見出し画像

男性の産科医さんのツイートを受けて、様々なひとに宛てて書いたもの

男性の産婦人科医さんが、女医を希望する女性に対して「わからせ」のようなものをしたという投稿が、Twitter流れてきたときに、書いた。

産婦人科医で女医を希望することはそんなにいけないだろうか?
医師に女性が少ないことは、女性が志すことがないからなのか?
そもそも産婆さん、助産師さんが女性ばかりであったことは、どうしてであったのかを、男性は考えないのだろうか?
産科、婦人科は主に女性が来るところ。そして、医師に陰部を晒し、内診を受ける。膣に器具を挿入する。それは、他のどの科よりもあまりにデリケートなものだ。

その投稿を受けて、女性の産科医が少ないこと、まず医師に産婦人科を目指す者が少ないことなどを上げ、少し嫌なくらい我慢すべき。というものもあった。
でも、女医を選びたい気持ちも知ってほしい、と発信した。
それに返ってくるのは「その仕事に対する思いや、真剣に医師として頑張っているのに、人手も少なく、訴訟も多い、それでも産科を選んだ医師だ、それらを否定するな!」とのお叱りもある。

でも、女性が、他人に上記のことをしてもらうなら、女性がいいと思うことを、理解して上での発言なのか?
少しの我慢と考えるのか?
そんなに嫌なら女医を増やせば?という投稿も。
きっと男性にとって他人事なのだろう。だからそういう結論で揶揄するのだろう。なんなら、男性は産婦人科に女医が増えようが減ろうが困らないから、本当に関係ないことに違いない。

身体が男性なら、一生、生理にまつわる困り事も、妊娠出産、避妊、そして中絶をすることは、ないのだから。

全国の関係ないみなさまへ
全国の産婦人科医さまへ
すべての性被害者へ
わたしの加害者へ、全国の愚か者たちへ
わたしの大切なひとたちへ
わたしの中のわたしへ、わたしの絶望、わたしの希望へ

そうして書いたものに、加筆と修正をして、ここに置きます。


わたしの地域の医療を担当する男性の産婦人科医さん、他の男女ともに産婦人科医療に携わる方へ。
それから性被害のトラウマでの産婦人科に対する拒否感を非難する男性へ。

まず、はじめに、本当にごめんなさい。
わたしは、男性の産婦人科医さんに治療を受けることが、耐えがたい苦痛に感じてしまいます。

男性に陰部を晒す、中をどこうされる。
それがたとえ治療のためでも、あなたがわたしを真剣に救いたいと思ってのことも、わたしは身体男性に性被害に遭った、その事実が余りに大きく、トラウマ反応(産婦人科医さんならご理解頂けるかと)で、心がどうしても無理なのです。

あなたの医師としての頑張りや、理念や、これまでの経験などを否定するわけではありません。

でも、例えるなら、凶暴な大型犬に噛みつかれて瀕死になったせいで、あんなにも素晴らしい役目をしてくれる盲導犬すら恐怖になってしまったのです。
身体男性にレイプされた。だから身体が男性であるひとに、自分を晒すことが生理的に無理。恐怖です。
電車にすら乗れなくて、女性専用車両に、本当に救われた。
男性であるだけで恐怖。そんな自分の理不尽を、わたし自身、なんて理不尽な!と思うけれど、どうにもなりません。

産婦人科医である、あなたのことを拒否することはしたくなかった。
そうしないためにも、わたしは、自分を諦めたいと本気で思っていました。

けれども、わたしには、解離性障害という疾患を患っていて、解離という症状から、そんなイレギュラーから、結果的に救われることになりました。
救ってくれたのは、男性の産婦人科医さんです。

ただ、誤解されてしまっては困るので一応言っておきますが、あなたが身体男性でなくて、身体女性であっても、他人にわたしの子宮を、膣を、二度と何にもされたくなかった。
たぶん、女医さんであっても、その場に行くことはとても悩んだし、それでもハードルは下がる。

でも、やっぱり、わたしは女性の産婦人科医さんにすら、あの地獄のようなレイプを生き抜いたあと、膣に何かを入れるなんて、自分のためでもしたくないし、治療でもされたくなかった。

妊娠の可能性より、丸ごと自分がいなくなったほうがどんなに良いかと本気で思っていた。

でも、そんな状況で診てくれるのは、結果的には男性の産婦人科医さんしかいなかった。

でも、わたしはずっと忘れることはないでしょう。
妊娠の可能性がないこと、男性の産婦人科医さんに確認をしてもらったときのこと。
「あー、精子がうじゃうじゃいるねえ、でも排卵前だから大丈夫だよ。分かる?排卵しないと妊娠しないのね」
こんな言葉で伝えられたこと。

わたしが事情を伝えていないから、そういう言い方をしたのかもしれません。
わたしがちゃんと、レイプをされての受診だと伝えれば違ったのかもしれない。
伝えること自体が怖かった。
事実であるけれど、事実にしたくない。言わないでいたら事実にならないんじゃないか、馬鹿みたいにそんことを考えていました。

「いつこんなことしたの? え、わからないって……いつもこうなの? あのね、こんなことしちゃダメだよ? まだ若いのにね、妊娠したら困るって思ってるんでしょう? ちゃんと避妊しないと。妊娠だけじゃなくて性感染症って言うのもあるんだよ。自分を守るためにも相手のためにも、必要なんだよ」

安心が得られたと思えなかった。自分を殺してしまいたかった。

来なければよかった。来なければこんな事実を知らないでいられた。
責められた、叱られた、正しい助言でしかないものを、理不尽だって勝手に思うこともなかった。

妊娠の可能性がなくて本当に良かった!じゃなかった。
わたしの子宮にうじゃうじゃいる精子、なんて事実から目をそらしたまま、この人生を終えたほうがどんなに良かったか。

いまでもその気持ちが多分にあります。本当に勝手ですが、身体男性の産婦人科医さんを心から信頼することができないでいます。

だって、あなたのその下半身にはきっと男性器が付いていて、女性に性行為を強いることを、しないとしても、可能で、してしまえるって思ってしまえるから。

自衛しろ。女性は常日頃から言われています。
知っているかと思われます。

そして、産婦人科医さんにとってはきっと怒りに震えることだろう、産婦人科をマネたAVすら出回っているし、その行為をマネたい一般男性までいるんです。
いろんなことが、恐怖につながって、未だに産婦人科という場所が、苦手です。

とても酷いことを言っている自覚があります。
でも、わたしは性行為というものが気持ち悪いから、性器そのものが嫌悪でしかなくて、性行為なんてグロテスクな行為でしかなくて。

そのせいで、あんなにも可愛いらしい、罪なんて微塵もない、姪姉妹が誕生したその小さな体を、なんて気持ち悪い!あんな行為の結果のもの!としか思えなかった。

自分すら、その行為で産まれてきたことが嫌で嫌で仕方ない。
必要ないのなら、わたしは産婦人科に永遠に行きたくない。
幸せな妊婦さん、幸せとは限らないけれど、そのお腹にいのちが宿っている、性行為をしたひと、あんな気持ちの悪い行為をしているひと、そんなフィルター越しにしか見られないから、ツライ場所です。
自分自身を、なんて酷い人間なのか!と責めてしまう。

あなたたち、すべての産科医のしていることを、治療のためと理解はしても、膣に危惧を挿入すること、この行為は、レイプではなくとも、毎回毎回わたしの心を、現在もズタズタにする。治療が必要なければ、あなた方にこんな気持ちを抱くことはきっとなかったと思う。

わたしは、酷い生理痛には悩んでもいました。
生理痛が酷くなったのは、レイプ被害を受けてから。それまでは生理痛とは無縁と言ってもいいくらいでした。
でも、どんどん酷くなっていきました。寝込んで我慢する一週間が月一でくる。
精神科の先生に相談したら、婦人科に行くように言われました。可能性が高いのは、子宮内膜症ではないか?と。その疾患について調べると、放っておくのは危険かもしれないもので、真剣に考えました。
内診を受けなければ、ならない。
わたしは過呼吸に陥りました。そして、無理だ。と諦めました。
それを精神科の医師に伝えると、行かないのが自分のためでないのは理解しても、行くことができないなら仕方ないね、と。ちゃんと考えてその答えなら、仕方ない。強制もできない。

変わったのは、それからまた数ヶ月が経った生理のとき。
激痛で動くことすらできない。ベッドの上で汗だくになって、独り耐えていたら、その痛みに耐える異常な姿に、救急搬送されてしまった。
恐怖心でしょうか。解離が起きてもいました。救急搬送される。産婦人科に連れていかれる。嫌だ。嫌だ。
血圧も下がりに下がり、吐き気とめまい。
そんな中、解離しているわたしには、レイプのトラウマの記憶もなく、痛みをどうにかしないと!と、内診を受けることも可能になっていました。
救急車の中で、どうしたら、内診を避けられるのか、そんなことを考えていたのに、イレギュラーにも、わたしは解離性障害でした。

その病院の産婦人科医さんは、内診っていうのをするんだけど、大丈夫かな?そう聞いてくれました。
その言葉があるだけでも、あまりに違った。
年配の男性医師です。わたしのことを気遣う言葉をくれたことに、多くの感謝をしています。

わたしは「機能性月経困難症」と診断され、通院が必要になりました。
低用量ピルは、わたしが当時服用していた薬と相性が悪く、中容量のものを服用することになりました。
その効果には驚愕するほどです。あんなにも痛かった生理痛が、こんなに軽減するなんて。

それでも、いまはなんとか通院できるけれど、わたしは年に一度とか、内診をするとなると、恐怖や嫌悪でいっぱいになり、感情を殺しても無理になれば、通院はしなくなるかもしれない。
いまの婦人科の主治医さんに、内診を受けることすら、まだ辛くてたまらない。
妊婦さんがいる待合ロビーもツライ。
解離しての診察になることが多いのです。
わたしはたまたま、解離なんてイレギュラーが起きる精神になっていた人間で、だから可能になっているだけで、解離がないなら、通院を拒否するときがきっとある。

性被害で、産婦人科がツライ場所になった。
言い訳でしょうか。自己弁護でしょうか。恩知らずでしょうか。

それで構わないです。
男性の医師に診て頂いていて助かったんだろ!何を言うか!
そう思ってくださって構いません。

わたしは画面の向こういるあなたを知りませんから、もしかしたら、わたしのことを診察している医師であるかもしれない、その可能性も知りながら、これを書いています。

本当にごめんなさい。

直接わたしを救ってくれた医師かもしれない。
でも、そんなことすら関係なく、わたしは救われなくても良かったのにと思うことがたくさんある。

いまもあのときのことを、内診で妊娠の可能性を否定されたときのことが、フラッシュバックが起きるほどのトラウマの一部なのです。

特に日本には、性被害を受けたと告げずに妊娠の可能性だけを確認にくる女性が多くいます。

なぜ告げないか、わかりますでしょうか?

警察すら、被害を真剣に聞いてはくれないからです。
被害届の受理の前に聴取すら拒まれることがあるからです。

そうでなくても誰にも知られないままにいたい、そんな女性はいます。
起きたことを認めたくない。でも妊娠したかもしれない……
妊娠は深刻な問題です。目をそらしてばかりもいられずに、確認するためにも(膣などが傷ついていないか、性感染症等のためにも)、もしもが起きないためのアフターピルの処方のためにも、行かなきゃいけない、それが性被害を男性に受けた女性が直面するものです。

本当にツライことです。
したくもないことなのに。自費で自分の落ち度がないことの後始末をするのです。

被害届を出していないなら、永遠にわたしたち性被害者たちの加害事実を認める資料は存在しないことになります。
それを警察が、あなたのためとすすめます。

早く忘れた方がいい、忘れて生きた方がいいよ、そんな言葉で、やさしくわたしたちの被害事実を資料にすら残さないことを警察はすすめます。

「被害届を出すには詳しく話を聞くのだけれど、ツラいよ。耐えられる?」
「被害届を出しても犯人を逮捕できる保証はないよ。裁判になっても勝てる可能性もそこまでじゃないし。勝訴しても賠償金も対してもらえなくて、逆に大変だよ?」

ねえ、どうして? 本当にわかりません。
どうして被害者ばかりが損をする司法になっているの?
被害を受けた時点で、ものすごく酷いことになっているのに、加害者はなんの不利益も被らないで。
なんて理不尽なんだろう。

そして、わたしは被害届も出していないから、加害事実がないことになっているということになりました。
あなたは加害された事実もないから被害者ではない!
と関係のない男性に言われました。
それについて、事実を述べただけだ。被害者ぶるな。との追記付きです。

事実はあった。でも、被害届を出せなかった。

まず、わたしが被害届を出すためには、車で3時間以上かかる道のりを行き、管轄の他県の署に行かなければならかった。
その体力はなく、地元の警察にお願いしましたが、どんな事情でも管轄以外ではできないらしいのです。
そんなことを言われて、自分には不可能であると思ったのです。

聴取でも、二次被害なんてものをどんなに受けても、自分のために頑張ったんだって、被害届と加害事実さえ資料に残せたら、思える日が絶対に来たと思う。
加害事実がないから被害者でもない。そんな言葉も言われなかったかもしれない。

わたしが被害届を出さなかったせいで、自業自得かもしれません。
管轄に行けないのだから、わたしがシステムに従えないから仕方なかったのでしょう。

それでも、わたしは加害者に加害されなければ、こんなことを現在思うこともなかった。

少なくとも、産婦人科医さんの仕事を気持ち悪いものとは思わず、素晴らしい仕事と心底言えました。
姪のことを取り上げた医師に感謝し、なんて素晴らしい仕事だと思えた。

罪もない妊婦さんや、あんなにわたしを慕ってくれる姪たちに、気持ち悪い、なんて思わなかった。

姉に「おめでとう」と言えなかった自分がいまも許せない。
姉のママになるという夢が叶った、そのことを祝えない自分にはならなかった。

とても酷い人間です。それは自覚しています。
産婦人科医さん、あなた方にも酷いことを言っています。

でも、わたしの心もズタズタになります。

あなた方に酷いことを思ってしまった事実。
姪姉妹の誕生をどこかで現在も祝えない自分。
大好きな姉の夢がかなった瞬間、その姉に「おめでとう」と言えなかった自分。
なんてなんて酷いことをひとに強いているのか。

わたしを助けてくれるやさしさにも、わたしは感謝を心からできない、最低の人間です。

でも、加害がなければ、そうは思わなかった。

わたしが女性で、膣への挿入や射精される側でなければ、性被害を受けた直後に、妊娠の可能性を調べる必要もなかったでしょう。
女性にうまれてごめんなさい。

性被害でも、男性として受ければ、産科医さんに妊娠の可能性を確かめてもらわなくて済んで、あなたの仕事に、絶望を感じる瞬間もなかったかもしれない。
(男性の性被害者さんを貶めるつもりはありません。そう感じたら、批判してください。受けるしかないものであると思います)

少なくともあの、加害から感じることがなくいたでしょう。

性加害の事実がある。それがあなた方にこの思いを抱いた理由です。

「加害事実がなくても思ったかもしれないじゃないか!」
そういう返してくるヒトがいます。

でも、
「だから、なんですか? わたしにその未来は絶対にないのに?」
としか思いません。
過去があるからの今でしかない。

もしなかったら、なんていう話ほど無駄な想像はありません。
現在は現在しかない。わたしに性加害がなかった未来は絶対にこない。

そんなことを引き合いに出して、加害事実がなくても思わなかったとは限らないだろ!なんて、絶対に来ない未来を語るひとを軽蔑します。

来ない未来をその想像し、どうせお前はそう言ったんだ!なんて。そんな未来は永遠に来ないのに、勝手に決めつけて話すヒトを心底軽蔑します。

わたしにある現在は性加害によって、それらを気持ち悪いと思ったこの現在しかない。
そしてこの先にも、そこからの未来しか来ないのです。

たくさんの罪のない生命を否定することを許してくれなんて言いません。素晴らしい仕事に従事してくださるあなた方を尊敬はしています。

でも性加害を受けて、わたしの心が、脳が、いざ自分の診察にとなれば、そんな風に思えなくなる。
そう思えない自分に絶望します。
わたしのことを酷い人間と糾弾し、軽蔑してくださって構いません。
事実でしかないから。

ただ、その背景に、性加害があったことを、その罪を憎んで、そこにある絶望がそうさせてしまったのだと、それを気の毒だ、そう考えてください。

心の貧しい考え方をする人間になってしまった。
弱い人間だと見下し、気の毒だ、カワイソウにと思われても、性加害があってそうなったという部分があれば、わたしはどんな言葉を投げかけられても構いません。

ただ、産婦人科に従事する医師になら、です。
わたしと関係ないひとにそれを責められるいわれはないです。
あなたに思ったわけでも、あなたに酷いことを、産婦人科医療に関しては強いていないのだから。

それを正義と振りかざし責め立てるあなたを軽蔑する。
わたしのことを軽蔑しても構わない。
あなたの正義になんてわたしにも軽蔑しかないから。
あなたは、わたしの心を、体験したことを、寸分違わずに感じることもできない。
違う人生を歩んでそう考えるだけのことで、わたしを想像で語ることしかできない。
寸分違わないもの感じることができないものを想像で語り、しかもわたしが直接酷いことを強いた相手でもないのに、振りかざす正義は、偽物で、偽善です。

あなたには理解できない現在なのだから、あなたにこの心や感覚を断罪する資格はない。
同じことに遭っても自分なら、なんて、そんな言葉を吐こうものなら、なんて愚かな人間だろうと気の毒で仕方なく、軽蔑し、同情し、そんな正義を信じるあなたの言葉は、わたしにとって偽物でしかないと断言する。

それを否定するなら、どうぞ、何度となく性被害に遭い、監禁されてレイプされてから言ってください。どうぞ、男性から被害を受け続けてくださいね。

そうでないのに、あなたにがわたしを断罪する資格はない。
わたしはそう言い続けます。あなたが何を言っても。

あなたがわたしと同じ経験をし、寸分違わず同じことを感じる未来は永遠に来ないのだから、同じ加害者に寸分違わず加害される未来は来ないのだから。

性被害を受けたこともない男性に言われるなら、なおのこと、軽蔑しかない。
だって、あなたは妊娠することが永遠にない身体で、内診を受けることは一生ないでしょう。
だからその気持ちは想像でしかなく、その想像を正義と語ることの愚かしさ、それに気付けないちっぽけな脳と知能に、なんてカワイソウに、と心底思います。
(男性の性被害者のみなさん、これらはあなたの被害を女性より軽いと言いたいわけではありません。表現がキツイものになってしまい、申し訳ありません。被害を軽視する男性に告げたいことです)

ただ、わたしは全身体男性に恐怖心を抱いてしまうことは本当に申し訳ないと、酷い感情でしかないと理解しているつもりです。
だからそのことで責められることは受け入れるしかありません。

ただ、性加害の事実を無視してそのことを話すなら、軽蔑に値するとも感じます。
自分には関係ないことでいわれのない感情を、事実でない感情を抱く女ですが、性加害があったことでその感情を持った女性と考えられないあなたには、心からの敬意でもって、その事実を謝罪することはできません。
不本意ながら申し訳ないと、本当に不本意だと感じながら、心無い謝罪しかできません。

どうか、わたしの人生を性加害抜きで語ることをしないでください。

わたしの人生は、わたしの現在は、性加害があったものしかないのです。
他の現在も未来もありえないのだから。
わたしの人生を性加害抜きで語らないでください。

過去は過去、現在は現在などと、優しい言葉、親切な言葉は、要らないのです。
いまを幸せに生きる努力をすればいいことなど、自分が一番わかっていますし、そうあろうとしています。

でも、わたしにはこの人生しかないし、この人生を生きるのだから。
過去が現在を作ったのだから。

わたしだって、性加害のない人生を見てみたかったです。
でもそれは永遠に来ないものなのです。
わたしはこの人生しかないから、わたしはわたしを愛するために、わたしの人生のすべてに、真摯に向き合い、希望にも絶望にも、全力で向き合って、あなたの愚かな言葉は全力で否定し、わたしがあなたに強いた酷いことには全力で謝罪し、あなたがくれたやさしさに全力で感謝する。

ただ、そこに性加害の事実があったことを否定する言葉があるなら、表面上のみでそうします。

性被害を軽視して関係ないと性被害者を非難するヒトに、わたしが真摯に向き合う余力などありません。
それに値しないヒトに、わたしの全力は向けることはできません。
あなたもわたしがどうでもいいように、わたしもあなたに全力で対応するような余裕はありません。

性加害とは無縁の男性へ

性加害を身体男性に受けたせいで、わたしはあなた方に恐怖を抱いてしまいます。本当に申し訳ありません。

女性専用車両においては、きっと不満のある方もいると思います。
けれど、あなた方の協力のおかげで、わたしは病院に通うことが可能でした。
車もなく、電車でしか通院できず、タクシー代なんて出せもしない経済力。それでも、あのひとつの箱があったから、本当に助かりました。
女性専用車両というたったひとつの箱に、女性しか乗っていないという環境を守ってくれて、本当にありがとう。
そして、いまは、通常の車両にも乗れるようになりました。
ありがとう。

産婦人科医さまへ

性加害を受けたことから、わたしはあなた方の仕事を妙なフィルター越しに見てしまいます。
素晴らしい仕事、意義のあるものでしかないのに、本当に申し訳ありません。

関係のないみなさんへ

わたしは性被害に遭ったことを言い訳にしているのでしょうか。
被害者という盾を使って卑怯でしょうか。

確かに、わたしの人生は性加害以外にもいろんなことがありました。
それでも性加害がなかった人生はもうないのです。
それに現在思い出せる限り、一番つらいと感じて、一番精神に影響を及ぼし、わたしの人生を大きく変えたものはそれ(性暴力)でした。
それが現在のわたしにまったく影響していないなんてことは絶対にないのです。
それらを含めて作られてきたわたしの現在と未来を、わたし以外が憶測で語ったなら、真摯に軽蔑をお返し致します。

あなたに、わたしの性被害のことはまったく関係ないでしょう。
それは事実でしかないです。

でも、あなたに、わたしが直接強いていないことに、わたしが謝罪する必要はないと考えます。
あなたの立場から、被害者は大袈裟だとか、そんな浅はかなことを言えてしまえて、その愚かさは軽蔑に値します。

どうしてそんなにも上から見ているのでしょうか?
どうしてそんな風に言えるのでしょう?

ひとを憶測で語る愚かさに気づけもしないひとに、真摯な態度なんて、わたしには不可能です。


読んでくださりありがとうございました。


わたしに加害した男性たちへ

加害者、わたしはあなたを許すことも忘れることもない。
わたしの歪んだ認知でもそうしてみせる。
あなたに壊されたものすら、わたしは愛してみせる。
あなたに感謝なんかしない。
あなたの加害事実は存在しかしないし、
そんなあなたを永遠に許すことも忘れることもしない。

それでもあなたが現在を真摯に生きることを祈っている。

もしかしたら、もうこの世にいないかもしれないけど、わたしはそれを永遠に知りたくもない。
そして、あなたに加害されたことを忘れないし許さない。
それがあなたにしてあげられることだから。

あなたが後悔していなくても、罪を感じていなくも関係ない。
わたしは、あなたに壊されたものを、あなたを忘れず許さないでいる自分を、愛し生きていく。

性被害に遭ってしまったあなたへ

きっと、どんな選択をしても、わたしはあなたが選ぶことを尊重します。
(復讐にために加害者の加害で返すという形は、できれば取らないでほしい。これ以上、加害者に人生を狂わされるのは、勿体ないから)
あなたの言葉や、行動を、知り得る限り、心に刻んでいきたいです。
そんなことしても意味はないかもしれません。
でも、あなたが生きて受けた傷を、吐き出したその言葉は、きっとどこかでだれかに届いていることを、信じていてほしい。
わたしは直接、あなたに関わることは出来ないかもしれないし、少なくとも、いまのところできません。
ただ、心に刻み付ける。それしかできない。
ネット上のあなたの言葉をこっそり読んでみたり、それだけになるかもな、無力なわたしです。何にもできない。ごめんなさい。
助けてほしいよね、わたしも助けてほしい。同じだね。

わたしが勝手にすることだから、勝手だと言ってくださいな。
でも。
人生を壊された。
それを寸分違わず感じることが出来るたったひとりのあなた。
あなたの人生は、あなただけの評価が本物です。
どんなものでもそう。

いままさに苦しんでいるあなた。
声をあげられなくても、訴えることも出来なくても、
誰に打ち明けられなくても、
勇気がないなんてことはないからね。
被害を受けても、いま、あなたは生きている。
それだけでもう、ものすごく頑張っているよ!
あなたは生きている。生き延びた先のいまも生きている。
もう、本当に頑張りまくりだよ!
起きてしまったことは、あなたのせいじゃない。
あなたは何も悪くない。
あなたがそう思えなくても、そうでしかないから。
あなたにいま絶望しかなくても、誰かに否定されても、
わたしはあなたの頑張りを称えます。

わたしのたいせつなひとたちへ

あなたを大切だとしか思えないくてごめんなさい。
あなたがどんなに否定しても、わたしはあなたが大切だとしか思えない。
だって、大切でしかないから。本当に、ごめんね。
いつもいつも、ありがとう。本当にありがとう。
こっそりと、ずっと、応援をしています。
ウザったいわたしの想いを、ごめんなさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?