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簡単に若者がついてくると思うな
「若手育成」「若手発掘」
これはジャンル問わず、さまざまな場面で使われる言葉だ。
私がアートの道を選んで以降は、とくに耳にするようになった。
確かに、いい響きだ。
しかし、いい響きのする言葉ほど、使われ方には注意しないといけない。
「若手育成」は大体ウソ
大学時代、若気の至りでポートレート(人物写真)のモデルをやっていたときのこと。
日々、プロアマ問わず、色んな写真家と会っていた。
あるとき、すでに知っている何人かの写真家が、あるギャラリーに出入りしているとの情報を聞きつけた。
そのギャラリーはプロの写真家が運営しているらしく、どんな場所かと気になって展覧会を見に行った。
そのとき訪れた展示では、すこし変わった企画をしていた。
展覧会に来た人が、好きな作品に投票するという人気投票が行われていた。
加えて、特別枠として、ギャラリーのオーナーが賞を与えたものもあった。
私は直接ギャラリーのオーナーに質問をした。
「どうしてこのような展覧会をやるんですか?」
オーナーは「若い人の応援のため」と言った。
この時、なぜだか私はオーナーの言葉に納得できなかった。
と同時に、その場の雰囲気がどこか心地悪く感じた。
何かがおかしい…。
確かに、展示には若い人が積極的に参加している。
でも、冷静にシステムを見てみると、やっぱり変だ。
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まず、審査員が身内だけになっている。
ギャラリーに来た人が投票するということになっているが、大体ギャラリーに来る人なんて、オーナーや出品した人の知り合いしかいない。
よくある写真のコンテストやコンペティションは、基本的に第三者がジャッジをするシステムになっている。
公正な第三者が審査するからこそ、「賞」が意味を持つというもの。
にもかかわらず、私が訪れたギャラリーの展示は、身内だけで投票し合うシステムになっている。
これは本当に意味があるのか?
そして、賞を与えるにしても、その後はなにもしない。
「若手発掘」とうたって、賞を与えて終わり。
せっかく宝を掘り当てても、そこらへんにほったらかすのは「発掘」とはいえないのではないか?
なんだ、「若い人を応援」なんてウソじゃないか。
結局、仲間内で戯れているだけ。
そう思うと、無性に腹が立ってきた。
もちろん、互いの同意あって仲良くしたいというだけなら、それはそれで良いと思う。
でも、いい加減なことは言っちゃいけない。
私自身、表現者としての道を模索していた最中だったからこそ、
はらわたが煮えくりかえる思いがした。
「若い人」を利用しようとする人達
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それから一年後、ぐうぜん師匠と出会い、現代アートの道を進むことに。
しかし、残念なことに、それ以降も同じような場面になんどもなんども出くわした。
もっとタチの悪いことに、私をとりこもうという人も出てきた。
何の勘違いかは分からないが、急に「あなたは私の子分ですよね」みたいな態度をとられることがある。
アートのことを全く知らないのに、「ああしたほうがいい、こうしたほうがいい」と言って、使えないアドバイスをしてきたかと思えば、
頼んでないのに「あなたに○○を教えてあげる」と言って、いらない知識や思想を植え付けようとしてくる。
もっとタチが悪くなると、私の師匠でも上司でもないのに、「これはあなたの仕事です」とか言って、急に命令してきたり、
挙げ句の果てには、「あなた私の弟子にならない?」なんてことを言ってくる人もいる。
しかも、師匠のいる前で。
知りたいことがあるなら、直接話を聞きに行くし、
弟子になりたければ、自分から「弟子にしてください」と頭を下げる。
大体、弟子入りというのは、弟子になりたい人のほうから申し出るもの。
それを師匠となる人が「あなた弟子にならないか」みたいに勧めてくる時点でおかしい。
自分から弟子を探すなんて、自分に人気がないことを露呈しているだけだ。
そして、使えないアドバイスやくだらない誘いを断ると、
たちまち怒り出す。
結局、「あなたのためよ」なんて言って、人をコントロールしたいだけ。
ただただ、自分を認めてもらいたいだけ。
「あなたのため」「若い人のため」「教育のため」なんて口先ばかりで、本気で思っちゃいないのだ。
若手育成を徹底する人達
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一方、師匠は自分の話を聞き入れてもらう努力も、弟子を探す努力もしない。
にもかかわらず、師匠の話を聞きに来る人や弟子にしてほしいという人は後を絶たない。
この違いは一体何なのか?
師匠は、いかなるときも「自分から言わない、勧めない」という姿勢をつらぬいている。
その代わり、「あれやりたい、これやりたい」という声があれば、すぐに対応する。
一見すると、師匠は何もしていないような気もする。
しかし、本当になにもしていなければ、人の急な要望に応えることはできない。
師匠はつねに水面下で準備をしているのだ。
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まず、師匠は「ホログラムズコラージュ」という技法を30年以上もかけて開発した。
それも、他の人に継承されていくことを想定して。
「才能のあるなしに関わらず、誰でもできるようにする」ため、長い年月をかけたのだ。
そして、2019年、兄弟子が「ホログラムズコラージュ」を継承した。
兄弟子がたまたま展覧会に訪れたときのこと。師匠の作品を見て衝撃を受け、「自分もホログラムズコラージュをやりたい」と思ったのだとか。
今でも師匠は現役でキャリアを積みながら、アートスクールを運営している。
そこでは、制作の技術だけでなく、人脈、知識、処世術と色んなものを私たちに惜しみなく教えている。
その上、現実的に私たちのアート活動を勧める手助けもする。
展覧会の企画、ブッキング、運営と、あらゆることをやりながら、間近でそれを私たちに示す。
そして、毎日勉強を怠らず、常に情報を先取りしている。
そのため、どんな質問をされても、必ず論理的で明確な答えが返ってくる。
師匠のこの徹底ぶりには、弟子である私も驚かされる。
ちゃんとした積み重ねがあるからこそ、師匠には自然と人がついてくるのだ。
今の若者はすごくシビアだ
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ここまで徹底する必要があるのかと思うこともあるが、これからの時代はそうでなくてはいけないと師匠は言う。
私は20代だが、確かに同世代の人たちは、前の世代に比べてシビアになっていると思う。
日本は1990年代から「失われた30年」と言われている。
我々の世代は生まれてからこのかた、母国の経済が良くなる兆しを見たことがないのだ。
その代わり、ネットが普及し、便利なツールやサービスがどんどん生み出された時代でもある。
そして、自力で欲しい情報を得ることができるようになった。
結果、私たちは学校の先生や親といった身近な大人の言うことと、全く違う価値観に出会う手段をもった。
実際、昨今の世の中においても、これまであたり前に君臨していた権威が急に崩壊するような出来事が続いている。
企業はどんどん倒産するし、不祥事があればすっぱ抜かれる。
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果たして、何が正しいのか?
自分は何を信じて生きていけばよいのか?
今の時代、若くてもこんな問いにぶつからざるを得ない。
シビアにならざるを得ないのだ。
ただ、私の世代よりも次の世代のほうが、もっともっとシビアになっていくだろう。
彼・彼女らが前途多難な世の中を生き抜くため、より現実的な思考になっていくのはあたり前のことだ。
だから、彼・彼女らは自分よりも年上の人だからといって、むやみに崇めたりしない。
一体何を考えているのか、どこまで信用できるのか、厳しい目線で人を見ている。「ああ、この人は信用できない」と思ったら、バシッと見限られる。
だから、「なんとなく若い人がついてきてほしいなあ」では、絶対に若者はついてこない。
どうして若い人についてきてほしいと思うのか
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一方で、「若い人がついてきてほしい」という大人は案外多いらしい。
なぜなのか?
色んな方の話を見聞きして、大体二つの理由があるのではないかと思うようになった。
一つは、孤独の埋め合わせ。
人望のない人ほど、若い人を見つければ言うことを聞かせようとして、弟子にしようとする。
確かに、年下のひとが自分のやっていることや考えを肯定してくれるのは嬉しいことだ。
「分かってほしい」「慕って欲しい」
その気持ちの裏返しなのだろう。
もう一つは、自分の負担を軽減したいから。
今の時代の設計に合っていないのに、古い体制を保とうとする人は結構多い。
例えば、多くの人手が必要なシステム。
今や日本は「少子高齢化社会」。都会だろうが田舎だろうが、どこもかしこも人手不足の時代だ。
にもかかわらず、未だに人がたくさんいた時代のやり方を引きずっている場合が多い。
あたり前だが、現状に合っていないやり方をすれば、一人一人の負担は大きくなっていく。
自分の負担を軽くしたい、自分の大変さを肩代わりして欲しいという気持ちで、「若い人」の存在を求めているのではないか。
しかし、孤独の埋め合わせにしても、自分の負担を軽減するにも、それらの理由によって人に何かを強いるのはあまりにも無責任だ。
そもそも、人口が減っていくこと自体は、私が生まれる前の時代から分かっていたこと。
そこで対策をしなかったツケを、当時この世に存在していなかった人に負わせようとでもいうのか。
何十年後の自分へ
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とはいえ、仕方が無い部分もあるとは思う。
最近になってやっと分かってきたのだが、無理は承知でもやらなくてはいけないときもある。
それに、どんなに気を付けていても、世の中のしわ寄せを、最も責任のない人たちに受けさせるのは避けられない。
私だって、弱さゆえに人に考えを押し付けたり、切羽つまれば自分の荷物を人に肩代わりさせようとしてしまうかもしれない。
じゃあ、何もしなくても良いのだろうか。
いいや、自分でもできることはあるはずだ。
やはり、若い人に無責任な押しつけはしたくない。
今の自分が人からされて「許すまじ」と思うことを、年を取ってやりたいとは思わない。
数十年後、今の師匠のように、私にも若い弟子がついている可能性は高い。
その時に、私はいったい何ができるのか。
年下の人に「こいつはダメだ」と見限られるのか、「この人についていけば何かつかめるのかも」と思ってもらえるのか。
未来の自分が、今の自分にがっかりされないよう、
今からできることをやっていくしかない。
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現代アート作家・日比野貴之が運営する「サバイバルと創造」を追求する場。
現代アート作家・日比野貴之のnoteはこちら。
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