見出し画像

ヒロシと愉快な仲間たち 焚火会を見て

ソロキャンプの動画を見るのが好きだ。その理由は自分もやってみたいとかではなく、やっている人の"人となり"が知れるからだ。その人の人生観や、自分を見つめることによって発せられる言葉が興味深いからだ。
だから道具とか料理とかの説明が多い動画はあまり見ない。たわいもない家族の話とか自然の感じ方とかが知りたい。

お正月に録画しておいたものの中に焚火会があった。ソロキャンプの仲間、若干の矛盾を感じるのがまた良かった。
それぞれが独立していて、ひとりでも大丈夫なんだけれども一緒にやることを選ぶ。その自由さ。それほどに気が合う仲間。プライベート空間に入ってもいい仲間。

ソロキャンプをある程度極めている人はちゃんと自分と向き合っているという気がする。ボーッと焚き火を見ているといっても、やはり自分の将来や仕事、家族について考えると思う。そういう内観ができた人にはある種の落ち着きがある気がする。
まあ、ヒロシさんはよく喋るなぁとは思うけど。ヒロシさんは奥深いソロキャンプの最終地点(内観の終わり)を迎えたように思う。それがソロキャンプの仲間。ヒロシさんは人生観や哲学が出来上がったように見えた。内観が終わり、饒舌になり、話が未来のことへ移っていく。夢と希望。そして感謝。
感謝し感謝されることで生まれる幸福感と信頼感と自信、そして仲間に恥じない自分であろうとする感じ。
そういう空間には何か良いことが起きる、語った夢が叶っていくという奇跡が生まれるのかもしれない。みんな楽しそうで幸せそうだった。

ソロキャンプをする人はひとりの時間が必要な人、人見知りで、人との距離感を知っている優しい人だと思う。だから仲間といてもお互い居心地が良い。肩書きもなく、素の自分を出せる、また会いたい、離れがたいと思えるような仲間に出会う奇跡がそこでは起きている。

ソロキャンプは全てが自分発信。自己責任。行くのもやめるのも自由。調べて探して行って使って作って。日常に流されず、それをやろうと思い実行する意思の強さ、何かを手放して得た時間、手放す勇気、己と向き合う勇気。私にとってのソロキャンプはそんなイメージだ。

まあ、私が今もまだ家事と育児に奮闘していたなら、きっと「家庭と仲間とどっちが大切?」とか言っちゃうかも。その間ワンオペになるわけだし。嫉妬や、自分ばっかりずるい!という気持ちになってしまうかも。でも育児が終わった今は夫にそれを味わって欲しいと思う。
「最高だね、なんか良いよね」って言葉しか出てこないほどの満たされた気持ちを持てる仲間と時間を持って欲しい。
私にもいつかそんな仲間ができたらいいな。ヒロシさんたちの間で起こっている幸せな奇跡にワクワクした1時間でした。


ソロキャンプをされている人々に私の多大なる憧れと空想が混じってしまっていることをご了承ください。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?