“if”の繰り返しの中で生かされている私たち

 出会いもあれば別れもあるというがどれを取ったって必ず終わりは来る。もしあの時、もしこうしていたのなら、と” if”の繰り返しの中で生かされている。
 
 例えば些細なことなら今日の夜ご飯は魚を焼いてご飯にするか、たまには、と外食をするか。
行く着く先は少なからず変わっているものだ。

 では、あの時に選択しなかったものをもし選択したのなら、今はどういった人生を歩むのだろうか。
 
 中学生の頃まで遡るのなら、もしあの時もう少し勉強してもう少しいい高校にに進んだのなら、その先の人生が変わるのは明白だろう。

 選択によって大きく人生が変わるものやさほど変わらないものもある。そのようなことを「世界線」といった言葉で言い換える人がいる。
 

 人生が大きく変わる時によく世界線が変わると言われるが、例えば、

 ある学校Aに進学した時の世界線をα世界線とし、ある学校Aに進学せずにある学校Bに進学した時の世界線β世界線とする。それらの世界線の中にも複数な選択があり、世界線の中でも選択によってかすかに変動するものがある。また、どちらの世界線においても共通して起きる出来事がある。新型コロナウイルスの感染蔓延や近親者の死など起きることが免れないものはどちらにしても回避することはできない。


 この世界線の話はアニメ「Stains;Gate」でよく出てくる。私もこのアニメに感化されてこの世界線の話を考え始めてしまったのだ。ああ、久しぶりに見返そうかな。

 

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