかり者に。もうあまり心配することもなく、してやれることもない。そんなことを考えていたとき不意に、息子たちに出会えたのは夫のおかげで、夫と私が出会えたのはお互いの両親のおかげで、そして祖父母のおかげで、、、代々繋がってきた家系図の中に私と夫が組み込まれたことを実感した。

父が以前、自慢げに家系図を見せてくれたときは「男の人はこういうのが好きだよね。」とだけ思っていた。けれど今になって思えば、父なりのご先祖様への感謝の表現だったのかもしれない。代々繋がって自分が生を受けたことへの感謝、子供に出会えたことへの感謝。実家に帰ったときは仏壇に手を合わせたりお墓参りに行ったりもしたけれど、ご先祖様への本当の意味での感謝はできていなかったのかもしれない。そして両親への感謝も。

日常生活では「ありがとうは大切だから」とこまめにありがとうを言うようにしてきた。運転してくれてありがとう、荷物を持ってくれてありがとう、ドアを開けてくれてありがとう。だから自分はちゃんと感謝ができる人間だと思っていた。でもそれは大きな勘違いだとわかった。

自分の人生をさかのぼって少し考えてみるだけで、いかに自分が感謝を知らずに生きてきたかすぐに思い当たった。親になって初めてわかることがあるとは言うけれど、今の今まで平気だったなんて!と驚くことがあった。以前のnoteでも書いたことがあるけれど、私たち夫婦は長男を授かってから結婚をした。当時は若かったこともあって自分のことしか考えていなかった。両親がどんな思いでその話を聞き、どんな思いで許してくれたのか想像したこともなかった。当時はできちゃった婚と言われ、まだ受け入れられない時代だった。真面目一筋の両親にとってはそれこそ青天の霹靂だっただろう。その時の私は「許してくれてありがとう。」の安堵の感謝だった。そして息子が、私が妊娠した年齢を超えた頃に考えていたことは「私は別に授かり婚でも良いよ。」だった。自分を心の広い人間のように思っていた。

この歳になってこんなことに改めて気づくなんて本当に情けない。確かに両親とはいろいろあって疎遠な状態だったけれど(これも以前noteに書いた)今でも心を開くことはできていないけれど、父が癌で入院したときでさえ私はきちんと向き合っていなかった。「父は私と似ていてポジティブだから大丈夫でしょ。」初期の癌とはいえ告知を受けたときは頭が真っ白になっただろうし、(私もそうだったのに)母は性格上特に不安だったと思う。何故そんな時でさえ思いやることができなかったのか。

この、自分が両親にしてきた酷いことに今まで本当に気づいてなかったことは私にはかなり衝撃だった。深夜にひとりで号泣してしまった。申し訳なさとありがたさが入り混じっていた。今まで何不自由なく育ててくれたのに。ずっと私たちの重荷にならないように気遣ってくれていたのに。

いろいろ考えてひとつ思い当たったのは、子供の頃、私は暗かった家の雰囲気を明るくするためにずっと明るく元気な子を演じていたこと。小学生の頃から大学進学で家を出るまで約8年間、とにかく明るくふざけていた。結婚してから実家に家族で帰省したとき、夫に「チャキチャキしてて別人みたい」と言われたことがあった。両親を前にすると条件反射のように明るく振る舞ってしまう。これ以外どう振る舞えば良いのか今でもわからない。父のお見舞いに行った時でさえそうだった。


過去を思い出すのはなかなか辛いものがある。あまり覚えてないながらも心の傷は残っているものだ。心の扉を開いてみるといろんなことに感動すると同時に奥の方にあった闇まで出てくるとは。

書いていて、若干、放心状態なので、これからは両親に感謝を忘れずとか、うまくまとめられないので、これで終わります。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?