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子供の遊びと身体能力

健忘録として

私は日本が豊かな頃を知っている。商店街がまだあった頃だ。インターネットもスマホも流行ってはいない。固定電話で、誰が出るかも分からない。家族は夜中の12時までも起きてはいない。学校にも生徒が多く、活気があった。中流があり、くだらないことにも金が流れる余裕がある、それが、文化となって楽しみが生まれていた。純朴で、都市伝説テラーなどいない。皆さんが生きてきたシーンは知らないが理想とする社会の片鱗があったと思える。

色々とすっ飛ばすが、現代は変容している。身体は退化している。今回は、健忘録として、子供の遊びの様子を一般論ではないが体験的に記す。

今は無き回転塔での遊び

子供の運動神経が著しく低下していると思う。古い話だが危険なことはいけないと、随分前に回転塔が取り外されたあたりから、何かおかしいと感じていた。

子供は遊びで危険を学ぶ。小さな子は中に座らせ補助して、小さい子がいないときは大丈夫な奴らでなんだってする。怪我をする前に学ぶか怪我してから学ぶか、どっちにしろ大したことはない。

私は、クラスでは大人しい方だったが、回転塔は全力で回していた。誰かに全力回しで閉じ込められて目が回っても、飛び降りて脱出していた。しかも、イジワルであっても回す方が目が回るし、体力も使うのである。たとえ、チャイムが鳴るまで粘られても、片足を地面に垂らしてブレーキをかければ良いだけだ。あの程度で危険だったら他にどうやって遊ぶんだろう。

危険といえばこんな遊びも。飛び降り遊びとでも名付けようか。高い所から所構わず飛び降りていた。足がジーンと痺れる。時には、ジャングルジムの天辺から飛び降りて、自分の膝をアゴで受けることもあったが、脳が揺れても、数分後にまた同じことをする。次は、アゴに膝を受けないように、学習して遊ぶ。そんな私ですら、やんちゃのやの字もいただけない子供だった。

昔の日本人は野生児に近かった

さらに、私の親父世代の子供時代、もう野生児である。食べ物がないので学校サボって山芋を掘る、魚を捕まえる、山を駆けて死ぬほど高い位置にブランコを作って遊ぶ、靴はボロボロ、傷だらけ、大人から見てもいつ死んでもおかしくない遊びをするので近所で親に通報されるレベルである。腹は減っていても元気だそうで、実際、運動能力はまったく敵わない。本能的に強いので、今でもおそらく敵わない迫力がある。

現代はスポーツクラブで身体能力に差が付く

現代の子供は食べ物に恵まれ、スポーツクラブに属して、システマティックに体力も知性も向上しているが、親が付いて回り金もかかるので参加のハードルは上がっている。皆に開かれた道ではない。物価の高騰で、最近、食べるものにも節約する人もいるだろう。

昔のように、子供同士がルールから創造して遊び、真似し合って動きを編み出していく。金もかからないし、これが本当の役立つ(実践的)遊びではないだろうか。

これについては、例として、知人の子供時代の話をしよう。知人といっても、学生時代に会ったきり、ほぼ会うことはないその人は、当時、親父と変わらない年頃の新聞記者だったが。

遊びは現実に意味を持つ例 : 柔道遊び

その知人の学校時代に柔道遊びが流行ったらしい。細かいことは忘れたが、道着は遊び道具みたいに貸し合って、場所は教室でもやってたと思う。そんなことは子供は適当にする。重要なのは、自分が強いのか、誰が強いかである。

クラスメイト同士で戦う、おとなしい人たちには傍迷惑な話だ。意外と飽きることなく続いて、参加人数も増え、連日、盛り上がる。負けたら悔しいので、隠れて練習する奴まで現れた。知人もその一人だった。完全に、自己流とのこと。

木に紐か帯を巻きつけて、体力に任せて打ち込みをしていたらしい。実際、背負い投げの入りを見せてもらったが、予備動作に無駄がなく早い、ガニ股っぽいが低く安定している。これで投げてきたみたいな感じ。因みに、私も柔道を囓っている。

その人が大人になって、喧嘩で絡まれた時に、ふと組み合いになったので相手を投げ飛ばしたらしい。あっさり投げれた自分に驚き、投げられた相手も驚いて、不思議な空気になってしまって、そうしたら、何故かまた同じように組んで来たので、転がすように投げたら、相手は不思議なものを見たかのように去って行ったとのこと。

調子の良い新聞記者の嘘と思いたいが、彼のナチュラルな背負動作、使える背負いが今も目に焼き付いている。

その人からは、他にも、近くの飲み屋でタイの元キックボクサーに喧嘩を売った男(彼自身ではない)が、ノックアウトされつつも数秒間に18だったか殴られた数をカウントしていた話だとか聴かせてくれたが、これは現実であった話、笑い話にしているが、さすが、昭和の人である。







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