HAKIM

少しずつ私小説やらエッセイやらをかきます

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最近の記事

自分の好きなものを人におすすめしたくない理由

好きなアーティストのライブのチケットを取った。 屋外のフェスで、子どもと一緒に楽しめるやつ。 巨大遊具が出店したり、ワークショップがあったり、 音楽に飽きたら丘から夕陽を眺められるやつ。 自分が楽しいと感じるものは、誰にでも共有したい、 と思うおせっかいな気持ちはなかなか消せない。 友人はもちろん、自分の家族に対しても。 とりわけ子どもたちには、自分の価値観を共有したうえで、 最終的には、その良い・悪いは各自で判断してもらって、 個々の価値観を作ってもらいたい。 ・・・と

    • ペットボトルは、輝いている。

      小学生のころ「エコロジー」という言葉がはやっていたように思う。 廃油から石鹸をつくったり、着古した服を都合しあうフリーマーケットなんかもよくPTA主導で行われていた。 ある日の放課後活動で「ペットボトルで花壇をつくろう」というプログラムがあった。各家庭でゴミになったペットボトルを持ち寄り、上半分を切り取って小さな鉢植えのようにしたり、2Lのボトルをサークル上につなぎ合わせて一つの大きな花壇スペースをつくったり。 子供たちがマッキーを手に取り、ペットボトルに思い思いの絵やマー

      • 【怪談】いたずら

        ※この話はフィクションです。 ※当アカウントでは基本的にエッセイを書いていますが、唐突に怪談話ですみません。 苦手な方はページを閉じていただけますと幸いです。 鶴科市の北にある、桓帝山から一望できる街並みは、それだけで観光客を何万人も呼ぶことのできる、県内随一のビュースポットだった。 大学が市内に幾つもある文教都市としても有名な鶴科市では、運転免許を取ってから一番最初のドライブデートを桓帝山にすると、必ず恋が実る、というジンクスが、学生たちの中で出回る都市伝説のひとつだった

        • 「ととのう」について考える

          僕は銭湯が好きだ。 仲の良い友達、とりわけ「一緒にいること自体が心地よい」友達と、大学近くの銭湯に通い詰めていたことを思い出す。 基本的には無口でコミュ障気味な僕にとっては、一緒にお風呂に行ける、要するに、お酒やイベントの力を使わずともただただ居心地よく過ごせる人というのが、僕が相手を「友達」として認識するための大きな要素であるのだと思う。 銭湯の中でもとりわけサウナが好きだ。「ととのう」というワードに集約されるように、みんなが同じ目的・想いで、過度に熱された部屋を出入りす

        自分の好きなものを人におすすめしたくない理由

          人と「プール」を共有すること

          年末に心の調子を崩して、仕事を休んでから、相変わらず僕のメンタルは行ったり来たりしている。 音楽を聴いたり、美味しいものを食べたり、人とお酒を呑み交わしたり、楽しい出来事の中に悦びを感じるどこかで、空虚が急にやってきて台無しにすることもあるのだが、大抵は楽しい時間になると思ってるから、家でゴロゴロするよりかは、積極的に外に出て色々な事を体験するように努めている。 普段なら平日の帯で、デスクワーク&リモートワーク中心のサラリーマンをしているので、平日の昼間から外に出るという行

          人と「プール」を共有すること

          就活が自己表現の場だと思い込んでいた話

          父親が自営業で、やりたい事を仕事にしていたこともあって、「就活」という言葉が重苦しいものにしか思えない大学時代だった。 周囲の人間には「俺は就活しない」と宣言してみたり、働かないための色々な方法を探してみたり、大学3年の夏ぐらいまでは何とかして逃げを打っていたが、色々考えた結果、自分は企業に就職でもしないとロクな暮らしはできないと気づき(というか、元々知ってた事実から逃げられなくなり)とうとう観念して、就職活動なるものを始めることにした。 幸い友達は多かったのでらみんなの見

          就活が自己表現の場だと思い込んでいた話

          JUST DO IT.

          高校を卒業してから、めっきり運動をしてこなかった。大学では遊び呆けて、社会人になっても忙しさにかまけて体を動かすことがめっきり減ってしまった。 せめて、趣味レベルでもいいから何かしら運動をしようと思って、会社の同期で集まって、定期的に区民体育館でバドミントンをするようになった。といってもバドミントンの経験は少ないから、当然スポーツと呼べる代物にはならず、下手の横好きがエンジョイしながらシャトルを追いかけるレベルのそれだ。とはいえ、やるからには本気で、ルールを守りながら全力で楽

          JUST DO IT.

          音楽が僕の大切な風景を切り取ってくれている、その瞬間の話

          父親は音楽が好きだった。家ではボブマーリーやグループサウンズのような曲が流れていたことをよく覚えている。 姉も音楽が大好きだった。聴いたことのないハウスミュージックや、なぜだかブルーハーツも彼女の部屋からよく流れていたことを覚えている。 それらは、今でも僕と僕の家族との気持ちやつながりを呼び起こして、気持ちを立たせてくれる大切な音楽たちだ。 音楽そのものが僕の大切な気持ちを立ち上げてくれる影響深いものだという事は疑いない事実で、人生に欠かせないものだ。それはこれを読んでいる多

          音楽が僕の大切な風景を切り取ってくれている、その瞬間の話

          仕事に疲れた人が電動自転車で行ったり来たりするだけの話

          社会の荒波という電車に軽くはねられてしまったので、いつもとは少し違う生活をしている。 年末、仕事で疲れすぎてしまった。心療内科の先生からも、会社の上司からも、あまつさえ妻からも「焦るな」「急かすような事は考えるな」と言われながら、何もない一日を、少し多めに過ごすことになった。 確かに、自分は少し焦りすぎていたのかもしれない。 朝、少し疲れた感じで起きて、子どもたちの朝ごはんを用意し、パンと、少しのサラダを子どもと食べる。僕以上に気怠めに起きてきた妻のパンを焼き、先に食事を

          仕事に疲れた人が電動自転車で行ったり来たりするだけの話

          ガッキーと結婚した星野源に対して当時思ったこと

          正しいものは正しい、間違ってるものは違う、と自分なりの正義を貫いてここまで生きてきたと思う。その結果不自由な生活をしてるとか、不幸せとか感じたことは全くないが、どこで、どこから、人ってここまでの差がついてしまうのか、星野源がガッキーと結婚したニュースが流れ込んできた時、思わず考え込んでしまったことを覚えている。 日々積んできた”徳”にそこまで大きな差があったのか、あるいは、少しの過ちでも大幅に”徳”が没収されてしまう、そんなことがあるのかと思わずにはいられない。 だとしたら

          ガッキーと結婚した星野源に対して当時思ったこと

          歩道の信号

          歩道用信号が赤であれば、例え車の来る気配が全くなくても、必ず止まるようにしている。 ルールを守りたい、と言う正義感より、僕のそばで赤信号を渡ってしまう人の「せっかちさ」「堪え性のなさ」を心の中で捕まえてマウントを取りたい、と言うナナメの気持ちが、ルールを守らせているだけの話である。 全く車の往来する気配のない横断歩道の前で立ち止まる僕を傍目にして、 ・構わず渡る人 ・躊躇しながらも「エイヤ」と渡り始める人 ・おもむろにスマホを取り出して  「連絡を取っているから止まっている

          歩道の信号