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(小説)『うそつきかき氷』①(鵜)

 空はよく晴れていたが、頬にあたる風が少し重くなった。
 午後三時。三上タクミは腕時計を確認すると、視界のはしにとらえた地下鉄の入口から目を逸らし、大通りからのびる路地に入り込んだ。
 9月の終わりは秋というより夏の続きで、湿度が少し上がるだけで体感温度はぐっと高くなる。昨夜もあまり寝ていないし、どうせ今夜も遅くなるのだ。事務所に戻る前にさっぱりしたものを身体に入れたかった。
 駅から数分歩くだけであたりは住宅街にかわる。黄色いカバーのランドセルの子どもたちがちらほら歩いている。つぶつぶと、はじけるようにささやかな笑い声が起こっていて、かえってあたりの静かな空気を強調する。忙しい夕方の時刻を控えて、街は少しだけ眠たげな静かさに包まれている。
両隣を真新しいマンションに囲まれた三階建ての古びたビル。一階部分は深い藍色のタイルが施され、階段と郵便受けの間の通路を過ぎた奥にガラス戸がひとつ見える。
 ガラスには大きく金色で「氷」とペイントされている。
 かき氷屋のサインとしては相当に渋いといえる。
 真鍮のノブを少し押し、肩を入れ込んで店内に入る。
 外のかすかな音さえ消えて、しんとした空気が身体を包む。温度も少しだけ下がったように感じられた。
「こら、ガラスの部分を押すなって言っただろ」
 暗がりの奥から声が飛んでくる。静かな声だが言葉に反して口調は明るい。入る前から三上の姿が見えていたのかもしれない。暗さに慣れてきた目で確認するまでもなく、店のマスター、宮川サトルの声だ。
「割れたら弁償してもらうからな」
「はいはい。……この店、いつも暗すぎないか」
「いいじゃないか。落ち着くだろ」
 彼がこれほどくだけた口調で話してくるということは、現在、他に客はいないのだ。テラス席にも視線を走らせたが無人だった。混んでいても嫌だが、まだ暑い日にこれほどガラガラだとひとごとながら心配になる。(今の自分にはくつろげるほうが助かるが。)三上はカウンターの隣の席に荷物とジャケットを放り投げる。
「どっちにする」
「オレンジ」
 不愛想に投げた注文に、宮川が残念そうに笑う。
「うーんそっか。時間あるから特別なほうでも大丈夫だよ」
「こちらに時間がないんだよ」
 出されたお冷をあおり、おしぼりを顔に当てる。ほんのりとハーブの匂いがする。前回とは少し違う、甘みを含んだ匂い。季節によって匂いは変えているらしい。そのままシャツをまくった腕も拭くと、風呂を使ったようにさっぱりした。
――おしぼりの匂いなんかで季節の移り変わりを知る日々か。
 このおしぼりの匂いの変化に、嬉しさを見出す人もいるのだろう。そういう人は季節の変化を小刻みに発見しては堪能できる繊細さを持った人間なんだろう。おしぼりの匂いでしか季節の変化を感じない自分とは違う……などと卑屈になりかけたところで頭を振る。
――疲れているのだ。
――だから甘くてさっぱりしたものを食べに来たんじゃないか。
 カウンターの向こうでは、もう最後の仕上げにかかるところだった。
 簡単な、料理ともいえないほどシンプルなメニュー。
「ほら、できたよ。召し上がれ」
 底の広い、ぶあついガラスの器はよく冷やされていたのかうっすらと曇り始めている。そのうえに、粗めに削られた氷がゆったりと構える火山のように盛られている。手元に置くと、てっぺんから過不足なくかけられたオレンジ色の蜜が頭上の照明を反射する。この店はうす暗いぶん、テーブルには天井からピンポイントで明かりがあたるようにされている。
 さて、と食べようとして、気づく。
「いいって言ったのに」
「すぐできたからいいだろ。暇なんだよ」
 オレンジ色のふもとには透き通った茶色いかたまりと、同じく透き通った薄紫の立方体が添えられている。
「紅茶のジュレと、スミレの寒天。今のお前の顔の周りに見えた色。機嫌は悪くないみたいだが、ちょっと焦りがあるか?……なあ怒るなよ、うまいからさ、それ」
「たった今不機嫌になったよ」
――うまいのは知っている。
――ただ苦手なだけだ。
 この店の人気メニューである通称『オーラかき氷』、それを求めてくる客が多いのは知っているが、自分にも見えない内面状態をわざわざ可視化してあまつさえ本人に食べさせてくるというのは、三上には悪趣味に思えて苦手だった。
「別に嫌がるひとに無理に出したりしないから」
 実際にいま嫌がりながら食べている三上が目をあげると、宮川は口元だけでほほ笑んで見返していた。
「三上以外にはね」
 ふうっと息をついて、あとは無心で氷をむさぼる。
 きん、とこめかみが痛むのは氷が粗いからだ。この店は、ふわふわのくちどけの氷には興味がない。それが三上には気に入っていた。がりがりと粗い氷を染める甘いシロップ。こめかみの痛みを感じつつ、それでも流し込む冷たさ。かき氷など、それで十分なのだ。
 巷で流行りの、フルーツソースのかかった雪のようなかき氷だとか、ホイップクリームで飾られたかき氷はもはや別の食べ物であって、たったいまかき氷が食べたいという欲求を満たすものではない、というのが三上の見解である。
 ただし、宮川の見解はまったく違うところにあるというのもわかっていた。
 この男は別に、こだわりがあってふわふわ氷を追求しないのではない。そもそもかき氷のうまさを追求することに興味がないのである。
 氷をたいらげ、器を持ち上げて残ったジュレと寒天もかきこむ。
 ひといきついて、テーブルに置かれたメニューを手に取った。

『喫茶 オーロラ』
メニュー
★かき氷(いちご、オレンジ、ブルーハワイ、抹茶、みぞれ)・・・350円
 ※練乳、あんこトッピング +各50円
★今のあなたのかき氷・・・1000円 氷→ソーダへの変更も可
 ※シロップ、トッピングはおまかせとなります。
※店内の写真撮影は自由ですが、小さな店ゆえSNSへの投稿はご遠慮ください※
★コーヒー、紅茶、牛乳、ラムネ、梅湯・・・500円

 「今のあなたのかき氷」というのが通称「オーラかき氷」である。
 オーラというのかなんというのか、とにかく人の周囲に漂う色のモヤを見るのが、宮川は昔から得意だった。高校時代に同じクラスだった宮川は、人によっては気味悪がられそうなそんな特技も淡々と利用して人付き合いをしていた。本人に怪しげな雰囲気がまったくないのも良かったのだろう。どこから漏れたものか、それが知られた4月の最初こそちょっとした騒ぎになったものの、夏休みに入る頃には当たるかわからない手相占いか天気予報くらいの気軽さでみんなに利用される、ライトな娯楽になっていた。そもそも自分のまわりの色がなんだろうと、自分には見えないのだから確かめようもないし、色によってその日の運勢が変わるわけでもないとなると、楽しみとしては占い以下だ。せいぜい今日の色はなに、と教えてもらって、同じ色のペンをよく使うようにするとか週末のネイルの色にするとか、ささやかなおまじないとして楽しまれていたように思う。
 宮川本人は陽気でも陰気でもない。よく見ると整った顔立ちだが派手さがないため目立たない。出しゃばらず、ほどよく感じがよく、誰からも不快感を持たれない、というのはつまり誰の記憶にも残りにくい。ことさらに特殊な特技のこともひけらかさず人当たりのよい爽やか少年の宮川君は、その印象だけを皆に残して卒業していった。
――と、みんなは思ってんだろーなぁ。
 がり、とお冷の氷を噛み砕いて飲み込む。
 爽やかかな顔も人当たりのよい毒っけのなさも、なぜか三上には振舞われることはなかった。嫌っているのではなく、三上の前では繕わないことにしたからだと、放課後の廊下で告げられらことがあった。
『三上からはね、欲しいものがあるから』
『はぁ?』
 なあお前って俺には感じ悪くないか? と尋ねた三上に、にっこり笑って答えてよこしたのだ。三上は部活終わりで、宮川はたった一人で残っていた教室から出てきたところだったのだ。廊下にはほかに誰もいなかった。夏の夕方で、西日が強く差す廊下は昼間よりも明るくて、蝉の声だけがいっそ涼しくなるほど強く響いていた。
『欲しいものがあったらなんで感じ悪くなるんだよ?』
『だって、心の中のものをもらうのに、こちらが嘘をつくわけにはいかないよ』
『……欲しいものってなんなんだ?』
『それはね、   』
「なに? 今日のぶんくれる気になった?」
 思考がぱちりと遮られる。
 頭の中を読んでいたようなタイミングで声をかけられることは珍しくないのに驚いてしまった。やはり疲れているのだ。冷たいものでリフレッシュしたのだから長居は無用と決めて三上は立ち上がる。
「言っただろ、今日は時間がないんだ」
「残念。また寄れよ」
「寄るたびにせびってこなきゃもっと来るんだけどな」
「それは仕方ない」
 真鍮の会計トレーを差し出してきながら宮川が吹きだす。
 長袖のシャツから伸びた骨ばった指が三上の腹をとんと突く。
「そんなにたくさん、おいしそうで、しかもとびきり新鮮なものばかり抱え込んでる人、他にいないからね」
「ほんと、客をいい気にさせねえ店だな」
「僕にとっては誉め言葉だよ。いい気になりたいなら特別メニュー、頼んでくれたらいいでしょう」
「時間がある時にな」
「待ってるよ」
 ぴったり350円をトレーに乗せて、出口へ向かう。
 入れ替わりに客が入るところだった。
 ガラス戸を支える手をくぐって入ってきた少女は、軽く三上に会釈してそのまま店に入っていった。閉まる直前、思いつめたような声が響いた。

「梅の、かきごおりを、お願いします」

 背後でしまったドアに遮られてそれ以降は聞こえなかった。予約客だったのかもしれない。それに合わせてあの時間だけ一般の客を断っていたのだとしたら、店がはやっていないのかと思ってやった心配は無用だったということになる。三上以外の客は基本的に、突発的に特別メニューを注文したりしない。
 この店の特別メニューは「オーラかき氷」ではない。
 あまりにSNS向きのこのメニューは、SNS禁止のサインをすり抜けて、当然のごとくひっそりと拡散されていき、好奇心の強い一見さんを生み出し続ける。宮川もそれを見越して放置している。メディアには乗らない、取材を受けないゆえに爆発的に店の情報がひろがることはない。小さな拡散は、継続的に細く長く新しい層に届けられる、撒き餌のようなものなのだ。宮川はその中から自分の欲するものを抱えた者を見つけ出すために、店をしている。
 味で勝負するにはやや繊細さの足りない、粗い氷のかき氷メインの喫茶店を。

 ポケットで携帯が震えた。顧客の一人からだった。
『あの……今大丈夫ですか?』
「はい××様、お久しぶりですね。どうされました?」
『ちょっと今日いいことがあって。もし今夜お時間あるなら少しお会いできたらと思って』
「嬉しいですね、私もちょうど××様にお会いできたらと思っていました。さきほど出張から戻ったところで、たった今羽田を出たところです。18時以降ならどこへでも参ります」
『よかった、それじゃあ19時に…………』
 電話の内容をメモしながら、今頃喫茶オーロラの中で行われていることをふと考える。
 少女が吐き出している胸のうちと、それを受け取る宮川の歓喜。
 あの日、放課後の廊下で言われた言葉。

――『欲しいものってなんなんだ?』
――『それはね、「嘘」』
――『「嘘」?』
――『三上みたいに血液全部が嘘でできてるみたいな人、結構珍しいからさ』
――『どういうことだ?』
――『僕には必要なんだ。君みたいな嘘つきが』

 その時の宮川の表情は、沈む直前いっそう強くなった夕日の眩しさに溶け込んでよく見えなかった。ただその声色はずいぶん嬉しそうに弾んでいたのを覚えている。

 喫茶「オーロラ」の特別メニューは「オーラかき氷」ではない。
 そして宮川の本当の特技もオーラ鑑定などではない。
 そんなものは、えんぴつまわしだとかカード捌きくらいの、ちょっと器用でいっとき人の気を引く遊びにすぎない。
 宮川の特技は、誰かの嘘を吸いだして消してしまうこと。
『嘘を取り出すことができるのは特技だけど、ぼくはね』
『誰かの嘘それぞれを味わうのがなによりも好きなんだ』
 嘘が大好きな宮川と、嘘を消したい誰かの願いがぴったり噛みあうかき氷。
 嘘を吹き込んだ氷をかいて、梅のシロップを染ませたメニュー。

『喫茶オーロラ』
裏メニュー
★うそかえかき氷・・・ガラポンくじで無料・500円・1,000円のいずれか
 ※こちらのメニューは提供までに2回ご来店いただきます。
 ※フレーバーは自家製梅シロップの一種類です(梅酒への変更無料)
~あなたの嘘、ひとつだけ溶かしてみませんか?~

 裏メニューの掲示はどこにもない。客の中に嘘をかかえた人がいると、宮川は上手にそれをかぎつけて、レシートとともに客の手元に滑り込ますのだ。小さなカードにこころあたりがある者は、迷った末に再び来店する。こころあたりがあっても来ないことを選んだほんの少数からのみ情報はささやかに漏れて広がる。

そうして新たな客がくる。

 いつのまにか電話は切れていた。三上の手元にはきちんとメモが残っている。
――今ごろ店ではどんな嘘が話されているんだろうな。
 ほんの1秒考えて、三上は強く息をついた。
――嘘を抱えて苦しくなるなんて、俺にはまったくわかんねえよ。

(終わり)

嘘×かき氷
他人の嘘を溶かしこんだ氷を作るかき氷屋さんの話です。
これは今新しく書いているのもの。
4~5話で完結予定。
都度こちらに投稿していき、完結したら1冊にまとめます。

鵜狩愛子

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