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自己愛モンスターになりました。

 一応私立の女子校に通ってるだけあって、周りの生徒に比べたら大したことないですが、一般的に言えば裕福な家庭で育ちました。一人っ子なので、両親の愛も存分に受け、それなりに期待されて育ちました。そんな私の自己顕示欲、承認欲求、愛されたい願望の話。

 小学4年生の頃から日記を書くことを不定期のストレス発散方法とし、ノートが4冊を超えたあたりで、中学に入学。と同時に、日記をスマホでの記録に変えました。敢えて、日課としないことで、なんとか今日現在まで続いています。

 まず、日記を始めた理由について。率直にいえばデスノートです。最初は見出しに名前を書き、その人にされた嫌なこと、回数などを正の字で数えるノートでした。本来のデスノートとは違いますが、名前を書くことをベースとするという点では近いかと。これが、時系列で並ぶようになり、だんだん日記になっていきました。最近ひとつ変えたこととしては、ラジオ(#むかいの喋り方)にて向井さんがおっしゃっていた、温度感が伝わるようによりムカついたことは赤で書くということです。スマホに移行したとは言いましたが、ノートで書くことも極たまにあります。それは、本当に人に見られたら困る内容の時。“○ね”だとか“○す”だとか言った内容の時は、万が一見られた場合、言い訳の仕様がありませんので、ノートに書いています。その際、特にムカついたことは赤字で書くようにしています。


日記の内容

 基本的に内容は、愛されたい、褒められたい、誰かの1番になりたい。人としての厚みが欲しい。都合の“いい人”から抜け出せない。みたいな感じです。


 主に上の三つの感情に支配されてきた人生でした。

 愛されたいけど、人を信用できない。素直に人を褒められないから、返ってこない。誰かの1番になりたいなんて言ってるくせに、誰のことも1番にせず、誰かの1番になるのを避けてる。でも、それってただ荷が重いと思ってチャンスを全部蹴ったからでしょ。

 こんな感じ。イラついた時以外は、基本自分を責める文章が並んでいます。信用して失敗した経験がチラついて、誰のことも心から信用できていません。なんでもフリをするのは得意な方なので、結果、利用はされてしまう。相手の信用を得ずに、また相手を信用することなく。これの繰り返しで、ずっと何番目かの人なんです。ご飯食べに行こうよと言って誘われる何番目かの人間なんです。だから、誰のことも誘えない。だって、私に1番はいないから。待ちの人生です。だから、友人の量に対して、圧倒的に遊びに行く回数が少ないんです。


 次に人としての厚みが欲しいなぁって話。

 中身のないすっからかんの人間だからない中身を隠すのに、ラベル貼りで必死です。生徒会だって、学校行事の実行委員だってそう。中身のない私のただのラベル。きっと本物はそんなもの貼らなくたって気づいてもらえる。嘘でも中身があれば、手に取ってもらえる。
じゃあ、空っぽは?
あーあ、ラベルのいらねぇ女に生まれたかった。

 これ、私の現在の大きなテーマなんです。とにかく私は中身がない。中身が欲しいから、必死にラベル貼ってる。肩書きに執着してる。矛盾してるんですよ。必死にラベル貼ったところで、ただラベルが増えるだけ中身は何も変わらない。私は早くそれに気づいた方がいい。でも、中身の増やし方ってなんでしょうね。勝手に増えていくんでしょうか。努力したって、空洞で振っても一つも音がしない。何したらいいのか教えて欲しいです。


 3つ目の都合の“いい人”から抜け出せない。

 だからいつも言ってるじゃん。お前がいてもいなくても仕事は進むし、都合がいいから使われてるだけで必要とされてるわけじゃないって。代わりはいくらでもいるって。なんで覚えられないんだろう…。あたしが頑張る必要ないじゃん。

 これよくあるんです。他人の愚痴だったはずが、自分を深めに刺しちゃってること。『都合の“いい人”』っていうのは高橋優さんの『いいひと』という曲に出てくる表現です。「よろしく」とか「ありがとう」とかいう言葉が全部「君は都合がいいね👍」に聞こえてしまいます。ちょうどいい手が空いてる人、自分の仕事が終わってるから暇そうな人に見えるみたいです。だから、ちょっとでも利用されてるなと思うと、そこから関係を発展させる気が失せる。近づいてきたら離せれば離せられるだけ距離を取る。わかってるんですよ。お互い利害関係がないような関係ばかりじゃやっていけないってことくらい。


満たされない自己顕示欲と承認欲求

 まぁ、こんな人間ですので、褒められたって、「本当に思ってんのかよ」としか思えなくなってしまいまして…。そうすると、褒められたいけど、褒められても信用できない。だから、自分で自分を褒めるしかない。「今日も一日よく頑張ったね〜!」「いい子に過ごせたね!」「あれで怒らないなんて私はすごい。」とかをひたすら口に出す。家に帰り着くまでの1人で歩く時間に、自分の部屋で眠るまでの時間に、早く着いた日の教室で。気持ち悪いですよね。でも、これで情緒を保つしかないんです。自分で自分に愛を注ぐんです。恵んでくれる相手もいなけりゃ、恵む相手もいないので。こうやって、自己愛モンスターになりました。

 一度だけ、全ての感情が溢れて、止まらなくなったことがありました。その時、私は電車の中で号泣。迷惑極まりない。声は出ていなくても、隣の席に座ってる、向かいの席に座ってる女子中学生が泣き出したら、流石に焦りますよね。せめて携帯でも見てたら、映画で泣いたのかなとか思うかもしれないですが、私はカバンを抱いて乗ってから三駅で急に泣き出したので、大人たちはそら見るわ見るわ。また見られるので、あっ自分今めっちゃきもいじゃんっていうのでもう止まらない。結果最寄りまで泣き続けました。あの時は流石に自分でも引きましたね…。なんで泣いてるか分からなかったから。今考えると、体育祭の衣装作るとこでちょっといびられたり、一緒に登下校してる2人が喧嘩しててストレスだったりっていうのが原因だったんだろうなと思います。

 だから、愚痴を聞いてくれる人、一方的でなく、お互い利用し合える人を作る。こういう人がいるだけで、あんな電車で嗚咽するようなことはなかったと思います。今の私の心の支えは、話を聞いてくれる友人と、ラジオです。私だけじゃないと思わせてくれる、そんな存在が少しでも増やせていくといいなと思っています。

 尻切れとんぼになってしまいましたが、以上とさせていただきます。最後までお読みくださいましてありがとうございました。

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