見出し画像

名も無き逃亡犯。

 多分、私が生きづらいのは、俯瞰で見てる自分が自分のことを好きじゃないからだ。私は人より俯瞰の自分の我が強い。単純に悪口だけで終わるような話も自分に重ねて、最終的に「私もじゃん」と着地してしまう。そして、「私ですらそう思うということは、他の人もそう思うじゃん。」という思想にいたり、「あ、私今嫌われてるんだろうな。」と思う流れだ。結局、私が怯えてるのは、「自分と近い感覚を持った人の視線」なのだ。

 自らに勝手にミッションを課して、それを超えられないことでストレスを感じてる。勝手に負荷をかけて、勝手に凹む。どう考えても、私が悪い。
 基本的に私は私のことは好きだ。それはそれは異常なほど。鏡に向かって「え、ビジュ良。」とか口に出すくらいに。「可愛い」って言われて「知ってる〜」とか言うほどに(相手は選ぶが)。大学生なのに平気で二つ結びしちゃうくらいに。人生イージーモードとまではいかないが、総合値で言えば人並みだとは思う。

 性格は良くは無いかもしれないが、人に好かれる努力はしている。優しい自分が好きだから、いじめられてる子にも手を差し伸べる。ただ、私が原因でいじめられてるパターンもあったけど。私のことを好きだった子が中心になって、私にちょっと意地悪してきた子へイジメを始めた。理由は確か大したことなかった気がする。聖母のフリして手を差し伸べたけど、「悪ぃな、私のせいなのに、好感度上げんのに利用したみたいになっちまって」くらいの気持ちしかなかった。結果、それで私の周りからの株価は上がったわけだし。決して計画的な犯行ではなかったが、手を差し伸べたあたりで自分の好感度が上がることも、このイジメを焚き付けたのが自分への好意であることも理解はしてた。気味悪いのが、これが小学生の頃の話ってとこなんだけど…。あのとき全方面の好感度を効率よく一気に上げる方法を私はたまたま使える側の人間だったから、仕方なかったと思う。

 踏み台なんて言ってしまえば聞こえは悪いが、世の中は大抵そんなもんなんだと思う。「誰かよりはマシだ」と思っておきたい。自分より下位の存在に、手を差し伸べるふりをして、周りに「こんなことができる私は出来た人間でしょ?」と主張している。

 まぁ、このとき結果的に私が利用した形になってしまった女の子はずっといじめられっ子のままだったようだ。私は中学受験したから知らないけど。いじめを始めた私に好意を持っていた子は、卒業前に告白されたけど振った。結果的にこれが後にストーカーとなった。この話は、あまり気分の良いものではないので、思い出したくない。

 基本的には煽てられてきた人生だ。チヤホヤされてた自覚はある。顔がそこそこ良いだとか、成績がそこそこ良いとか、性格がそこそこ良いだとか。
 見た目は人並み、成績は先生のお気に入りになれれば正直簡単に上げられる、性格はみんなにとって都合がいいだけ。人間は、頼み事を都合よく引き受けてくれて、尚且つ文句も言わずに迅速に終わらせてくれる人を勝手にいい人だと言う。女子校だから色仕掛けは通用しなかったけど、代わりに得たものは大きかった。同性の先生の落とし方、同性からの好感度の上げ方、同性に嫌がられない異性への近付き方、事務仕事の捌き方。どれも私が女子校生活の中で得たものだ。友達は大して多くなかったけど、それなりに充実した6年間だった。

 全部そこそこってのが肝だ。出来すぎると嫌われる。あえて、出来ないところも見せると取っ付きやすくなるのか、声をかけてくれるようになる。

 ただ、ここでも俯瞰の自分が話しかけてくる、「そこにいるのは本当に私か」と。自我のないお仕事マシーンとなっている私を私は良しとしていなかった。
 私がやった誰かがやるべきだった仕事。果たして、これらを全て私が受ける必要があるのか。褒められることもなく死んでいく資料たち。やればやるほど増えていく仕事。仕事ができないあいつらの方が楽してることが納得いかない。なんのストレスもなく好きでやってるなんて勘違いしてる。別に作業が嫌いなわけじゃないけど、ただ自分が無能なだけなのに、生産性のない誰かの悪口を言いながら、仕事もせずに私の仕事を増やすためだけにここにいる価値のない人間。

久々に思った。
「誰かあいつに仕返ししてくれたらいいのに」と。

 いつだって私は他人任せだ。誰かが私の代わりに悪を成敗してくれて、私以外の誰かがその重圧に耐えてくれる。実行犯は私じゃなくて、でも私だけが自分を起点に始まったことを知っている。
 嘘のない自分を久々に感じた。誰かを足蹴にして、踏み台にして、よじ登ろうとする自分は決してかっこよくなんかなかったけど、そこには1ミリだって嘘はなかった。
 これが多分私の生き方なんだと思う。ものすごくかっこ悪いけど。潰す側でも潰される側でもない、情報操作で喧嘩を煽った着火剤でありながらただの傍観者でいること。自分にはなんの責任もないフリをしてる。人畜無害ちゃんのフリをしてる。

 こんな生き方をしてるやつが、好きになれるわけがない。私は私の中身が嫌いだ。私だけが私がカッコ悪いことを知ってるから。性格が悪くて、斜めにしか物事を見れない。ただ、私みたいな生き方を私だけがしているとも思わない。だから生きづらい。どこかで私の悪事がバレるかもしれない。私が気づいていないだけでもうバレてるのかもしれない。

 だから、私は私の目を持った人が怖い。
 誰も私を見つけないで欲しい。
 指摘しないで欲しい。

都合のいい奴だって思ってくれていいからさ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?