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【自己分析】イギリスで英語教育を学ぶ私が教育の道を志す理由

こんばんは、はけたです。

私には、「より良い教育をみんなに」という目標があります。

しかし、なぜ教育に興味を持ったのか、その理由がわかりません。

今日はわからないなりにも、人生を振り返った時に「この経験は影響してそうだな」と思うものを書き留めておこうと思います。

そもそもなぜ「なぜ」を考えるのか

正直、興味がある理由がわかっていなくても、行動することはできると思うので、あまり理由を考える意味はないように思います。いや、思っていました。

だから、大学院の志望理由書を書く時も、就活をぼちぼち始めようかという時も、嫌々考えていました。

しかしそれが今では、自分の興味の理由を理解していた方が絶対に良いと思っています。

「なぜそれをやりたいのか」を理解することは、強い動機になると思うからです。

なぜ自分がそれをやりたいのかわかっていれば、自分の選択に納得し、自信を持つことができるでしょう。また、大きな壁に直面した時に、諦めずに立ち向かう力の源にもなると思います。

だから就活でも必ず聞かれるんでしょうね。やっと理解しました(笑)

理解するのは遅くなりましたが、それを理解した今なら、時間をかけて「なぜ」を考えられると思うので、今回書き残しておこうと思ったわけです。

中学の担任

ここから私が教育を志すようになった理由を書いていくのですが、はじめに断っておくと、「これがきっかけ!」というエピソードがあるわけではありません。なので、「この時はこんなことを考えていた」ということを書いていきます。

さて、中学生の時ですが、この時は「担任の先生」に憧れていました。

30歳くらいの女性の先生で、とても人間味があって親しみやすい先生でした。

その先生は、真面目さは全く感じられない、テキトーで、怒ったら口が悪くなる人でした。私はそんな先生と毎日放課後の教室でだべっていました。なんとなく掃除をしながら、なんでもない話を飽きずに毎日毎日。

きっとテキトーで口が悪いのが、あまり先生っぽくなく、親しみやすかったのだと思います。

ただ、親しみやすいだけでなく、しっかりと自分を見てくれているという感覚もありました。愚痴をこぼすと「はけたは〜〜〜だもんねえ」と自分の性格を理解した上で話してくれるのです。

私もそんな先生になりたいと思いました。生徒と近い距離で、生徒のことをよく考えてくれる先生に。

高校の校風

高校でも素敵な先生に出会いましたが、高校では先生よりも校風に惹かれました。

私の高校は自主性を大切にしている学校で、生徒主体で行事を実施しています。例えば遠足は、行き先をクラスごとに決めることができるんです。すごくないですか?

という話を先日知人にしたら、その人の高校もそうだったようで少し落ち込みました(笑) 意外と普通だったのかな…

とにかく、高校生のはけたは自主性を大切にした校風に感動していたんです。高校生活がとにかく楽しくて、勉強面以外で大きく成長できたと思っています。

だから卒業する頃には、「もっと自主性を育む学校を増やしたい」と思うようになっていました。

受験に対する疑問

受験では、合格するために暗記をするという仕組みに疑問を感じました。

私は暗記が苦手ではなく、むしろ得意だったので、世界史を得点源にして受験を戦いました。

しかし試験のために覚えたことは、試験が終わるとすぐに忘れてしまいます。せっかく覚えた世界史の内容も、今ではほとんど覚えていません。勉強したことを忘れてしまうのは、私の責任ですが、私のように学んだ内容を忘れてしまう人は沢山いると思います。

それでは、受験で得るものは何なのか。

そう考えた時に、受験を通して身につくことは、自分に合った勉強スタイルや目標に向かって努力する力だと思いました。

どちらも大切なことですが、受験でなくても身につけることができる力だと思います。

自分に合った勉強スタイルは、自分の将来や大学での学びに直結する知識を覚えることを通して身につければ、勉強スタイルだけでなく、知識も身につきます。

目標に向かって努力する力は、推薦入試に向けて、リサーチをしたり、自分の思いを言葉にしたりすることを通して身につければ、リサーチ力や自分を表現する力も身につけることができます。

多くの受験者を選抜するのに、コストと効率を考えると今の仕組みが現実的なのかもしれませんが、私には疑問が残っています。

イギリスでの英語学習

大学2年生の秋学期に、5ヶ月間の語学留学でイギリスに行きました。イギリスでの経験が、私の英語学習に対するイメージを大きく変えました。

留学前は、英語を学ぶことを楽しいと思ったことがありませんでした。

複雑な文法は自分で使える気がしないし、興味のない長文を読んで問題に答えるのなんてつまらない。単語の勉強は特に嫌いで、退屈だし、大変だし、覚えられない。

しかしイギリスでは、英語を学ぶことが楽しくて仕方ありませんでした。一番嫌いだった単語の勉強は、一番楽しい勉強になりました。

なぜイギリスでの勉強は楽しかったのか。

楽しく英語を学べたのは、英語を実際に使う機会があったからだと思います。英語を使う場面を想像できるようになったことで、英語学習のゴールが明確になったのです。

単語を勉強する時は、「あ、これさっき聞いた」「これ今度使いたいな」とか考えながら単語帳をめくっていました。そして覚えた単語を会話で使えた時には、大きな達成感を感じることができました。

この経験から私は、「英語を学ぶことの楽しさを伝えたい」と思うようになりました。

おわりに - わからないこと

ここまでの4つのエピソードは、どれも私自身の経験から教育に対する理想や課題を感じた話でした。どれもが教育を志す理由ですし、このまま面接でも使えるんじゃないかなと思います。

しかし私がわからないのは、なぜずっと教育に対する興味を持ち続けているのかということです。

私は中学生の時から、思い描く理想や課題意識は違えど、一貫して教育に対する思いを持っています。なので、「こんなにも長い期間、形を変えながらも教育への興味を失わないのは、何か理由があるはずだ」と思ってしまうわけです。

とはいえ、今はそれがわからないので、ゆっくり考えていこうと思います。

教育に対する興味の根源にあるものがわかったとき、真に自分の決断に納得し、自信を持って自分の道を歩んでいける気がします。

ただ、根源などない可能性もあると思うので、あまり根詰めすぎないように気楽にいきます(笑)

結局どこにも行き着かない、とてもモヤっとする文章になってしまったのにここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

根源を見つけたら、またご報告します。

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