Colorless 宮島に色がなかった時
メディア:シルバープリントモノクロ写真
場所:明治中期厳島弥山登山道大聖院ルート旧里見茶屋付近
嚴島神社と東西門前町を連続的に一望する扇の要からの絵葉書の定番構図。
モノクロとカラー写真。
メディアの違い
それは宮島の風景から決定的な何かを剥ぎ取り、欠落感を与える。
しかし、それだけではない。
この時代、実際にそこには色がなかったのである。
鳥瞰写真の接写、ヨリとヒキの中で感じる違和感を起点にして現在と当時の風景の両方をたどりたい。
*旧里見茶屋付近
現在、大鳥居は改修工事中、干潮時に接近すると表面の塗料が剥がされた素木の状態を見ることができる。
かつて、修復中の現在と同様に、鳥居に色のない時期があった。
明治初年、神祇官事務局達いわゆる神仏判然令
仏教色の象徴である丹色は脱色され、素木(しらき)が露出した社殿と大鳥居には今にはない物質感が漂う。
*素木が露出した物質感漂う大鳥居
屋根には出雲大社、伊勢神宮を連想するような千木鰹木が乗る。その後明治34年からの改修で、千木鰹木は撤去され、再度色を取り戻すことになる。
30年以上の空白期間の後、再現色の調合比率を決めたのは六角紫水である。明治初年に生まれた六角紫水は旧材に痕跡として残る微かな色以外に旧来の色を見る術はなかったはずである。
色の有無は世界観を一変する。
同時に、色が無いことで浮き彫りになれる景色もある。
東町門前町と接続する東回廊、西町と接続する西回廊。
朱と緑の色の補色調和が印象的な現在とは大きく異なり、市街地と社殿、道と回廊とは同色でひとつながりの回廊動線としてより際立って見える。
山-陸-州-浜-海の関係も境が曖昧でなだらかである。
森林は伐採が進み、後退しており、建築が低層であるためか見通しが良い。
これは現在では絶対に見られない景色。
明治30年森林法により国有林となり、伐採が禁じられるようになり、木が育つようになり、現在の景観につながっている。
廃仏運動の名残りか、寺院跡地などの空地が目立つ。
この眺望を求めて現地(旧里見茶屋付近)に赴いたが、成長した樹木に遮られ、また建物の高層化により既にこの景色はない。
三翁神社前には明神座の巨大な屋根も確認できる。
江戸期、この地には宮島歌舞伎の芝居小屋があった。
明治初期に火事に遭い明治8年、大鳥居建設の残材を利用し民間の手で再建された。その後、明治28年宝物陳列館が建設され、芝居小屋は北ノ町に移設されることとなる。
この写真は半世紀前に出版された芸州厳島図会の光景との間の連続と断絶を感じることができるテキストでもある。
神事、芸能、興行、市ひと繋がりプログラムされた江戸期の仮設興行都市の遺構が残る。一方東町の海岸に面した浜通りは表参道として両側に店が連なる新たな参道に生まれ変わり、ウォーターフロントに通りはない。興行から興業へ、そして旧市街地から新市街地へ街の業態と経済的なセンターのターニングポイント。
表裏をなしRegenerateされる景色、余儀なくされた場所の気色(けしき)
明神座 鳥瞰写真接写と絵図(明治初期 嚴島社頭之圖)の比較
千木鰹木 鳥瞰写真接写と絵図(明治初期 嚴島社頭之圖)の比較