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幼少期、わたしには名前がなかった~アダルトチルドレン~

名前がなかった。そう聞いて、どんなことを想像しましたか。
悪いことをすると「あんたは橋の下から拾ってきた子だから」と言われたり聞いたりしたことのある方は、捨て子などを思い浮かべ、つらい過去や境遇に想いをはせてくださったかもしれませんね。
しかし、わたしは地方都市で公務員として働く両親の娘として生まれ、ある程度裕福に生活してきました。
もちろん、出生時に祖父の名を由来にした名前もつけてもらっています。

では、なぜ名前がなかったのか。
正確に表現すれば、名前がなかったのではなく、名前を呼ばれることがなかったのです。

この先では、HSP気質を持つわたしがアダルトチルドレンの性質を持ち合わせるに至ったと思われる経緯についてお話していきます。

まずは、名前の由来となった祖父をはじめ、家族のことを聞いてください。
祖父は小学校の教師でした。まじめな性格でコツコツと勉強をするタイプ。定年時には校長先生をしていたそうです。「〇〇先生」といっては自宅を訪ねてくる方も多くいました。
祖母は高校の講師をしていました。一本筋の通った性格で町内のおばあさんたちを率いて旅行に行ったり習い事をしたりするリーダータイプの人です。
両親は前述したとおり地方の公務員をしていました。

わたしの育った町は、当時8~9割の家庭が農業を営むような田舎町。
町の人は、なにか困りごとがあれば、父や祖父を頼って相談にきます。
保育園の園長先生が祖母の知り合いだったり、小学校に入れば担任が祖父の後輩だったり、家族のことを知らない人はいませんでした。
そのため、町内では「〇〇先生のお孫さん」、「○○さん家の子」がわたしの名前だったのです。

当然「〇〇先生のお孫さん」、「○○さん家の子」はおとなしくお利口でなければなりません。いたずらなんてもってのほかです。
わたしは、周りの大人たちが期待していると思われる行動や発言を無意識に選んでするようになっていました。学級委員をしたり放課後に先生のお手伝いをしたりひたすら「いい子」な小学生時代。同級生には先生から贔屓されている子とみられ、ほとんど友達はいませんでした。

中学に入ると、わたしの家族を知らない同級生が約半数。祖父を知る先生もいなくなり、特別目立つ要因がなくなりました。
ここから、その他大勢になる作戦を開始。勉強はできたので、進学する同級生が少ない市内一番の進学校を目指しました。予定通りに進学校に合格し、周りの目から逃げることに成功したのです。

高校は個性的な同級生が多く、自分の意思を隠して生きてきたわたしには刺激的な空間でした。やりたいことに真剣に向き合っている同級生たちは活き活きとしていてまぶしかったです。
ここで完全に「○○さん家の子」として見られることから解放されました。15歳でようやく、わたしは個人として認められ、自我が成長し始めたのです。
自転車の2人乗りやカラオケなど、いままでしてこなかったことにも挑戦。それでも染みついた「いい子」の心が門限を破ったり男の子と交際したりすることを拒んでいました。

20歳のころ、本屋でふと目にしたアダルトチルドレン(以下、ACと略します)の本。この本を読んで、自分にはACのような性質があると知りました。しかし、両親はACを生み出す大きな要因である毒親ではなく、それから20年ほどACについては心の中に封印していたのです。

最近になって、ACになる要因にHSP気質があることが言われるようになりました。わたしにはHSPの気質があります。
つまり、わたしがACのような性質になったのは、こどもの頃から持ち合わせていたHSPの気質が、祖父母や両親というフィルターを通してわたしを見る町内の人たちの期待を感じとり応えていった結果だったのです。

世の中に、親や祖父母が教師である人は数百万単位でいることでしょう。その中のHSP気質が約20パーセント。全員がACのような性質になるわけではありません。
実際わたしには姉が2人いますが、2人とも門限を破ったりしてよく親に怒られていました。その姿を見て「あれしてはいけない」「これしてはいけない」と勝手に自分を檻に閉じ込めていったわたしが特異なタイプだったのかもしれません。
家族も町の人も誰も恨むつもりはありません。
ただ、1つの答えを得たことで心の中がすっきりと、まるでシンデレラフィットのようにぴったり隙間なく整理できたのです。

わたしは実家暮らしの学生時代にACについて知りました。両親が毒親とは思いませんでしたが、一人暮らしへの憧れもあり、卒業後実家を出ることが目標になりました。
就職活動は、業種より実家からでは通えない距離の会社を優先して応募。内定をもらった瞬間、心の中でガッツポーズをしたものです。
一人暮らしは大変なこともありましたが、それ以上の開放感でわくわくの毎日でした。
ACかもしれないと思う方、可能でしたら、一度親や家族から離れる経験をしてみてください。きっとなにかが変わり始めます。

自分はACかもしれないと思いつつも、丁寧に優しく不自由なく育ててくれた親が毒親なわけがないと悩む方がいるなら、他にも要因となる可能性のある要素があることを知ってください。
独立した確固たるひとりの人間である自分を見つめ直し受け入れ、こころ穏やかな日々を送れる人が増えることに、このnoteが少しでもお役に立てればうれしいです。

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