『オン・ザ・ミルキーロード』は、物事の境界線を曖昧にする


エミール・クストリッツァ監督の作品がすき。


陽気な音楽、憎めない人々、愉快な動物。

ぐちゃぐちゃでごちゃごちゃでめちゃくちゃ。

どこまでも明るくてエネルギッシュ。

これは『アンダーグラウンド』や『黒猫・白猫』などすべての作品に共通していることで、わたしは彼のセンスを100パーセント信頼している。



『オン・ザ・ミルキーロード』はエミール・クストリッツァ監督の作品。

戦争中の国で、ミルク運びの男コスタは、ほかの男と結婚する予定の花嫁と出会い惹かれあう。

とあることがきっかけで命を狙われることになった花嫁を救うため、コスタは彼女とともに逃げ出す。

残酷なできごとばかりが起こるが、どこまでもユーモアに満ちた作品だ。


この映画のすきなところは、なんといってもそのユーモアにある。

明らかに悲劇の真っただ中にいるのに、すべてがなにかの冗談のようなのだ。

登場する人全員がとにかくユーモラスで人間味にあふれていて、たとえ敵の兵士でさえどこか憎めない。


たとえばこんなシーンがある。

コスタたちを追いかける兵士たちは、木の上に隠れた彼らを見失う。

夜になり、その木の下にテントを張り一晩明かそうとする兵士たちは、ちいさなテレビのようなものでアニメをみはじめる。

笑いながらアニメをみている彼らをみると、なんだか心が温かくなる。

もちろん彼らは無慈悲に人を殺す兵士で、しかも主人公たちを追っている敵である。

でも、彼らだって人間なのだ。

お母さんのおなかから生まれ、大切に育てられてきたはず。

いまでは結婚して子どももいるのかもしれない。

任務のあいまにみるアニメが心を癒してくれるのかもしれない。



そう考えると、善と悪ってなんだろう。

そう簡単に白黒分けられるものだろうか。

映画のなかで、いよいよ兵士たちが迫ってきたときに、コスタはそのうちのひとりをナイフで刺す。

やらなければやられるから、大切な人を守るために人を殺したのだ。

それぞれに信じるものがあり、守るべきものがある。

正義はひとつではないはずだ。



この映画の魅力はその点にある。この世界のありとあらゆる境界線をあいまいにし、それでもって人間という存在の愛おしさを描いている。

映画全体にみられるユーモアは、愚かな人間への温かい愛に満ちたものなのである。



監督は旧ユーゴスラビアの出身ということもあり、彼自身の経験やそれに対する想いがこの映画に影響していると考えるのは自然だろう。

しかし、それによって人や世界を憎むのではなく、愛をもって描きだすのはなかなかできることではない。

やさしく、それでいてどこかかなしげな彼の目線が感じられるこの映画は、争いの悲惨さを訴えるどんな映画よりも深い感慨をもたらしてくれるはずだ。



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オン・ザ・ミルキーロード(On the Milky Road)

エミール・クストリッツァ

2016年/セルビア、イギリス、アメリカ/カラー/125分