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スープストック東京の件で事業者としての在り方を再認識した

看護師が経験0で飲食店を開業した記録。
3年目に突入しました。2020年10月、福岡で
“昼から飲もう、日替わりおかずと楽しいお酒”「博多okatteふじコ」をグルメタウン薬院に開業。開業前の様子からnoteに綴ってきました。
わたしの最終目標は、看護師を副業にすること。『飲食店×看護師』の発想で何が出来るか、出来ているのか。
気付きや考えていることを書き綴っています。

スープストック東京の離乳食提供で子連れの来店が増えることへのユーザーからの批判が殺到したことがニュースになった。その後暫くを置いて、スープストック東京は「声明」を発表した。内容は割愛する。

この声明の中で秀逸だったのは、スープストック東京は訂正はもちろん、よくある混乱を生じたことへの謝罪、のようなことは一切せず、自社の事業理念について静かに、一定の熱量を持って説明している。

自社事業の想いは何なのか、
何のための取組みなのか、
目指すことは何なのか、
今までどんなことをやってきたのか。

そんなことを切々に書き綴りながらも、今回のことへのスープストック東京の覚悟と想いを感じる声明文だった。

サービスというものは、
サービスは全員に対して正解なものではない、
サービスは全員に好かれるということではない、と私は思う。

何を届けたいかであって、
それによって選択されたり、するもの、だと思う。
でも、サービスを受ける側は全員(自分に)向けられていると思いがちなのだ。

私が運営している博多okatteふじコという店舗は、私を良く知る友人や知人には合わないようだし、むしろその距離は拡がっているという事実がある。これについては一定の孤独を感じる要因になっている。私を理解してくれていることと、サービスを理解していることは別らしい。
一般のお客さんも、1度来られても2度目は無い方もいる。
そういう結果は、
当店は、選択されていないということになる。

それは、そもそも私自身が、皆に刺さるように設計、集客、提供していないからだと思う。私は色々想いがちで、私の考えること、想いを理解して頂いた方に来店頂いている。店は、大人の社交場、酒場としての機能の他に、情報共有と交換、偶発的な出会いの場になっている。私にとってお客さんは、社会の流れや事業というものの大変さ、意味、価値なんかを教えて下さる存在で、そんな人が集う店は私の地の利となっている。

そんな私のやっていることは、ニコニコ笑顔を出しながら一見ウエルカム感を出しながらも、実は狭いところを濃くしている状態なのかもしれない。でもそれは事業設計上の想い。何をお客さんに届けたいか、お客さんと何を共有したいのか。どんな人にも好かれる事業設計なんて、無理なことだと思う。どんなに人気の服屋さんでも全員がそれを着ている、ということは無い。サービスとは互いに選び、選ばれる関係性。
その上で出会ったお客さんを私は幸せにしたいと、
そんな大それたことを、生意気にも思っている。

何を届けたいか。何を共有したいか。
スープストック東京の声明には覚悟と、強い想いを感じた。
事業はそれで良い。



2020年コロナ禍に開業した看護師です。ワクワクが止まりません。Withコロナはまだ続きますが、継続していけますように応援お待ちしております。