耐え難い感情から生き残るためには

まずは動画を見ていただきたい。事件の経緯は省略しているので。

なぜ、カンニングした生徒は自殺したのか。これね、ずばりね、完璧主義が災いしたのだと思う。

彼にとって、これからいつ何時、カンニングのことを誰彼に掘り返されるか分からない。そんな恐怖や、堪え難さを想像しただけで、この学校生活も苦しいし、この先の理想を叶えることも出来ないのだと諦めてしまった。ついでにに生きていくことも諦めてしまったのだろう。

非常に辛辣なコメント欄を見ると、とても勉強になる。価値観は様々だし、お任せしよう。人でなしとは思うがね。

コメントで分かるとおり、酷な世の中で、彼が周囲に救ってもらえなかったのが非常に残念だ。

実は、動画の半分も見ないまま記事を書き始めたのだが、ここまで書いて動画の続きを見ると、遺書には「このまま卑怯者と思われて生きることが怖くなった」とあり、何とそのまま私の想像が的中しているではないか。

「待てよ、ずいぶん前に事件発生当時のニュースでインプット済みだったかも…。ハッ!」(答えを知っていたのに知らないことを装う、これもカンニングではないか。動画にある辛辣なコメント郡は遺書の内容を見た上で書かれているのか!?すげぇ!)

青少年があのコメント欄にあるような追い討ちを見てしまうとなれば、謝ったら負け星人を量産することになるだろう。とどめを刺されるのだから。

長生きしないと分からないこともあるよ、全く。守備がアレだと、内野ゴロがサヨナラのランニングホームランだよ、全く。

老婆心だが、とどめを刺されないで済む、唯一の方法があるので後ほどアドバイスさせていただく。後ほど。

多分保護者との3者面談かな、で、説教した教師が、「卑怯なことをした」と、口にした生徒に、他にもやってんだろうと、さらに追い詰める大人気なさが、さらに振り切っていて、でもまあ想定内。

故人は、罰を受けた上で本当に反省したというより、余計に苛立っていたことだろう。罰を受けても許してもらってないのだから。気持ちの整理が付いていない、ただ大人を試した態度が気取られたのか、結局、期待を裏切られショックを受けたようだ。

私が関係者なら、二人で話せるときに、あの教師はきっと早死にするか、苦しみながら長生きするかのどちらかである(この世の性なので嘘ではない)、きっとストレスに塗れてスマブラで深夜2時まで低いレートで煽り厨やってることを教えてあげるだろう。
ケアしとかないと、恨みや怒りで、ライバルにカンニングの疑惑をなすり付けるようなサイコパスになってしまわないかどうか心配だ。

無理矢理する反省により、歪んでしまう人間性

本当に反省するとロクなことがない。生きる気力を奪うし、周囲の卑怯者のフラストレーションの捌け口にされ、エネルギーを奪われる。自分から卑屈になり、自分や周囲に怒りを覚えながら、強い感情で何度も自分を殴りつけることになる。無理に反省すると、人は葛藤を覚えて、怒り狂った結果、犯罪者になることもあると言われている。怒りの感情は全てを破壊する劇薬だ。少年の例もそうだろう。彼を受け止められない教師もそうだろう。少年を破壊した。なんの自覚もなく、自分は厳格な仕事をこなしたと自負心すら持っていそうだ。

反省の繰り返しにより、自虐と他罰のどちらかに極端に振り切れる。自分を殺したいほどの怒り、一見して自虐であっても、実は自分を卑怯者だと罵った者への怒りが置換されたものである可能性が高い。だから、自殺は周囲を間接的に責める消極的な復讐いう側面がある。それを本人見抜けるかどうか。
逆に、他罰に振り切れると、極端な正義に走ることもあるだろう。いつか自分と同じかして以上の目に合わせてやる!と。子供を虐待する親になるパターンが、まあそれだ。罰することが目的なので、子供も能力発揮できないように、食べ物を与えなかったり、眠らせなかったり、やり返されないようにチカラを削ぐコンテンツを織り交ぜる。そういう特徴がある。哀しいことだが、ニュースを見ていれば、もはやこれしきの虐待は生じる場所には生じる一般論だろう。

少年は、不機嫌な大人に対して、不機嫌な態度を取ると、少年性を殺されてしまう可能性がある。伸び伸びと生きられず、順当に心を育むことも出来ず、狐みたいな目をして、関西弁を喋り、悦の浸りながらゆっくりと物影から現れて、土壇場でヒーローたちを裏切るキャラクターみたいになりたくないならば、ここからの話はよく耳を傾けるといい。なりたい?あっそう、デデドン。

さて、大人に誠実さを伝えるならば、心から反省している状態にならないといけない。珍しく自分の嫌いな「べき論」を話すのは、おそらく唯一の方法だからだ。

心から反省している者は、謝罪するまえから既に反省していることが分かるのだから、それ以上に追及する必要がないと、人であれば気付くだろう。

そのためには、正確には、反省できるまで待つ。その場で失態を見せてしまいそうであれば、距離を置いて、黙るのも、逃げるのも、また一手。

心からの反省は、反省することからは訪れない。気付きの副産物なのだ。その逆はない。反省から入る癖が染み付いた奴は脊椎反射で謝るし、自分を振り返る忍耐もないので、小綺麗な詐欺師みたいな奴になる。物陰から関西弁を—(以下略)。
余談であるが感謝もそうだ。感謝も気づきとともに湧いてくる。無理に感謝すると相手にもバレるし、互いに気まずくなる。それよりも、別に感謝したくないという自分の感情や言い分を認めると、複雑な心境でも不思議と感謝できる部分が見つかるのだ。

感情を整理して、自分が悪いことをしたとしても、納得のいかないことを洗い出して、その上で納得する答えが浮かび上がってくるように待つこと。半日以上かかることもある。気づきというやつだ。人は納得できる理由、自分の中にある真実に至れば、怒りというものは消し飛び、浮かんでこないものだ。

さっきから仏教的な物言いだが、気付きの修練は、瞑想とは区別していただきたい。誰にでもできる。ひとつだけコツがあるとしたら、身体の感覚を感じ、言語を使うことを一時的に止めることだ。

あと卑怯者と言えば、立場を利用してここぞとばかりに自尊心を切り取りにかかる例の教師も該当するのだが。彼は復讐が怖くないのだろうか。


人は他人が怖い

私は正々堂々と生きてきたつもりだが、選択の多くは消極的で、時間が掛かる。臆病さで思い切ったことができないから、結果、悪いこともおよそできないのだ。常識というものがいかに常識的でないかと思いつつ自分を殺して生きている。三子の魂により、不機嫌で必死な周囲の老若男女たちのご機嫌とりをしている実に弱い人間になってしまっていた。

この選択も実は間違ってはいない。実質、怖くない人間など何処にもいないからだ。

人は他人が怖い。だから笑うのだという説もある。緊張の緩和によって笑いが生まれる。お笑いを見れば、よく分かるだろう。もちろん、私もその種のお笑いを面白いのでよく見てしまう。
人が人を恐れるのは生まれつき、これまた「性」なのである。それでいうと、一般論とは真逆のことを言わせてもらうが、無条件に愛されるのは子供ではなく親だ。生きるためには赤ちゃんですら、見捨てられないように可愛くあろうと必死なのだ。生まれた瞬間から、競争が始まる。そして、テストされるのだ。カンニングの発端になるような競争心を煽られながら。
その競争の行き着く先のエリート街道。官僚と呼ばれるエリート、その生き様も決して華々しいものではない。
突然、ぶっ込むが、官僚が◯ロナ対策の30兆円を用途不明と堂々と言ってのけたり、さらには余って廃棄したワクチンの総額も6600億ってか。

競争に勝ち残った官僚に限ってそんな無能なわけがない。実務はともかく単純な予測や計算が出来ないわけがない。かく言うのは、むしろ庇っているので、誤解しないでほしい。嘘吐いて国民から搾取しているのでなければ、もはや、ただの失態として認めざるを得ない。

「あー、なちがえたー、、俺っち、2億4000万個、余らせちまったどー」ってなるわけあるかいな。エレコムの事件みたいに調査した方がいいよ。

数日後。

「ネコがキーボードの上に乗ってたんですって」

「ならしかたがない、代わりに増税しろ」

(んなこたぁない)



まあそんな恥ずかしい失敗をしても何の罰もないし、役人は国民の金をむしり取って面の皮が厚いまま生きていける。
なのに少年は、カンニングで罰まで受けて、自殺するんだから。
こんな言い方をすると、捻れた比較なので、まず確認すべきは悪意の有無とその実害の規模。それらを考慮しても尚、失敗わざとじゃないから、悪意のあるカンニングの方が悪いとか言う人は想像してみてほしい。

例えば、誰かがあなたの会社で2億4000万個の誤発注したときは許せるかいね?
「わざとじゃないんです。私の失敗より、昇進テストで、あいつ、カンニングしてましたぞ!卑怯者めー!許せませんよねぇ!」とか、そいつが言い出した日には…。これで、伝わりますか?

お疲れさまです。お付き合いいただき、誠にありがとうございました。

チャラけたようでも、これ以上、社会や周囲の馬鹿さ加減で少年が命を断つことのないようにと願い書きました。
気付きの部分は、自身も使っている技術です。大人でも使えます。むしろ、気付きは大人が自分の心を整理するために使ってください。子供に機嫌をとってもらうのでなく、与えるひとであるために。太宰治の「さくらんぼ」だったかいな。社会が生きやすく寛容であるためには大人の機嫌が大事なんです。私たちはそんなに立派じゃないんですから。

誤発注の犯人を見つけたどー!(事実無根)

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