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きれいごとを聞かされていた③

母は高校を卒業し都会へ出て仕事をしていた。
地元にいた頃の話では、貧乏で大人しくいじめにあったこと、父親との確執、家での家事労働等、嫌な思い出や我慢してきたことなど、母から聞かされていた。

都会へ行って何か大きなことを成し遂げ、地元で錦を飾り見返したいと考えていたようだった。

結婚して数十年経ち、地元農家やお店をしている人と知り合いになり。
頻繁に果物や生鮮食品等を大量購入し、付き合いのある友人・近所・親族に配っていた。
私の所にも送られてきた。それは有り難かった。

ただ、地元が嫌で東京に出てきたはず…何故、地元で買うのだろうか、とふと思った。
”たくさん購入してくれる○○さんは都会で成功したのね” と、田舎は特に隣近所でウワサになる。それを見越して購入していたのでは。

こういう思考は、発達障害系の自分だと浮かばない。
なぜなら、
”嫌だった場所にお金を落としたくない、ましてや世間からの評判”お金もある立派に成功した人”だと思われたい、という気持ちすら湧かないからだ。

正直、自分の名前も忘れてほしいし、嫌な場所や人たちとは一切関わりたくない。見返そうとかいう感覚もない。

私は母に対しても、母のふつうの感覚を理解できていなかったのだろう。


買って貰える人たちも得をし、購入して配って自分の評判をあげ&周りに好かれる母も、頂いている友人知人親戚も、皆がWinWinになる。

そこそこ経済的ゆとりある人にとってお金を使う付き合い方は、楽に人間関係を良好に保つ方法なのだと知った。


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