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可愛いだけでいいような女が羨ましい。

 私の話はきっと面白くない。関西弁に囲まれていると、なおさら感じる。

 私は話が面白くないのに、おしゃべりだ。何回か話していくうちに、必要な部分だけ残していってというのを何度も話さないとできない。努力が足りないと言われれば、それまでだが。
大学に入ってふと思い出した話がある。とある番組で、ハライチの岩井さんが話していた「美人とブスのトーク力の差」の話。要約して話すと、

『顔が好みの女性』は話が盛り上がらない。『話が盛り上がる女性』は、顔が好みじゃない。顔の良い女性は相手が勝手に盛り上げてくれるから、トークが面白い必要がない。そうでない女性は、トークの技術が上がる。

と言った内容。かなり理にかなってる。納得。

 ただ、顔もトーク力も要らなかった女子校育ちはどうしろと。ダラダラ話して結論なんていらないみたいな環境で育ってきた。心意気が男前な女がモテる環境。顔が異次元のブスじゃなければいじめられることもない。

 そういえば、「女の友情は友情ではない」というのをよく聞く。今までは、全くもって感じたことなかった。なんでも話せるし、なんでもできるし、気を使うことなんて一切ないし、無理に「〇〇ちゃんの方が可愛いよぉ」なんて言わなくていいし、ボケたらツッコんでくれるし、強めにツッコんだって問題なかった。

 でも、やっぱり共学は違うな。男子の目って、こんなに気になるもんなのか。初期装備の愛想だけで乗り込んだのが良くなかった。愛想だけいい人のモードから抜け出せなくなってる。友達が少ない、少なすぎる。高校の友達に連絡したら、「お前は友達の基準が高すぎる、まだ休みの日にご飯に行ける友達は作らなくていい。できる時は、できる。できない時は、できない。共学の女同士の友情は脆い。恋愛が絡めば、すぐ壊れるし、続かないし、裏切られるから。お前就職で地元帰ってくるんやから、無理に友達作らんでもいいやろ。」って。やっぱ好き、男前よな。女子校戻りたいわ。なんて言ってたって、四年生までは知らん土地での一人暮らしが続くもんですので。可愛いだけで許される女に生まれなかったことを悔いながら過ごすとします。

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