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社会不適合者が見る世界を解剖する

皆さんは、現実逃避をしたくなったことはないだろうか。現代社会では、この前も書いたように多様な艱難辛苦が存在する。日本で異世界転生ものなどという漫画のジャンルが大流行し、大の大人が現実の社会から目を背けているその姿は、現代社会に生きることの大変さを物語っているだろう。そのような世の中で、人間は辛いことがあるとその責任や他者に押し付けることでそのちっぽけな精神を保っている。その中でも、社会不適合者、通称社不などと自身を形容し、自分の不甲斐なさを責任転嫁する手法は、今や常套手段のようになっていると言っても過言ではない。しかし、このような自称社会不適合者と、本当の社会不適合者の実態はかけ離れており、ほぼ別物として扱っても差し支えないほどである。

私は、この本物の社会不適合者について考えていると、しばしば思うことがある。それは、健常者と社会不適合者は全然分かり合えていないということである。そこで、本稿では社会不適合者側である著者が、社会不適合者がどのように世界を見て何を考えているのかについてを考察していく。

社会不適合者のタイプ

そもそも社会不適合者とは何か。こんな差別用語は勿論紙の辞書には載っていないので、ネットで調べると、

社会の要求に応えて生活することが困難な者。社会に適合できない人。うまくやっていけない人。

引用:実用日本語表現辞典

とあった。

私は、社会不適合者は大まかに2つに分類できると考えている。一つは、「日常の生活に問題を抱えているタイプ」、もう一つは、「集団での生活に支障を来しているタイプ」である。以降、本稿では前者をタイプ1、後者をタイプ2と表記することにする。では、なぜこのような人たちが出てきでしまったのか、また彼らはどのようなことを考えているのかということについて考えていこう。

タイプ1社会不適合者の特徴

まず、タイプ1の社会不適合者について語っていこう。既述したが、タイプ1は「日常の生活に問題を抱えているタイプ」の社会不適合者のことである。

タイプ1の社会不適合者は、タイプ2とは全く異なる生き辛さを抱えている。この生き辛さは以下の理由によって引き起こされていると考えられる。

まず一つ目の特徴は時間にルーズだということである。このタイプの社会不適合者は、基本的に決まった時間に起きることが困難なのである。断っておくが、起きるのが億劫なのではない。リアルガチで無理なのだ。私のクラスメートにはこのタイプ1の傾向が非常に強い人がいるのだが、彼女曰く、前の晩にいくら早く寝ようとも、朝起きられないそうだ。また後述するが、集中力が高いという特徴も相俟って、自分は気をつけているつもりでもついうっかり予定を忘れてしまうということがザラにある。これらの特徴は、周囲に「余裕を持った行動ができない人」というレッテルを貼られることにつながる。

二つ目の特徴は拘りが非常に強いということである。このタイプの社会不適合者は、自分の興味であろうが、仕事や課題であろうがその進め方に強い拘りを有している。もし、他人から有用なアドバイスを貰ったとしても、「自分のことは自分が一番分かっている」というように、進め方を変える事に抵抗感を示す。事実、拘りは必ずしも悪いことではないが、現代社会においては嫌悪される。他の記事でも触れたが、会社はあくまで利益を得るために社員を奴隷の如く、湯水のように扱う組織だ。そのグループにおいて、効率が悪い社員ははっきり言ってお荷物としか言いようがない。

また、JTC(日本の伝統的な会社)においては、現在も年功序列の概念が根深く残っており、同じ仕事を続けることで経験を積むことによって昇進できるというシステムが採用されている。このことはタイプ1の社会不適合者の特性と真っ向から対立している。何故なら、一つ目の時間にルーズだという点は、会社の人間からは社会人としての責任がないようにも映り、会社からまともな評価をして貰えない。また、二つ目の拘りが非常に強いという点は、会社に馴染めないことに繋がりかねない。馴染めなかったために転職を繰り返したり、フリーターになったりすると、「正社員こそ正義」という日本の旧態依然とした社会からの信用を失うこととなる。これは、ローンやクレカの拒否、結婚反対などの問題を生じさせることと直結し、ただでさえ上で挙げた特性により日常生活を送るのが困難なのに、更に不便さを感じやすくなる。

タイプ1社会不適合者への誤解

以上がタイプ1の社会不適合者の特徴だが、このことについてインターネットで少し調べてみると、彼らにあまり当てはまらないような特性が複数のサイトで紹介されていたので、ここで訂正しておく。

それは、プライドが高いという点である。もちろん数多の社会不適合者の中には、多少プライドの高い人も混じっているかもしれないが、多くの人はそうではないと考えられる。ではなぜこのような誤解が生まれているのかについての考察も交えて誤解を解いていくことにする。

それは、タイプ1社会不適合者の他人から否定されることを嫌がるという特性に起因すると考えられる。後述するタイプ2にも当て嵌まる場合が多いが、基本的に社会不適合者は繊細である。これは、社会不適合者に合致する性格が、過去の体験などから生まれてきている事が理由だろう。実際、私も中学校時代、肋骨を折られたり、私物を床に落とされたり、「死ね」や「消えろ」などという心無い言葉を何度も何度も浴びせられた経験が、現在の性格に少なからず影響している。このような体験をした社会不適合者の人たちは、自分への自己肯定感が非常に低いため、誰かから「もっとこうした方がいいんじゃない?」などというアドバイスを貰ったということを、「自分は否定されたんだ」と曲解してしまうことがままある。そのことから、このような事態を避けるために、他人に相談しなかったり、アドバイスを記憶から消すということをすることにより、プライドが高く、自分の間違いを認めないと捉えられてしまうのかもしれない。

実際のところ、多くの社会不適合者の人たちは、確かに冗談が通じない、柔軟性がないなどのプライドが高い人との共通点はいくつかあるものの、プライドは低いと謂えるだろう。これは、過去の経験から、「自分には生きる価値がない」などという思考を保有していることが多いからであり、「自分の方が優れている」や「自分が絶対に正しい」などという考えはあまり持っていない。また、社会不適合者は、自分の主観を相手に押し付ける態度をとる、弱い自我しか持っていないプライドの高い人とは違い、かなり強い自我を持っている。本稿の文章からこの強い自我は滲み出ているだろう。

タイプ2社会不適合者の特徴

次にタイプ2の社会不適合者について語っていこう。タイプ2は前述したように、「集団での生活に支障を来しているタイプ」の社会不適合者のことである。読者諸君の多くは、社会不適合者という語を聞いて、このタイプ2を想起するだろうし、実際こちらのタイプの問題は前者より更に深刻だ。因みに著者自身もこちらのタイプがより顕著に現れている。

現代社会、特にJTCにおいては、社員総出で目標を達成しようという考え方が依然として重要視され、ソロプレイヤーが煙たがられる傾向にある。これは単にコミュニケーションを取ることによって作業をより効率化し、また人間関係を円滑にすることにより生産性の向上が図れるからである。社会からすれば御尤もな意見だ。しかし、こんな初歩的なところでタイプ2の社会不適合者の皆さんは苦悩を抱えている。

ではなぜタイプ2の社会不適合者が、社会で生活する上で苦悩を抱えているのか。これは、彼らが持っているいくつかの特性に起因するものである。

まず一つ目は、協調性を極端に欠いているという特性である。彼らは基本的に他人への興味が希薄であり、また空気は読むものではなく、吸うためにあるものと考えている。

このような人間は生まれてしまう背景には、外部からの刺激に敏感に反応する特性があると謂えるだろう。この特性は、もちろん親からの歪な愛情やトラウマなどの環境の要因もあるが、50%ほどは遺伝によって決められるそうだ。社会不適合者の割合が高い内向的な人たちは、外向的な人たちとは優勢な神経伝達物質が異なる。彼らは、「アセチルコリン」という副交感神経を主な神経伝達物質として使う一方、外向的な人は「ドーパミン」や「アドレナリン」という交感神経がその役割を果たす。「アセチルコリン」は思考、感情を通じて生産され、人間の認知機能、つまり情報収集、知覚、記憶、推理、判断、処理などを司っている。一方の「ドーパミン」や「アドレナリン」は、ご存知の通り活動をすることと刺激を求めることによって生産され、外交的な人はこのドーパミンの感受性が内向的な人と比べ低い傾向にある。よって、内向的な人は外交的な人と比べ、ドーパミンによる刺激を過度に受けやすく、他人との交流を避けようしがちになる。このことにより、彼らは、外交的な人に比べて圧倒的に人間関係を構築する機会が少なく、協調性を欠くことにつながる。

「そんなこと言ったって、内向的な人でも協調性がある人は沢山いるよ!」という人もいるだろう。確かにその通りである。そのような人たちは外交的な人と同様に自身の考えは持っていながらも、それを積極的に他人に押し付けたりせず、柔軟に相手に合わせる能力に非常に長けている。

だが、社会不適合者はそんな甘い連中ではない。彼らは、生憎相手に合わせるという能力を殆ど持っていない人が多い。そもそも、彼らは(私も同様だが)基本的に人間が嫌いである。経験談だが、それには幼少期のトラウマが関わっている場合が非常に多い。そのため、わざわざ自分の性格を変えてまで、相手に好かれようとか、仲良くしようという気が一切ない。というか、そこまでして仲良くする意味がわからない。

しかし、彼らもある程度のコミュニケーションを取らないと、社会では生きていけない、そんなことは重々理解している。そのため、彼らの中には頑張って他人とコミュニケーションを取ろうとする人が一定数いる。だがそこで、二つ目の特性が降りかかってくるのだ。

それはコミュニケーション能力が低いことだ。これは、他の記事でも少し触れたが、情報化社会の到来によって、自分が話すことに苦痛を感じる人と会話する必要性が激減したことが主要因と謂えるだろう。人間誰しもが多少なりとも孤独を感じるものであり、それを紛らわせるために自分が嫌いな人や話が合わない人と話すということが往々にしてある。だが、インターネットを用いれば、自身と性格や趣味嗜好が合う人といとも容易く繋がることができる。この技術の発展は若者のコミュニケーション不足を助長しており、社会不適合者が増えたことの一因ともなっていると謂える。

斯く言う私もそうだが、社会不適合者は言葉のキャッチボールが絶望的に下手である。いざ他人と話す段階になったとしても、彼らは他人と何を話せばいいのかを全くと言っていいほど理解していない。彼らの殆どは、「今日は晴れてるね」などの超薄っぺらい会話をするか、自身の興味のある事柄について会話をするかのいずれかの選択肢しか頭にない。だいたいの社会不適合者の人たちは、ある分野に関しての造詣が異常に深く、これは彼らの拘りの強さが如実に現れた結果だろう。もし彼らが後者の会話を選択した場合、「普段できないアウトプットができる絶好の機会だ!」と張り切って早口で専門用語を連呼するマシーンと化す。聴く側からすれば、意味のわからない話を、何分も何十分も平気でされるのだから、堪ったものではないだろう。

社会不適合者と話す人たちの苦悩は、三つ目の特性、周囲の状況を把握し切れていない点によってさらに増幅される。社不の人たちは、コミュニケーションの不足によって、行間を読む能力や、ノンバーバルコミュニケーションをする能力が欠落しており、会話の上澄みを理解することしかできない。他者との交流という一点においては、賢馬ハンスや、そこいらの犬猫よりも低い理解力しか有していない。そのため、自分が話していること受けて相手がどのようなことを感じているかが分からないので、そのことを指摘できない人たちには地獄の時間を味わわせることになる。また、このことはその場にそぐわない不適切な発言をしてしまう確率を大幅に上昇させ、彼らが爆弾発言をすることにもつながる。よく誤解されているようだが、このような発言は故意にやっている訳では決してない。あくまで、自然と口から飛び出してしまう。このように、傷つけてやろうという悪気が一切ないというところが、厄介なところだ。

タイプ2の社会不適合者への誤解

よく誤解されていることだが、社会不適合者は、必ずしも共感力が低い訳ではない。MBTIにおいてINTP、INTJ、INFPやINFJは社会不適合者と見做されることが多いが、前者はともかく、後者はしばしば社不と認定されるのに、共感力は他タイプと比較しても高い方である。彼らが社不とされるのは、寧ろ上述したような協調性がなく個人主義である点や、コミュニケーション能力が低い点からであり、一概に社会不適合者には共感力が欠落しているとは言い難い。

ではなぜ社会不適合者は須く共感性が低いという烙印を押されてしまうのだろうか。それは、彼らが自身の思考や感情を重要視しているためだと考えられる。彼らは、しばしば夢想的な思考癖を有しており、重要でないと判断した話は殆ど聞かずに自分の興味に没頭している。このことから、社会不適合者は相手への相槌を忘れてしまうことが多々あり、これが共感力が低いと判断される一つの要因ではないかと推察できる。

また、実際のところ、世俗における「共感ができる」は、「周囲への配慮が上手」という意味合いを包含していると謂えるだろう。しかし、勿論この二つは全く違うスキルを必要とし、「周囲への気遣い」というのは経験の差によって左右されるところが非常に大きい。もし、共感能力によって、相手が今どのような感情を抱いているかがわかったとて、それを切り返す一言や、相手が求めていることを実際に行えるはまた別問題である。その点、社会不適合者はコミュニケーション不足によるその場数の少なさから、パンピーが求めているような気の利いた一言を放つ能力はあまりない。だが、前述したように社不は基本的にかなり繊細な心を保有しているため、期待に応えるために無理をして頓珍漢な行動をとることがままある。このような理由から、社会不適合者は共感性が低いと謂われてしまうのだろう。

タイプ1,2に共通する特徴

最後に、「日常の生活に問題を抱えているタイプ」と「集団での生活に支障を来しているタイプ」の二つの社会不適合者のタイプに共通する特徴を挙げていく。

二つのタイプに共通するのは、ある特定の物事への集中力が異常であることだ。大半の社会不適合者の人たちは、ある分野に非常に精通していることが多い。これは自身が好きな分野では集中力を維持できるからだ。その一方で、他の分野には全く興味を示さない人も多い。この特徴はADHDの多動性やASDの過集中の症状が認められる人などにも見られるが、前頭前野の機能調節に偏りがあったり、脳内の神経伝達物質であるノルアドレナリンやドーパミン、セロトニンなどの量が少ないという理由が挙げられる。

社会不適合者の生き抜き方

正直、社会不適合者は、かなり生き辛い。タイプやその人自身にもよるだろうが、人間関係の失敗、他者からの拒絶、自身の卑下などの悩みや困難がこの先も続くだろう。そこで、タイプ別に対処法を幾つか摘記していく。

タイプ1の社会不適合者の特徴に合致する人は、自分が自身の裁量で行動できる環境を選ぶことが良いだろう。JTCでは最も重視されることと言っても過言ではない「時間」を守ることが苦手なのであるならば、フリーランスの仕事などを選択することによって、自分が好きな時間に、好きなだけ仕事することができるようになるだろう。意外とラマヌジャンののように30時間研究して20時間寝るという生活を送るのも悪くないのではないか?
今やっている仕事にストレスを感じるのであれば、持ち前の拘りでミスを繰り返さないように綿密に計画を練るというのも手だろう。段取りが下手くそでも、

Le second était de diviser chacune des difficultés que j’examinerais, en autant de parcelles qu’il se pourrait,et qu’il serait requis pour les mieux résoudre.

ルネ=デカルト『方法序説』

とルネ=デカルトが方法序説で言っていたように、問題を細かく割って地道に片付けていくなど、少し工夫することで改善に繋がるかもしれない。すぐに諦めるのは早計だ。


タイプ2の社会不適合者の特徴に合致する人は、自身の強みと弱みをしっかりと認識して、それを自分自身で肯定してあげることが重要だ。弱みは、裏を返せば強みともなり得るのだから。人間関係の構築や維持に負担を感じているならば、人と関わることが少ない仕事に携わるのが良いだろう。より理想的なのは、黙々と作業できる環境だが、在宅ワークを採用している会社ならばある程度は馴染むことができるかもしれない。

二つのタイプに共通して言えることは、自分の好きなことを仕事にしろということだ。しばしば、お金を稼ぐために自分のあまり興味のない職に就く輩がいるが、これは全くお勧めできない。すぐにモチベーションが湧かなくなって、転職をする羽目になり、先述したように社会的信用を失うことになりかねない。ならば、少し給料が低かろうが、自分の特技や個性を活かせる仕事に就いた方が、将来も幾分かマシになるだろう。

他にも、上記の特性に当てはまっている人たちは、もしかしたらASDやADHD、LDなどの発達障害を抱えているかもしれない。そのため、早期に精神科などの医療機関を受診することを強くお勧めする。実際先ほどタイプ1で挙げたクラスメートはADHDとASDを併発していた。

社会不適合者と接する際の注意点

社会不適合者への対応として、ただの「会話の訓練不足」だから、たくさん喋りかければ治るという方法がインターネットのとある掲示板に挙げられていた。ここまで私の文章を閲覧してくださった読者諸君にはわかると思うが、これは些か荒療治が過ぎる。社会不適合者が抱える問題は、ただ単に「会話不足」と一蹴するだけでは済まない、もっともっと深刻なものである。

正直、この社会不適合はその人自身の特性、性格であるため、抜本的な解決策はないと言っても過言ではないだろう。一番手っ取り早いのはその人と関わらないことだろう。しかし、もしどうしてもその社会不適合者と接さなければいけない時が来てしまった場合には、これから紹介する一時的な解決方法を実行することが有効である。一つ目は、聴いている素振りをするということだ。特にタイプ2の社会不適合者に当てはまることだが、彼らは協調性やコミュニケーション能力が欠如している。このことから、会話の話題が右往左往してしまい、まともに会話をしていると、殆どの人が疲れてしまうだろう。そこで私は聞いているフリをすることをお勧めする。何故なら、タイプ2の人は、持ち前の周囲の状況を把握し切れていない特性により、基本的に相手が聴いていようが聴いてなかろうが、そこまで気にならないからだ。だが、あからさまに聴いていない場合は気付いてしまう(体験談)ので、適当な相槌を打つのが良いだろう。

もう一つは、少し難易度が高いが、彼らに「一方的になってるよ」や「発言きついよ」などとを逐一指摘してあげることだ。これはタイプ1、タイプ2ともに有効であると言えるだろう。しかしここで留意していただきたいのは、彼らの心は豆腐同然であるということだ。彼らを真っ向から否定すると、関わっている人が面倒ごとに巻き込まれる事態になってしまうことも有り得る。そのため、この手法は即時的に効果が現れる方法ではあるものの、奥の手として使用することを推奨する。

結論

そもそも、人間とは大変な苦労を感じる生き物である。それは、あなたが社会不適合者であろうが、なかろうがだ。だが、中でも社会不適合者は、様々な不安を抱えやすいだろう。しかし、自分という存在を受け入れ、自身の強みと弱みを理解した上でそれに沿った生活を営むことによって、悩みやストレスは多少は楽になるのではなかろうか。

あなたが社会不適合者であってもなくても、この文章で、少しでも心が落ち着くことがあるのであれば、それが私の本懐だ。

出典
https://iec.co.jp/product/tsushin-kyoiku/wp-content/uploads/2018/12/a0b70044dc5c88718eac7e8c254223b2.pdf


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